江戸前三番瀬漁師坂才丸の気ままな日記

私、坂才丸が食べたり飲んだり出かけた事を少しづつ書いて行くつもりです。

平成26年漁期の張り替えが終了しました

2015-03-22 19:43:26 | 江戸前三番瀬
今漁期の海苔網の張り替えが終わりました。
最後に張り替えた海苔網の種は浅草海苔です。
年末にも浅草海苔の網を張っていたのですが、
毎年、100枚程種付けをするので時期を見て張り替えています。
三番瀬では浅草海苔を養殖しているのは私だけです。
勿論、出荷はしませんがね。
網の管理水位を高くしているので、
育つのが遅いですが、味は良くなります。
隣の家の海苔網と高さの違いが判ると思います。
少し赤目になりますが、小売用なので味と香りを優先しています。



東日本大震災後の海苔養殖

2015-03-11 19:21:49 | 漁師
東日本大震災から4年が経ちました。
大津波警報が出ていて海老川水門が閉まり続けていたので3日後に底引きの船で漁場を見回りに行ったら海苔柵がめちゃくちゃでした。
その後大津波警報が解除になって船で見回ったらほぼ海苔柵が全滅でした。千葉県もあまり注目されませんが被災地なのです。次の漁期は海苔が出来ないかもしれないと思いました。しかし、多少なりとも資材に補助金が付いたので現在も海苔養殖を続ける事が出来ています。ただ、千葉県でかなりの人数が海苔養殖を辞めてしまったのが残念でした。まだ、私は住む家は無事だったのですが、親戚の家や海苔の乾燥場は液状化して基礎や家が傾いてしまいました。その時の思いをすれば海苔の養殖が続けられている事は幸せだと実感します。

大仏追善供養

2015-03-04 19:49:35 | 漁師
今日は既に4日ですが、28日に行われた伝統行事を書きます。
毎年2月28日は船橋市の本町3丁目にある不動院で大仏追善供養が行われます。
この行事は文政8年(1825)から行われていて延享3年(1746)8月1日の津波によって溺死した漁師ならびに住民の供養のために石像釈迦如来坐像が建立されました。
文政7年に船橋村と猫実村(現在の浦安市)が漁場の境界をめぐって係争中に猫実村と東宇喜多村(江戸川区)の漁船が一橋家(御三卿家)の幟を立てて船橋の境界内に侵入して来た船を妨げようとした船橋の漁師と揉め事になって船橋の漁師が一橋家の幟を奪って同乗していた侍を殴打したために漁師総代3人が投獄されて2名が亡くなりました。以来漁師一同が1日休漁して供養を行ってきました。(現在は休漁ではありません)死をもって船橋の漁場を守った2人の総代に対する敬愛の念をもって行われています。
供養の日に大仏に白米の飯を盛り上げるようにつけるのです。これは牢獄で食が乏しかったのを償う為との事です。大仏の後側に漁師総代2名の墓碑があります。
大仏は飯盛大仏とも言われています。
盛った飯を食べると無病息災との言われがあり、盛った飯を持って帰る人が多いです。
その後、船橋漁業組合の2階会議室で供養をします。
5枚目の写真は船橋漁業組合組合長の挨拶です。