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新潟淡麗辛口の蔵の人々と”庶民の酒飲み”の間で過ごした長い年月
(昭和五十年代~現在)を書き続けているブログです。

鶴の友について--NO2

2006-06-26 13:34:21 | 鶴の友について

鶴の友を飲んだことがある人は、新潟市周辺の人以外では、たぶんきわめて少ないだろうと思われます。飲んだこともなければ名前さえ知らない人がほとんどでしょう。鶴の友をごくふつうに晩酌で飲んでいる新潟市の極めて幸せな”庶民の酒飲み”ですら、鶴の友の本当の凄さを完全には知らないまま、その凄さの”恩恵”に与っています。

鶴の友を1回飲んだだけで鶴の友の”その凄さ”に気付いたら、その人は物凄く酒が分かっている人です----こんな人はそうはいません。しかし、誰でもが”その凄さ”が分かる飲み方があります。

28年前、八海山の市販酒の最上位は特級酒でした(吟醸は非売品の500mlがあっただけの時代)。嶋悌司先生(元新潟県醸造試験場長)の指導で酒質が飛躍的に向上していた八海山の特級酒は素晴らしいものでした。その当時の〆張鶴 純 とともに私の日本酒に対する考え方を180度変えてくれた”恩人的”な酒でした。 軽くて切れが良くそれでいて素っ気ないと感じさせないぎりぎりのやわらかさがありました。やや大げさな表現かも知れませんが、”味の付いた水”のようだとその当時の私は思っていました(現在の八海山とはタイプが大きく違う、飲んだ人間の記憶の中だけにしか存在しない、本当の意味での幻の酒と言えます)。 その八海山の特級酒を、〆張鶴の大吟醸を飲んだ直後に比べて飲んだことがあるのですが、その時の”衝撃的な驚き”を28年たった今も昨日のことのように覚えています。

軽くて切れが良くまるで水のように思えた八海山の特級酒が、〆張鶴の大吟醸を飲んだ直後に飲むと、素っ気なく感じ舌に渋みが残り美味いとはまったく思えなかったのです。さらに、八海山の特級酒より酒質のレベルがかなり落ちる酒を飲んでから八海山の特級酒を飲むと、、”味の付いた水”にもどっていたのです。 酒は変わっていないのに、飲む順番を変えただけでまったく味が変わる----この驚きが、私に日本酒の酒質の差の大きさと”酒の世界の奥行きの深さ”、そして人間の舌が絶対的なものではなく”相対的”なものであることを私に教えてくれました。 その後平成元年に至るまで、私は飲む酒を〆張鶴の大吟醸と比べ続けました。美味いとはとても思えなくても〆張鶴の大吟醸を飲んだ直後に飲める酒は、良心的できわめて美味い酒あることを確認し続けてきました。 その作業を長く続けているうちに、いつのころからか”頭の中にある”〆張鶴の大吟醸と目の前にある酒と比べるようになっていきました。 (平成元年以降、全国新酒鑑評会の評価基準が変わり〆張鶴の大吟醸も残念ながらタイプが変わらざるを得なくなり、それ以後は鶴の友が私の頭の中にある酒になっています)

もし、鶴の友を飲む機会があったらぜひ自分が一番美味いと思っている酒と比べて飲んでみてください(鶴の友は、吟醸である必要はまるでありません。一番安い上白でも十分ですが、個人的には別撰がおすすめです)。  美味いと思っている酒をまづ最初飲み、次に鶴の友を飲み、その次に最初の酒にもどって飲んでみてください。 このように比べても最初の酒のほうが美味いと感じられる人は、酒飲みとしてはきわめて例外的な、ものすごく恵まれている人です。最初の酒の味がまるで変わってしまったと感じた人は、鶴の友の”凄さ”を実感できた数少ない酒飲みの一人になれます。 ただし、そのためには鶴の友をふつうに買えなければなりません。次回は、”庶民の酒飲み”が普通に買える方法を書きたいと思っています(少なくても一度は新潟市に行く必要がありますが----)