“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

猛吹雪で立ち往生避難  青森・下北半島の問題

2012年02月02日 16時22分46秒 | 臼蔵の呟き
下北半島には大型原子力発電所、廃棄物処理施設が集中しています。豪雪被害は自然現象ですが、ここに核廃棄物の処理事故が重なると避難も出来ない大災害になりまねません。過疎地帯に大型原発を建設し、廃棄物処理場を作りましたが、このような豪雪被害の時には避難が出来ない???どうするのでしょうか。


<猛吹雪で立ち往生300人避難 青森・下北半島>


 青森県横浜町などの国道279号で、大雪のため1日夕に発生した500台に上る車両立ち往生で、県などによる復旧作業が2日行われ、昼までに片側通行が可能になった。引き続き、除雪を進め、渋滞解消を急いでいる。県などによると、立ち往生した車のドライバーら約300人が国道沿いの小学校など12カ所に避難し、一夜を明かした。
 町などによると、町内の車の渋滞は約6キロにわたり、500台以上が立ち往生。除雪により、2日午前9時すぎに片側車線が通行できるようになり、車両の移動が可能になった。
 マイカーで帰宅途中に立ち往生し、近くの集会所に避難した。「集会所には30~40人が集まり、座布団の上に横になって夜を過ごした」と疲れた表情で話した。
 青森県横浜消防署によると、1日夜、長時間車内にいてめまいや吐き気を訴えた20代男性が救急車で病院に搬送された。
 青森県知事 三村申吾氏は2日未明、海上自衛隊大湊地方総監に災害派遣を要請。派遣された隊員38人がドライバーの安否確認などに当たった。
 県によると、1日午後5時半ごろ、同町有畑の国道279号で大雪のためスリップした大型トラックが道路をふさぎ、渋滞が発生。野辺地町有戸-むつ市大曲間の約40キロの279号が通行止めになった。
 279号では他に、むつ市関根でも猛吹雪で坂道を上れない大型トラックが立ち往生し、渋滞が発生。45人が関根中に避難した。

福島、除染計画進まず 仮置き場確保難航 

2012年02月02日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
早く政府として決めてほしいとは当然の要求、声です。こんなことすら決めることができないで、「原子力発電所再稼動なんて言うなよ!!」国策の責任、電力会社としての責任とは何か?考えてほしい。
この程度のことが出来ないで何がエネルギー政策、国策があきれます。福島も、宮城も周辺県は全て汚染で苦しんでいるのです。なぜ汚染された地域住民が苦しんだり、対立しなければならのですか、消費者と生産者が分断され苦しんでいます。店頭を見てください。福島産野菜、果物はどんどん消えています。誰がそのようなことをしたのですか?電力が足りようが足りまいが、原子力発電所を稼動させず、生活様式を変えることを考えるべきです。


<福島、除染計画進まず 仮置き場確保難航 住民反対根強く>

 福島第1原発事故で放出された放射性物質の除去を目的に、福島県内の市町村が策定した「除染計画」が行き詰まっている。除染のためには取り除いた土などを保管する仮置き場が必要だが、地元住民の反対で候補地の選定が難航しているためだ。このままだと除染作業が大幅に遅れ、せっかくの計画が宙に浮く市町村も出かねない。

 除染計画を既に策定したか、今後策定を予定しているのは40市町村。放射性物質汚染対処特別措置法に基づき、国の費用負担で住宅や農地、公共施設の除染を進める。
 県によると、昨年末までに26市町村が計画を策定したが、実際に住宅などの除染作業に取り組んでいるのは福島市、伊達市、川内村だけ。ほかの市町村は仮置き場選定が進まないなどの理由で、作業に入れていない。
 仮置き場での保管期間は、国が中間貯蔵施設を建設するまでの3年間とされる。
 除染計画を策定した26市町村中、仮置き場が全て決まったのは広野町のみで、まだ1カ所も決まっていない自治体も多い。難航の原因は、周辺住民の反対意見が根強いためだ。
 相馬市では今月、ようやく1カ所目の仮置き場が決定したが、昨年秋に2カ所の候補地を決めて住民説明会を実施したときは反対意見が多く、いずれも断念している。昨年末、3カ所目の仮置き場の確保を目指した桑折町も住民の反対を受け、まだ決定に至っていない。
 国は中間貯蔵施設を3年以内に設置する方針だが、いまだに具体化していないことも、住民の不信感を高める結果になっている。
 県南地方にある自治体の担当職員は「仮置き場は期間限定だと説明したところで、中間貯蔵施設がきちんと決まらない限り、住民は納得してくれない」と打ち明ける。苦肉の策として民家の敷地内などに「仮々置き場」を設ける自治体も目立っている。
 西郷村は仮置き場が決まるまで、除染作業を行った各民家の敷地内に保管することにしている。村の担当者は「仮置き場に直接搬入する方が効率はいい。できるだけ早く決めたいが、候補地の住民の理解を得るまでには、かなりの時間が必要になる」と説明する。
 県除染対策課の鈴木克昌課長は「仮置き場は、ごみ処理場などと同じ『総論賛成各論反対』になってしまう。時間をかけ、安全性を訴えるしかない」と話す。

仙台湾南の堤防再建開始 空港付近12年度完成

2012年02月02日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
仙台湾南の堤防再建開始 空港付近は12年度完成

海岸堤防の本格復旧工事が始まりました。被災範囲が広く、一気に海岸堤防を復旧させることは無理だと思います。しかし、3.11津波で海岸堤防が壊滅している地域が多く、地域の復旧を進めるうえでの障害ともなっています。これらの海岸堤防を復旧させても、3.11級の津波には耐えることは出来ません。その点では、津波被害を大きくしないためにも、海岸部の住宅、企業群の立地は精査する必要があります。また、人的な被害を最小化するためにも、避難場所、避難ビルの確保、避難訓練を日常的に行うことこそが最大の対策だと思います。このことを軽視するような対策は慎むことが必要と思います。自然災害は予測できる範囲での対策ではなくて、自然の中で生きること、生かされていること。謙虚さが必要だとつくづく思います。

<仙台湾南の堤防再建開始 空港付近は12年度完成>

 東北地方整備局は29日、東日本大震災の津波で壊滅的な被害が出た仙台湾南部の海岸堤防の本格復旧工事に着手した。整備局によると、岩手、宮城、福島3県の海岸堤防は総延長約300キロのうち約190キロが被災し、本格復旧工事は3県で初めて。仙台空港のそばの海岸堤防など重要箇所は2012年度中の完成を目指し、沿岸部の復興を後押しする。
 工事は、高潮や数十年から百数十年に1回程度の発生が予想される津波を想定。仙台市宮城野区の七北田川河口から宮城県山元町までの約60キロは、堤防の高さを7.2メートルに統一し、うち国が約30キロを担当する。
 担当区間のうち、仙台空港や下水処理場がそばにある場所は12年度中の完成を予定する。全区間の復旧完了は15年度中を見込む。
 宮城県名取市下増田であった着工式には、地元首長ら約70人が出席。村井嘉浩知事が「復興に向けた大きな一歩になる。街づくりの弾みになることを期待する」とあいさつ。佐々木一十郎名取市長も「一日も早い復旧をお願いしたい」と要望した。
 仙台湾南部の海岸堤防は震災前、高さ5.2~7.2メートルだった。津波で大半が倒壊したが、現在は大型土のうなどで高さ2.0~6.2メートルの仮設堤防が設置されている。
 復旧工事の11年度分の事業費は253億円。津波が乗り越えても破壊されない堤防にするため、陸地側のり面のコンクリートの重さを約4倍にするなどして補強する。

歴史から消された場所

2012年02月02日 06時00分13秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、歴史から消された場所の話です。

先日、アウシュビッツ絶滅収容所のことを書きました。あそこも、ガス室など多くのものが破壊され証拠を隠蔽されていましたが建物など膨大なものが現存しています。現在では多くのものが復元されて、博物館となって世界中の人々が訪れています。

歴史上、消された場所や村、都市、部族などは至るところにあるのではないでしょうか。世界のどこかで、大昔から部族同士の争いでは敗れた側はすべて略奪され女まで連れされれるというようなことがあったと聞きます。たった70年前のことですが、ナチスドイツによって消された人々はたくさん居り、消されてしまったところもたくさんあります。同じ頃に、日本によって消された歴史もたくさんあると思います。

トレブリンカ強制収容所(絶滅収容所)


全てが消されて当時のものは何一つとしてありません

トレブリンカとは美しい響きですが、血塗られた土地です。今は慰霊碑や復元されたごく一部のものしかありません。ナチスドイツによって1942年7月に作られ、1943年10月に解体されました。この世に存在していたのは14ヶ月だけです。

たった14ヶ月の間に73万人以上のユダヤ人が連れてこられてガス室で殺害されたと言われています。毎日毎日、1日単純平均1700名以上のユダヤ人がガス室で殺され焼かれました。

孤児院で子ども達を最後まで守り続けたヤヌシュ・コルチャック先生も、ここのガス室で殺害されました。コルチャック先生は、子ども達を見捨てて自分だけが助かることを拒否し、たぶん(記録がありません)1942年8月6日にトレブリンカに到着した日に子ども達とともにガス室で殺されたと言われています。

  
ヤヌシュ・コルチャックの慰霊の石

ポーランドの首都ワルシャワの北方約90kmの森の闇の中にあるトレブリンカ。近くに大きな町もなく、交通の便も悪く、観光地はありません。外国人がこの場所に行くには現地の詳しい人が居ないと行くことはできないでしょう。私が二回目に訪れようとした時には現地の運転手が道を失って2時間近く到着が遅れてしまったくらいです。

トレブリンカ絶滅収容所は徹底的に証拠隠滅され、ナチスによって何もかもが破壊されました。現存する建物はひとつもないどころか、鉄道やガス室なども痕跡すらほとんど残っていません。慰霊碑と復元された鉄道の引込み線などがあるだけです。

トレブリンカは、深い森の中にモニュメントだけがある墓標です。

福島第一原発の周辺自治体と原子力発電所そのものが、この世に無かったものとされないように伝え続けなければならないと思っています。