新しい年を迎え、さっそく通常国会における予算と税制改革の審議をめぐって、与野党の攻防が厳しくなることが予想されます。震災復興、社会保障の立て直しなど喫緊の課題については、与野党を超えて議論を深め、必要な政策を迅速に実現してもらいたいと思います。今の野党が政権に復帰した時には、民主党政権とまったく同じ財源難に直面するわけですから、自分たちが政権を取った時にどうするかという条件の下で政策対応を考えれば、政策決定で妥協は可能なはずです。
今年の政治にとっての最大の難問は消費税率の引き上げです。私自身は、日本もヨーロッパ型の福祉国家を目指すべきだと思っているので、税負担の引き上げは不可避だと考えています。しかし、今の政府を見ていると、国民を説得しようという意志を感じません。政治家は借金を後世の日本人に残してはならないともっともらしいことをいいます。政治家の言葉はなぜこうも軽くなったのでしょうか。
この点について、思想家の内田樹氏は興味深い指摘をしています。
「その言葉を信じ、あるいは誤解し、あるいは曲解して、その言葉を実現しようとする人々全員の事績について「その責めは最初にその言葉を口にした私にある」と言えなければ、言葉は重くならない。」(『呪いの時代』新潮社、七九頁)
目の前の問題について、どこかの他人が引き起こした厄介だけど、行きがかり上自分が引き受ける、これが今の政府指導者の態度です。無責任に問題を放置するよりはましですが、それでは国民は説得されません。巨大な財政赤字は過去20年にわたる政府の政策決定の積み重ねの帰結です。与野党を問わず国会に議席を持つ政治家、政策を企画立案した官僚組織に所属する人々は、それぞれ形や重さは違いますが、何らかの責任を有しているはずです。要路にある人々が自らの罪を国民に告白することから、増税論議は始まるべきです。
メディアでは、財務事務次官の勝栄二郎という人が政策決定を取り仕切っているとも伝えられます。この人物が財務省の事務方のトップに上りつめるまでには、主計局の責任者として様々な予算編成を統括してきたはずです。自分たちが編成した予算が、本当に国民の税金を適切に使うものだったのか、一度正直なところを聞きたいと私は念願しています。
• 民主党が政権交代の時に掲げていた「政治主導」という旗印も、すっかり色あせました。しかし、野田政権が国の命運を左右する大きな課題に取り組みたいのなら、ここでもう一度政治家としての責任を取るべきです。増税を訴える前に、なぜこれほど惨憺たる財政状況に陥ったのか、自らの罪を明らかにした上で、他の政治家や官僚にもその責任を明らかにさせることが、政治指導者としての責任の取り方です。無責任の体系に今終止符を打たなければ、日本の民主政治は崩壊するしかありません。
今年の政治にとっての最大の難問は消費税率の引き上げです。私自身は、日本もヨーロッパ型の福祉国家を目指すべきだと思っているので、税負担の引き上げは不可避だと考えています。しかし、今の政府を見ていると、国民を説得しようという意志を感じません。政治家は借金を後世の日本人に残してはならないともっともらしいことをいいます。政治家の言葉はなぜこうも軽くなったのでしょうか。
この点について、思想家の内田樹氏は興味深い指摘をしています。
「その言葉を信じ、あるいは誤解し、あるいは曲解して、その言葉を実現しようとする人々全員の事績について「その責めは最初にその言葉を口にした私にある」と言えなければ、言葉は重くならない。」(『呪いの時代』新潮社、七九頁)
目の前の問題について、どこかの他人が引き起こした厄介だけど、行きがかり上自分が引き受ける、これが今の政府指導者の態度です。無責任に問題を放置するよりはましですが、それでは国民は説得されません。巨大な財政赤字は過去20年にわたる政府の政策決定の積み重ねの帰結です。与野党を問わず国会に議席を持つ政治家、政策を企画立案した官僚組織に所属する人々は、それぞれ形や重さは違いますが、何らかの責任を有しているはずです。要路にある人々が自らの罪を国民に告白することから、増税論議は始まるべきです。
メディアでは、財務事務次官の勝栄二郎という人が政策決定を取り仕切っているとも伝えられます。この人物が財務省の事務方のトップに上りつめるまでには、主計局の責任者として様々な予算編成を統括してきたはずです。自分たちが編成した予算が、本当に国民の税金を適切に使うものだったのか、一度正直なところを聞きたいと私は念願しています。
• 民主党が政権交代の時に掲げていた「政治主導」という旗印も、すっかり色あせました。しかし、野田政権が国の命運を左右する大きな課題に取り組みたいのなら、ここでもう一度政治家としての責任を取るべきです。増税を訴える前に、なぜこれほど惨憺たる財政状況に陥ったのか、自らの罪を明らかにした上で、他の政治家や官僚にもその責任を明らかにさせることが、政治指導者としての責任の取り方です。無責任の体系に今終止符を打たなければ、日本の民主政治は崩壊するしかありません。