“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

首長アンケート 進む復興、地域格差

2015年03月11日 14時45分00秒 | 臼蔵の呟き

被災地の現状:首長アンケート 進む復興、地域格差

 東日本大震災から4年に合わせて、毎日新聞は震災で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島3県42市町村の首長に復興に向けた課題や現状を聞くアンケートを実施した。2015年度で区切りとなる集中復興期間後の財源確保を懸念する声が多く、生活の根幹である「住まい」の復興遅れは依然として続いている。一方、復興工事の進捗(しんちょく)について「かなり進んでいる」と回答する自治体もあり、復興の地域間格差も生まれつつある。

 ◆復興の障害

 ◇「集中期間後」に不安

 42自治体(岩手12、宮城15、福島15)に震災半年後から毎回聞いている「復興へ向けた最大の障害や課題」は、今回も「財源」と答えた首長が13人(岩手4、宮城8、福島1)と最も多かった。国が当初設定した「集中復興期間」(5年)の最終年度を迎えるにあたり、翌年度以降、国がどのような財政支援を継続するのかが、最大関心事になっている。

 自治体の財源問題は、政府の復興基本方針を受け、11年10月に本格的な復興予算となる12兆円の第3次補正予算が組まれ、当面の手当ては付いた。しかし、徐々に復興事業が本格化するなかで、建設資材の高騰や人手不足などにより工事の進捗に遅れが生じている。

 岩手県久慈市は一部の事業で期間内の完成が困難になっていることを明らかにしたうえで、「現在の実質負担なしのスキーム継続が未定で、16年度以降の財源が懸念される」と、これまでと同様の支援継続を要望。宮城県利府町は「復興予算の圧縮などによっては、今後の事業進捗に影響を与えかねない」と懸念する。福島県飯舘村は「各事業の高率補助枠の確保」とさらなる拡充を要請する。

 回答で次いで多かったのは「原発事故」で、福島県の15人のうち12人が挙げた。県内では汚染水問題のトラブルが続くなど、いまだに事故収束の見通しが立っていない。各自治体とも「住民帰還の障害になっている最大の課題」(富岡町)、「風評被害の払拭(ふっしょく)に困難を極めている」(いわき市)と、いら立ちを募らせている。

 一方、各自治体の復旧・復興工事が進むなかで、自治体職員のマンパワー不足も依然として課題だ。総務省によると1月現在、被災3県の計41市町村から1506人の職員派遣要請があり、全国から1270人が派遣されているが、土木や建築職を中心に200人以上が不足している。

 震災3年まで1割近くの回答があった「法制度の不備」や「国や県の復興構想や方針が具体性に欠ける」はゼロだった。住宅地高台移転などに向け懸案となっていた土地収用手続きの簡素化が、昨年4月の復興特区法改正で実現したためとみられる。

 ◆復興工事

 ◇7割「進んでいる」

 復興工事の進捗状況は、仙台市、岩手県岩泉町、福島県田村市が「かなり進んでいる」と回答。「ある程度進んでいる」は岩手県大船渡市などが加わり、岩手8、宮城11、福島9の計28人となり、全体の7割の自治体で復興工事が進んでいるとの認識だ。

 残る11自治体に「遅れ」の理由を選択式の複数回答で尋ねたところ、6人が「自治体職員不足」(岩手2、宮城2、福島2)、4人が「業者や作業員不足」(岩手1、宮城1、福島2)を挙げた。マンパワー不足に加え、「入札不調」(岩手3、宮城1)も続いている。

 「その他」と回答した中には「区画整理事業の起工承諾に苦労している」(岩手県陸前高田市)、「住民との合意形成に時間を要し着手が遅れた」(宮城県名取市)、「除染が終了していない」(福島県飯舘村)といった声もあった。

 また、各自治体に「復興で遅れているものは何か」(三つ以内選択)を聞いたところ、昨年9月の前回調査同様、「住まい」が18人(岩手7、宮城5、福島6)とトップ。次いで「防潮堤」が15人(岩手8、宮城7)と上位を占めた。

 一方、前回16人と多かった「道路や鉄道」は10人(岩手4、宮城5、福島1)と減り、「商工業」が4人増えて12人(岩手4、宮城4、福島4)と逆転。交通機関の復旧が進む中で、復興の焦点が商店街などの地域の再生に移ってきている。「除染」は福島15人のうち8人が挙げた。

 ◆住民生活

 ◇仮設長期化が課題

 「住民生活で一番問題になっていること」は、前回までの調査同様、津波で大きな被害を受けた岩手、宮城両県と、原発事故の被害に苦しむ福島県で異なっている。

 岩手、宮城両県では27人のうち17人が「住居」と回答。「長期にわたる仮設住宅での生活で、将来への不安による心身の不調や生活再建意欲の減退が見受けられる」(宮城県女川町)など、依然、仮設生活の長期化が課題になっている。仙台市は「その他」を選択したものの、具体的な事例として「住宅再建と生活再建」を挙げ、「現在も約7100世帯が仮設住宅で暮らし、住まいと生活の再建を円滑に進めることが課題」とした。

 福島県では大熊、富岡、飯舘、川内の4人が「帰還見通しが立たない」を挙げた。広野町は「東電の賠償金不足」を選択。「その他」を選択した自治体でも「除染」(川俣町)「全村避難からの住民帰還」(葛尾村)「原発事故によるコミュニティーの分断」(田村市)を挙げ、原発事故の収束が最優先課題だ。

 一方、岩手県洋野町、宮城県岩沼市、福島県相馬市は「その他」として「特になし」と回答した。「全体としておおむね復旧している」(宮城県松島町)、「突出して問題になっているものはない」(同県利府町)など、住民生活は徐々に改善してきている。

 ◆原発政策

 ◇「将来的に全廃」半数

 福島原発事故後の原発政策のあり方について、岩手、宮城県を含めた全42自治体に聞いたところ、「将来的に全廃すべきだ」とした首長は22人と、今回も半数を占めた。「その他」を選択した11人も「再生可能エネルギーなど、多様なエネルギーで原発依存度を低減させるべきだ」(仙台市)、「電力の安定供給のため原発が必要なら再稼働を検討すべきだが、将来的にはリスクの低い電力に移行すべきだ」(宮城県石巻市)などとし、中長期的には脱原発の方向性を多くが求めている。

 福島県では、15自治体のうち8人が「将来的に全廃」を選んだ。全町避難中の富岡町は「最終処分場や核燃料サイクルの明確な考え方のない中での運用」と、現状での原発再稼働を批判。双葉町は「費用対効果も含めて代替エネルギーのあり方を議論すべきだ」とした。

 約6700人が県内外に避難している飯舘村は「直ちに全廃するのは産業、日常生活に影響が出る」とし、県内では唯一「安全確認を厳しくして残すべきだ」を選択した。

 残る6自治体は「その他」を選択。ほとんどの自治体は「県内は全基廃炉」のスタンスで一致しているが、「国の政策について述べると、他の原発の是非を論じることになる」(大熊町)などと明確な回答を避けた。

 ◆阪神の教訓

 ◇被災者のケア、参考に

 阪神大震災から今年で20年が経過したのを受けて、今回の調査で「阪神の教訓は生かされたか」を尋ねた。被害の広域性や津波、原発事故など災害実態の質的な違いから、「十分でなかった」を含めて「生かされなかった」と答えたのは18人(岩手5、宮城5、福島8)と約4割に上り、「ある程度」を含めて「生かされた」とした16人(岩手5、宮城9、福島2)を上回った。

 教訓が生きた事例としては「復興事業への財源措置」(岩手県普代村)▽「復興計画の速やかな策定」(同県久慈市)▽「避難所や仮設住宅の運営、被災者の心身のケア」(同県田野畑村)などが挙げられた。

 宮城県塩釜市は「住宅や公共施設の耐震化を進めていた。地震被害はあったが、危機管理機能を失わず対応できた」と評価。同県南三陸町は「阪神では仮設住宅などで孤独死問題が発生したが、兵庫県からの応援職員の協力で対策を検討できた」と、自治体間の協力態勢が強化されたとした。

 一方、福島県は15自治体のうち8人が「十分でなかった」と回答。「生かされた」と回答したのは「ある程度」が2人だった。「原発事故は地震災害と異なる」といった意見が根強く、5人は「検討段階にない」とした。

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 ◇調査方法

 岩手、宮城、福島の3県沿岸部と、東京電力福島第1原発事故に伴う避難区域が設定された自治体の計42市町村長(岩手12、宮城15、福島15)を対象に、2月にアンケートした。調査は震災3カ月から始め、1年目は計4回、2年目以降、半年ごとに実施し、今回が10回目。


ドイツ政府と安倍、自民党政権の違い

2015年03月11日 12時30分17秒 | 臼蔵の呟き

歴史の改ざん、歴史教科書の改ざん、侵略戦争の否定、靖国参拝と続く安倍、自民党極右政権は世界の主要国と比較して異常さが際立っています。しかし、安倍、自民党中枢はその異常さを深刻な政治問題と理解できない深刻さがあります。ここに、日本の政治的な危機、政権党の政治的、倫理的な退廃があります。

第二次大戦、中国アジア侵略戦争を引き起こした敗戦国であるドイツと日本の違いは明確であり、政権党の倫理観、知能レベルの格差は歴然としています。悲しいことですが。

[ⓒ 中央日報日本語版]

メルケル独首相、日本野党代表に「従軍慰安婦の問題をきちんと解決すべき」

  日本を訪問しているドイツのアンゲラ・メルケル首相は10日、野党代表と会った席で「従軍慰安婦の問題をきちんと解決した方がいい」と述べたことが伝えられた。

  時事通信など日本メディアによると、メルケル首相は同日、岡田克也民主党代表と会談した席で「日本と韓国は価値観を共有している。従軍慰安婦の問題をきちんと解決した方がいい」と述べた。

  岡田代表はメルケル首相に韓日間の歴史問題についての解決努力を紹介して「痛みを与えた方は早く忘れたいが、痛みを受けた方は容易に忘れられない。そういうことを踏まえて、和解の問題は対応しなければならない」と伝えた。


東日本大震災から4年

2015年03月11日 10時39分19秒 | 臼蔵の呟き

東日本大震災から4年が経ちました。

第一に、衣食住の内、復興住宅、居住環境の整備、充足が不十分であり、4年たっても避難している。仮設に入居し続けているなどは非常に大きな問題です。このことは、政治の責任であり、政治の怠慢であるといえます。

第二に、雇用の確保、地域の中小零細企業の復旧、復興を点検し、その復興を政治が支援することです。そうしなければ、被災者の就労場所は確保されず、日々の生活費が不可能です。これほど大規模な災害には、他地域、政治の支援がどうしても必要であり、被災自治体、被災者の努力だけでは限界があります。そのうえで、被災自治体、被災企業が意欲を持って復旧、復興に立ち向かうような経済的、技術的な支援を用意し、実行することが必要です。

第三に、被災地は過疎化、高齢化に直面していました。その点では、高齢者への対策が重視される必要があります。医療面での支援と、経済的な支援が欠かせません。

○以下が昨年三月の北海道新聞社説でした。震災被害から4年がたち何が進み、何が遅れ、その結果、自治体機能、地域復旧復興が計画との関係で十分進んでいるのかどうかが問われています

<北海道新聞社説>大震災3年 遅れ目立つ復興     被災者救えぬ政治の怠慢

 東日本大震災から3年がたつ。

 死者は1万5千人を超え、なお2600人が行方不明だ。地震、津波に東京電力福島第1原発の事故が加わり、約27万人が避難生活を余儀なくされている。一部の被災地では高台移転のための用地造成や復興公営住宅の建設が始まった。だが、仮設住宅にまだ約4万5千戸が入居している。大災害の傷痕は生々しい。

 復興の歩みは遅く、被災者が安心できる日はまだ遠い。にもかかわらず国の政策に失速が見られるのはどうしたことか。

 被災地を置き去りにして日本の再生はあり得ない。震災復興が国の最重要課題だと再認識し、全力で取り組まなくてはならない。

■隠せなくなった矛盾

 「時間の経過とともに、くさいものにフタをして自分の方向に進もうとしている。被災地にいるとそれが見えてしまう」。岩手県陸前高田市の戸羽太市長は仮設庁舎の小さな市長室で語った。

 被災地の苦悩を尻目に、安倍晋三政権は独善的な政策を進める。大企業を優遇して復興法人税を前倒しで廃止し、公共事業重視が資材高騰と人手不足をもたらした。集団的自衛権の行使容認に動く首相の姿は、被災地の人々から見れば「復興を担う子供たちの未来に、戦争が起きるかも知れない状況をつくっている」ように映る。

 震災直後に比べ復興への熱意が冷めかけているのではないか。復興予算は相次ぐ流用で底を突きつつあり、財源探しが必要な状況に陥っている。国の政策と震災復興との矛盾は隠せなくなってきた。

 福島県では民家の庭に放射能で汚染された土砂が散在する。中間貯蔵施設の建設場所が決まらないから行き場所がない。最終的にどう処分するか見通せないので中間貯蔵施設受け入れも決まらない。

 一番大事な問題を後回しにしたまま、目先の事象に対応しようとするから根本的解決にならない。「くさいものにフタ」とはこうした現実逃避を指すのだろう。

■肝いりの課題に軸足

 震災復興が進まない背景を探ると、視野が狭く内向きな政治の姿が見えてくる。

 安倍首相は復興を最優先課題に掲げて就任した。だが現実には経済政策で国民の支持を取り付けた上で、解釈改憲や積極的平和主義など自ら肝いりの政治課題に突き進もうとしている。国論を二分する問題で国民的合意を追求しない。一部の勢力に頼れば政権を維持できると考えるからだ。そこには国全体の利益を図ろうとする視点が足りない。

 その首相を、野党暮らしに懲りた自民、公明両与党が支える。震災時に政権の座にあった民主党も現政権批判に鋭さがない。

 未曽有の大災害に既存の制度で対応し国民の信頼を損ねた官僚組織は、今ある権限にしがみつく。経済界は東京五輪をアベノミクスの「第4の矢」だと称賛し、ビジネスチャンス獲得に余念がない。

 指導的立場にある人たちが自分の利益を優先する姿勢をとれば、社会への影響も避けられない。

 被災地との「絆」を大切にする気持ちが薄れ、外国人をののしるヘイトスピーチや無差別に人を襲う通り魔事件など、ささくれ立った社会現象が増えている。 日本全体を重苦しい空気が覆っている。これは国民の多くが震災直後に目指した国の姿ではない。

■分散型社会の実現を

 教訓を見失ってはいけない。

 大震災がえぐり出したのは、地方の犠牲の上に大都市が成り立つというこの国の構造的な問題だ。分散型社会の実現は震災後の日本にとって大きな課題と言える。高い確率で首都直下地震が予想されている。だが国の対策はインフラ強化などハード面に偏っている。首都機能の移転が急務だが具体化しない。安全対策を怠った震災前の原発のありようと同じだ。

 既存の権限を地方に渡さない中央省庁主導の行政と、官僚に依存した政治の打破が不可欠だ。大胆な発想で未来を切り開くことが肝心である。震災前に逆戻りするかのような政治の現実があるために、いまだに多数の被災者が避難を強いられ、震災関連死も増えている状況が続いている。どう見ても異常だ。危機は去っていない。

 「被災地に寄り添う」という言葉をいま一度思い起こす必要がある。自分だけ良ければいいという考えを抑え、人と人との結びつきを基盤とした社会をつくりたい。


東日本大震災4年

2015年03月11日 05時05分57秒 | 臼蔵の呟き

4年が経ちました。地震と津波で亡くなられた方への冥福を祈ります。また、被災された市民が、いまだに仮設に暮らす実態を解消することの緊急性を強く訴えます。福島第一原発で避難された住民が生活保障と安心して住むことができるような環境整備がされることを切に要望します。これらはすべて政治が果たすべき責任、課題です。

4年前の東日本大震災の日、仙台は午前から午後にかけて晴れ、比較的に温かな日差しがある日でした。また、夜は雪が舞い、路面が凍結する寒さに見舞われました。

午後2時45分に発生した巨大地震は、私たちにとっても住民にとって信じがたい揺れと被害をもたらしました。私は仙台市中心部、仙台駅の東500mの建物にいました。市中心部は夜になると停電で真っ暗でした。情報も入らずに、不安な時間が経ちました。アパートに帰るにも地下鉄、公共交通機関はなく、2人で凍結した道路を徒歩で帰ることにしました。その途中はビルの軒下に多くの市民が寒さをしのぐために、立ちすくんでいました。

来ると分かっていた大地震、宮城県沖地震でした。しかし、海岸部での津波への意識は非常に希薄になっていました。その直前にも地震がありましたが、繰り返される地震と小さな津波になれ、津波への警戒心が薄れていたことも事実と思います。巨額の費用がかかる地震対策、津波対策であっても、知恵を出し合い、今後到来するであろう巨大地震と津波対策をこつこつと行うことは有効であり、災害への備えとして重要な取り組みと思います。1つ1つの取り組みを積み上げ、自然災害の被害を少しでも小さくすることが必要です。

<東京新聞社説>東日本大震災4年「命山」で命を守る

 津波から命を守る「命山(いのちやま)」を築こうという動きが広まってきた。東日本大震災を機に見直された先人たちの知恵である。その動きを、もっと広めたい。

 静岡県袋井市湊(みなと)に古墳のような人工の丘「湊命山」が完成したのは二〇一三年十二月である。高さ七・二メートル。公園として市民に開放されている頂上からは、周囲に広がる集落や田園風景を、空気の澄んでいる日には富士山も見渡すことができる。

 遠州灘に面する袋井市は、南海トラフ地震で最大10メートルの津波が想定されている。海岸から1キロほどの湊地区一帯は、海抜二~三メートルしかない。それでも、津波の危険が迫れば、その頂上部に千三百人が避難できるようになった。

 命山の造営は、東日本大震災の後、津波への危機感を強めた地元自治会連合会が市に要望し、実現した。発想の原点は、この地に残る江戸時代の命山だった。

 延宝八年、つまり1680年の台風は、この一帯に大きな被害をもたらした。高波、高潮で6000軒余の家屋が流され、三百人余が命を落とした、と伝えられる。

 生き残った村人たちは、悲劇を繰り返さぬよう集落の中に築山(つきやま)を造った。その後、幾度も高潮や洪水が来襲したが、そのたびに多くの住民が築山に避難して命を守ることができた。その築山は、いつしか「命山」と呼ばれるようになった、という。

◆よみがえる先人の知恵

 300年以上たった今も高さ五メートルの中新田命山、三・五メートルの大野命山(ともに静岡県指定文化財)が残り、先人たちの知恵を伝えていた。東日本大震災は、その知恵に再び光を当てたのである。

 命山は、津波に有効か。

 東日本大震災で津波に襲われた岩手県山田町では、町中心部の御蔵山に三十人余の住民が避難して助かっている。

 御蔵山は、慶長三陸地震(1611年)を教訓に、山を削って高台を造り、津波から年貢米を守る米蔵を建てた場所。400年の時を経て人々の命を救ったのである。

 仙台市・荒浜の海岸公園も、取り囲む広大な防災林ごとすべて津波に押し流された。その中で、冒険広場と呼ばれる高台だけが浸水を免れた。登った公園スタッフ二人、近くの一家三人と犬、猫各一匹は、その日のうちにヘリコプターで救助されている。

 高さ十三メートルの冒険広場は、実は、覆土して整備された昭和期のごみ捨て場だった。

 津波から身を守る鉄則は、迷わず安定した高い場所へ、である。

 津波が来ることのない場所で暮らす、つまり高台移転が一番確実だろうが、そうできないところもある。辺りが平たんでは難しい。とすれば、いつでも逃げ込める高い場所が欠かせない。

 巨大な防潮堤を築く、つまり自然の猛威を力ずくで抑え込もうという考え方もある。数百年に一度ともいう巨大地震を想定すれば、長大なコンクリートの壁となる。海との共存、海岸線の環境や景観は損なわれてしまう。

 それを思えば、先人の知恵、命山は理にかない、しかも、人にも環境にも優しい。

 同じ狙いの津波避難タワーは、維持費がかさむ上、鉄の劣化などで耐用年数は五十年ほど。命山は広い敷地が必要だが、何百年も風雪に耐えることは歴史が示す通り。収容人数はタワーより多く、平時は住民の憩いの場に利用できる。車いすなどもスロープで上がりやすい。

 実際、命山を造る動きは各地で起きている。浜松市など静岡県の各地で、愛知県の田原市や蟹江町で、三重県の津市で…。仙台の海岸公園も命山を四つに増やして再興を目指す。

◆人にも環境にも優しく

 その動きを、もっともっと広めたい。無論、用地確保や盛り土の確保は容易ではないだろう。ならば、知恵を出し合わねば。

 例えば、リニア中央新幹線のトンネル工事で今後、膨大な建設残土が発生する。運搬に支障がなければ、その土を命山に生かすことはできないか。実際、東京の夢の島は、ごみだけでなく地下鉄工事の土で丘のように築かれている。

 新たな命山は、やがて緑に覆われて日本の風土に溶け込み、人々に憩いと安心を提供するはずだ。

 大津波は日本への大きな試練だった。何百年後の人々の命も守れるよう、私たちは、大きな構えで乗り越えていかねばなるまい。