“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

独首相の話と教訓

2015年03月14日 12時59分07秒 | 臼蔵の呟き

<東京新聞社説>メルケル独首相 語られた二つの反省

 ドイツのメルケル首相が七年ぶりに来日した。大戦後の廃虚から経済大国となった日独両国。過去と向き合ったドイツを受け入れ、平和を築いた欧州の歩みを、戦後七十年を考える参考としたい。

 ドイツは欧州連合(EU)の一員として、近隣諸国との強い信頼関係を築いている。これに対し、日本と中国、韓国との間には不協和音が目立っている。

 メルケル首相は来日講演で、近隣諸国との関係について「ナチスの時代があったにもかかわらず、ドイツは国際社会に受け入れてもらえた。過去ときちんと向き合ったからだ」と説明した。

 戦争の「過去」をめぐる欧州と東アジアの事情は違う。ドイツはナチスによる侵略と大虐殺の事実を認め、欧州は共通の歴史認識づくりに大きな成果を挙げてきた。これに対し、日中韓の間では歴史認識での隔たりは極めて大きい。しかし、その中で、戦後五十年の村山富市首相談話で表明した「植民地支配と侵略」に対する反省とお詫(わ)びは、日本外交の基盤である歴史認識の根幹となってきた。戦後七十年談話でも、これを曲げることなく明確に表明し、周辺国の理解を得た上で、歴史認識の溝を埋めていきたい。

 メルケル首相はまた「独仏の和解はフランスの寛容な振る舞いがなかったら、可能ではなかった」と述べた。「東シナ海、南シナ海における海上通商路の安全が海洋領有権をめぐる紛争によって脅かされている」とも発言して中国をけん制、解決のため、二国間対話のほか、東南アジア諸国連合(ASEAN)の活用を呼び掛けた。日本の周辺国にも寛容さや自制を促したのは注目される。ASEANの活用はEUに学ぶ点が多い。

 ドイツの脱原発政策への転換については「核の平和利用には賛成してきたが、福島の原発事故で考えを変えた。日本という高度な技術水準を持つ国でも事故が起きることを如実に示した。想定外のリスクがあることが分かった」と、事故の衝撃の大きさが引き金となったことをあらためて強調した。

 安倍晋三首相は首脳会談後の会見で、原発再稼働を進める方針を重ねて明言した。しかし、最近でも、福島第一原発の汚染水の外海流出が明らかになるなど、メルケル首相が指摘する想定外の「リスク」は何ら解消されていない。ドイツが福島の事故を教訓としたように、日本もドイツの決断の意味を、いま一度しっかりと考えたい。

 


中間貯蔵施設搬入 

2015年03月14日 10時59分20秒 | 臼蔵の呟き

4年たってようやく中間貯蔵施設への搬入が始まりました。4年間も核物質に汚染された土、その他の物質を除染した地域に保管したのですから異常と言われても仕方がありません。また、放射能による健康被害から少しでも逃れたいと考える国民の心情は当然のことです。東京電力と自民党政権の責任は追及されてしかるべきことです。

また、その核物質に汚染された残土、除染物を三十年間にわたり、身近なところで保管してもよいと考える自治体、住民があるとは思われません。当事者である東京電力でさえも受け入れないような危険な汚染物を大量に受け入れる地域、自治体があるはずがありません。

このような原子力発電所を全国に54基も立地させ、建設させた歴代自民党政権こそがその責任を問われなければなりません。このようなでたらめな政権、政策に終止符を打たなくてはなりません。

<北海道新聞社説>中間貯蔵施設搬入 安全に最大限の配慮を

 復興を進める契機としたいが、生活の安心にはほど遠い。

 環境省はきのう、東京電力福島第1原発事故の除染で生じた汚染土を福島県内に設けた中間貯蔵施設に初搬入した。

 建造先の双葉・大熊両町の地権者には最長30年間、郷里に近づけなくなる苦渋の決断を強いる。

 原発推進が国策だった以上、政府は施設の必要性やその管理、将来の措置について2千人を超える地権者に説明を尽くさなくてはならない。理解を得ずして土地の買収や借り上げは進むまい。

 全村避難が続く飯舘村を2年ぶりに訪ねた。前回との違いは、家々の庭先や畑に牧草ロール大の袋に詰められた除染後の土が何十袋も積み上げられていたことだ。

 県内の居住地域も同様だ。除染はしても汚染土を身近なところに置いておかなければならず、放射線のリスクと隣り合わせの生活が続く。置き場不足から除染が滞るケースも出ている。

 中間貯蔵施設はこうした状況を解消するためのものだ。

 地元感情を考えれば、放射性物質が漏れ出さないよう遮水や覆土を万全にする。輸送中の飛散や事故防止に気を配るのも当然だ。

 国には県・2町と結んだ安全協定を順守してもらいたい。

 地域説明会で「避難者がさらにつらい思いをする」「東電の電気を利用した地域で最終処分するならば、国民は賛成してくれる」といった思いが住民から吐露されたことを忘れてはならない。

 政府は30年以内に他県で最終処分することを法制化した。放射性物質を分散することは避けたいが、電力の受益者が痛みを分かち合わなくていいのかという議論は今後なされてしかるべきだ。

 汚染土からは長年にわたって放射線が出続ける。主たる汚染源のセシウム137は30年たっても線量は半分にしか減らない。

 量も膨大だ。最大で東京ドーム18個分の2200万立方メートルが見込まれる。ダンプカーを2千台動員しても搬入に3年かかる量だ。

 それを見越して施設の広さは新千歳空港二つ分の16平方キロメートルに及ぶ。県外での最終処分をほごにせぬよう、政府は早期に工程表を作り、選定や説得に着手すべきだ。

 広範囲に及ぶ放射能汚染は、避難区域の線引きや賠償額の差、自主避難の是非などをめぐって自治体内や地域、家族内にまで亀裂や分断を生んだ。

 汚染土撤去と併せ、「心の溝」の修復にも力を入れていきたい。

 


歴史に真剣に向き合うこと

2015年03月14日 05時18分18秒 | 臼蔵の呟き

 経済問題、雇用問題、安全保障問題とーーさまざまな政治課題があります。人間として、国として最も重要なことを教えてくれているようなドイツ首相の歴史認識、中国紙の歴史認識です。天皇制政府が行った戦争が侵略戦争ではない。従軍慰安婦問題は日本軍が関与していない。――などなど、安倍、自民党極右政権には理解できないのでしょう。残念なことです。

<人民網日本語版>週刊深読み『ニッポン』第76回

 歴史に真剣に向き合うことこそ日本の唯一の道

 安倍首相は第2次大戦終結70周年を記念する「安倍談話」の発表を計画しており、国際社会の注目を集めている。ドイツはこれについて沈黙を破り、メルケル首相の訪日は、第2次大戦の歴史認識について安倍首相に教え諭すという、日本が予想しなかった歴史講座となってしまった。ドイツの首脳としてのメルケル首相は、日本に対して行ったのは慣例的な実務訪問に過ぎず、外交儀礼から言えば「先生の身分」として日本を教育する必要性はない。だがメルケル首相が第2次大戦について日本に伝えたかったのは、歴史は書き換えることもごまかすもできないもので、その正当な評価を真剣に求めるべきだという正道である。(文:厖中鵬・中国社会科学院日本研究所専門家)

 ドイツと日本との比較は世界でも早くからされてきた。ドイツが欧州一体化のエンジンとして世界的にも受け入れられたのは、ドイツがナチスの犯した罪悪と早くに向き合い、勇気と行動によって被害国の理解と信頼を得たためである。ドイツはナチスの暴行をごまかすことなく、その崩壊はドイツの「解放」であったとまで言った(ワイツゼッカー大統領の1985年の演説)。第2次大戦終結から70年の今年は、記念と同時に思考に値する重要な年である。硝煙は消えても歴史は客観的に存在しており、時が過ぎればなくなるものではない。侵略戦争によって被害を受けた国とその国民にとってはなおさらである。70年という節目は、人々に戦争の苦しみを思い返させている。歴史を汚してねじ曲げるような発言は、ファシズムに蹂躙された国とその国民の尊厳に泥を塗るものとなる。

 国際社会とりわけ日本軍国主義の残虐な侵略を受けたアジア諸国とその国民は現在、大きな危機意識を持っている。安倍内閣が発表を予定しているとされる「安倍談話」が、第2次大戦終結70周年の敏感な年に、日本による侵略という事実を覆い隠すものとなり得ると伝えられているためである。「安倍談話」への関心が高いのは、談話そのものが非常に重要だからではなく、日本政治の今後の方向、とりわけ第2次大戦の侵略に対する日本の立場がこれを通じて判断できるためである。1995年の「村山談話」における「(アジア諸国に対する)植民地支配と侵略」という文言を残しているのであれば、国際社会は何とかこれを受け入れられるだろう。だがもしもこの文言が消され、ごまかしの言葉がこれに代えられ、さらには侵略の美化に余地を残すものとなるのであれば、「安倍談話」は、世界の良識に向かってたたきつけられた挑戦状となる。そうなれば日本は国際社会という大家族から隔絶されることになる。犠牲の上に実現された第2次大戦後の平和的国際秩序には、破壊的な日本を受け入れる余地はない。

 「安倍談話」を考えるには、第2次大戦のアジアの主戦場であり、世界の反ファシズム戦争の主要参加国の一つであり、日本の軍国主義の侵略を受けた国である中国が問題となる。「安倍談話」は、中国というトピックを避けては通れない。「安倍談話」がいかにそれを語るにせよ、中国というトピックは客観的に存在しており、回避はできない。

 メルケル首相は訪日で、「和解の前提は過去の総括にある」「ドイツの和解は過去と向き合うことで初めて可能となった」と繰り返した。安倍首相はメルケル首相のこの言葉を聞いてどう思っただろうか。メルケル首相は正しい。第2次大戦で欧州を戦場に変えたドイツの反省なしには、欧州全体の和解もなかった。欧州の和解は、ドイツによる過去の総括の上に成り立つもので、この総括がなければ和解全体が崩れる。

 昨今の日本の近隣外交の行き詰まりの根本的な原因は、日本が過去から抜けだせず、過去の「帝国の栄光」に未練を持っていることにある。侵略の歴史を正面から語ろうとする人は「自虐」と責められ、「日本の名誉を損なった」とまで言われる。日本に過去の総括ができなければ、日本と隣国との和解の道はより遠く、険しくなることだろう。過去の総括を心から願ったドイツは、欧州の和解を成し遂げた。曖昧な態度で事実をねじ曲げ過去を否定する日本は、近隣外交の行き詰まりからなかなか抜け出せずにいる。

 今年は、中国人民抗日戦争勝利及び世界反ファシズム戦争勝利70周年である。中国政府はこれを記念するため、様々な大型イベントの開催を計画している。その目的は、歴史を胸に刻み、犠牲者に思いを馳せ、平和の大切さを思い、未来を切り開くことにある。また善良なすべての人々に平和への願いと決意を呼び起こし、歴史の悲劇の再演を避け、第2次大戦の勝利の結果をともに守り、人類の明るい未来を切り開くことにある(中国外交部報道官の言葉)。中国は、日本軍国主義が発動した残虐な侵略戦争の主要被害国の一つであり、世界の反ファシズム戦争の勝利のために巨大な民族的犠牲を払った国である。歴史的な意味を持つこの年に、第2次大戦の戦勝国として記念活動を行うのは当然の成り行きである。中国を侵略し、第2次大戦のアジアの戦場の元凶となった日本は、これに対して過剰な反応をすべきではない。

 日本がアジア近隣外交の行き詰まりから脱するのに方法がないわけではなく、それもさほど複雑ではない。虚心になってドイツに学ぶのである。ドイツは日本の模範となり得る。

 「虚心」は「真心」の上に築かれるもので、そこには虚偽やごまかしがあってはならない。侵略戦争の血の教訓を虚心に総括し、侵略戦争の罪を心から悔い、第2次大戦の侵略の歴史を日本の恥と考えなければならない。侵略戦争をごまかしで飾り立て、日本の誇りとしてはならない。善悪をひっくり返して侵略史の否定や改ざんに走るべきではない。侵略は侵略であり、「侵略の定義は定まっていない」という理屈はまったく通用しない。

 だがドイツが模範となり得るのは、日本が自身に道義的な欠陥を認めての話である。日本がこれを認めず、「日本の戦後の国際社会への貢献」でこれをごまかし、過去の侵略史を取り繕い、これに正面から取り組むことを避けるならば、ドイツを模範にするということすらできないだろう。

 日本が過去の侵略史を真剣に直視することは、アジア近隣外交の行き詰まりを打開するために日本が必ず通らなければならない道であり、唯一の道である。アジアの歴史問題を解決するには、日本が過去を心から総括することが前提となる。第2次大戦終結から70周年の今年、「安倍談話」が語るべきはこの総括にほかならない。(文:厖中鵬・中国社会科学院日本研究所専門家)