“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

核汚染から4年 誰のための復興なのか

2015年03月12日 12時31分28秒 | 臼蔵の呟き

<信濃毎日社説>核汚染から4年 誰のための復興なのか

 ピーピーピー。福島県南相馬市の南西にある里山に入った途端、手元の線量計が警報音を鳴らし始めた。

 場所は東京電力福島第1原発から20キロ余りしか離れていない馬場地区。道路の周りを樹木が覆い、水道水に使われる川が流れる。通常の被ばく限度量は毎時0.23マイクロシーベルトだが、線量計の値は1マイクロ、2、3…もっと高い所もあった。

 この地区に自宅がある小沢洋一さん(59)は、この辺りの里山が第1原発から飛散した放射性物質の吹きだまりになっていると言う。その粉じんが風に舞い、あるいは雨水と一緒に川に流れ込み、南相馬全域に拡散している、と。

 「まだ人が暮らせる環境ではないのです」

   <放射線は依然高く>

 太平洋に面し、内陸に田畑が広がる南相馬は豊かな土地に映る。原発事故で、市南部の小高区、北部の鹿島区の一部などが避難指示区域に入っている。

 避難区域外で局所的に被ばく線量の高い場所を「特定避難勧奨地点」と呼ぶ。南相馬では、西部の山沿い7地区の152世帯が指定された。初めに触れた馬場地区は、その中の一つだ。

 政府は昨年12月28日、線量は下がっていないと訴える住民の反対を振り切り、指定を解除した。年間20ミリシーベルト(毎時3・8マイクロシーベルト)を下回っているとし、「線量が下がっている事実を伝えることが風評被害からの脱却、復興本格化のために重要」と政府は主張する。

 小沢さんの案内で、線量計を手に市中心部の原町区や小高区、勧奨地点を巡った。3.8マイクロを超える場所こそまれなものの、0.23マイクロを上回る地点は、市民が日常生活を送る原町区にも。勧奨地点の放射線量は、避難区域の小高区よりも高い傾向にあった。

   <「黒い土」は放置か>

 勧奨地点の世帯があった、大谷地区で区長を務める藤原保正さん(66)は「ずさんな測定で強引に解除し、その後の対策も示していない。政府は住民をばかにしている」と憤る。

 3.8マイクロ以下という値は、あくまで緊急時の避難解除の基準にすぎない。それが事故から4年がたつ現在も適用されている。

 空間放射線量とともに、深刻なのが土壌汚染だ。

 黒い土に複数の種類の放射性物質が混ざっていると、専門家と測定を続ける小沢さんは指摘する。線量計を当てると、出入りが厳しく制限される放射線管理区域の基準「1平方センチ当たり4ベクレル」をはるかに超える値が表れた。

 この「黒い土」が、市街地の公園、ベンチ、スーパーの駐車場、道路や側溝の脇、庭先や雨どいの下など至る所で見られた。「私たち市民は、放射線管理区域に相当する場所に4年も住まわされている」と小沢さんは話す。

 こうした土壌汚染の実態を、国も市も取り上げようとしない。7地区の区長らの会と、小沢さんが世話人の住民団体「避難勧奨地域の会」は、政府に指定解除の撤回や、生活環境汚染の再評価、対策の強化を繰り返し要請してきた。が、いまだ回答はない。

 両会はいま、安心して暮らせる権利の獲得を事故の影響を受けた全ての人たちに呼びかけようと、法的措置を検討している。

 政府は2012年12月、伊達市と川内村にあった特定避難勧奨地点を早々に解除。昨年4月には田村市都路地区で、同10月は川内村で、避難指示解除準備区域の指定を解いている。いずれも住民の反対を抑えての決定だった。

 解除して賠償を打ち切るためなのか。復旧の進捗(しんちょく)を印象付けるためなのか。政府の言う「復興本格化」が目的だとしても、解除された地域で、住民の帰還は思うように進んでいない。

   <被災者を見据えよ>

 南相馬でも同様で、勧奨地点の解除を機に、あきらめて移住した人もいる。大谷地区長の藤原さんは「住民の安全を守る義務がある。できるだけ戻ってくるなと言ってある」と語った。

 市街地の公園で幼い子どもを遊ばせている母親たちがいた。放射線が気にならないか、尋ねると「除染は済んだという市の情報を信頼している」「生活を続けなくてはならないから…」。そんな答えが返ってきた。

 桜井勝延市長は取材に、市内の放射線量は十分に下がっていると強調する半面、「心配するな、とは言えない」と繰り返した。その上で、再除染を含め、国がもっと住民の帰還を支える施策に力を入れるべきだと訴えていた。

 福島県では、なお12万もの人々が避難生活を強いられている。地元にいる人たちも暮らしの再建や健康面の不安を拭えていない。震災関連死も後を絶たない。

 安倍晋三首相は先日、英国のウィリアム王子とともに福島県を訪れた際、「遅れていた復興も新たなステージに入りつつあることを実感した」と述べていた。何を見てそう言うのか。被災者との溝をこれ以上深めてはならない。


大震災から4年 支援の手は緩められぬ

2015年03月12日 10時23分11秒 | 臼蔵の呟き

<北海道新聞社説>大震災から4年 支援の手は緩められぬ

 東日本大震災から丸4年の日を迎えた。地震や津波で約1万6千人が犠牲となり、約2500人がなお行方不明だ。23万人近くが避難し、自宅に帰れないでいる。「未曽有の大災害」の爪痕はいまでも生々しい。まちの再建が活発になってきた被災地もある。だがほとんどは将来が見えず、苦悩を深めている。

 気になるのは政府が「自立」の名の下に徐々に復興政策を縮小させようとしていることである。

 いまはまだその時期ではない。復興の遅れは政府の責任が大きい。安倍晋三首相をはじめ国が十分な支援を確約すべきだ。

 被災者にとって緊急課題は住まいの確保である。

 岩手、宮城両県では高台移転や災害公営住宅の建設が進み、入居が始まった所もある。だが、ここにきて懸念されるのは、計画通り建設しても全戸が埋まるかだ。復興事業は住宅用地の所有権をめぐる煩雑な事務手続きや安倍政権の経済政策に伴う建設資材の高騰、人手不足などで遅れた。

 避難者には待ちきれずに帰還をあきらめたり、自立再建の道を選んだりする人が増えた。

 住まいが整っても、仕事がなければ生活は成り立たない。津波の被害を受けた太平洋沿岸は主力の水産加工業の立ち直りが遅い。大きな原因は人手不足だという。

 避難先の内陸で安定した仕事を見つける人が目立っている。子どものいる働き盛りの世代ほど、地元に戻らない傾向が強い。まちづくりの担い手不足は深刻である。

 被災地の高齢化は進む一方だ。独り暮らしの家を見回るなどの人材確保は欠かせないが、自治体はどこも財政的な余裕がない。

 この状況で支援を打ち切れば、復興は立ちゆかなくなる。

 首相は2015年度までの集中復興期間の後、次の5年間の支援枠組みを夏までに策定すると表明した。高台移転など復興本体の事業は継続するが、その他は地元にも応分の負担を求める姿勢だ。

 税金を特例的に被災地に投入し続けることに慎重論はあろう。だが政府が被災地以外の地域に復興予算を流用してきたのも事実だ。 必要な予算が途切れることがあってはならない。実質的に全額国費で事業を進める集中復興期間の体制は維持すべきだ。

 被災者が安心できる日まで支援の手を緩めるわけにはいかない。それを実践するのは与野党の垣根を越えた政治全体の責任である。


東日本大震災4年

2015年03月12日 07時13分27秒 | 臼蔵の呟き

自民党型政治、権力者の支配は、常に国民の中に分断を持ち込み、組織が1つにまとまり、権力者、支配に歯向かわないことに腐心してきました。これは、一揆などに対する封建社会の支配勢力の弾圧などを見ても、共通して見出すことができます。現代においても人種差別と対立、宗派対立、キリスト教対イスラム、都市部と地方・過疎地帯などの格差、対立などに表れています。

大手企業による職場保障、就労の確保が過疎地での経済的な恩恵となっている現実を利用して、自民党が原発を過疎地帯に立地させてきました。そのことにより、過疎地帯、立地自治体は麻薬のような資金漬に陥り、そこから抜け出ることができなくなりました。原発が立地しても双葉町のように財政破たんした自治体があるのはそのことの教訓でもあります。原発資金で潤うのは地域のボスと、関連企業です。また、それら多くの企業は、楽して資金を手に入れる原発に依存し、地域振興、地域の長期的な発展などを考えなくなります。

人類が原発を利用することは現在の科学技術では無理があり、依存することを止めなければなりません。そのことが震災と福島第一原発事故から学ぶべき教訓と思います。

<東京新聞社説>東日本大震災4年 原発のまちに未来図を

 あの日から四年。福島の傷はまだ癒やされない。だからこそ、原発に依存しない地域の未来図を、描き始めてもいいころだ。私たちも、原発のある町も。

 四年前のきょう、元福井県美浜町議の松下照幸さん(66)は、東日本大震災の映像を見て「福島原発が大変なことになるぞ」と直感したという。

 原発銀座と呼ばれる福井県若狭地方で、反原発を唱え続ける少数派。「原発は地震に弱いと常々思っていたが、想像を絶する事故が起きた」と振り返る。

◆ふるさとはどうなるの

 「地震にやられたら、おしまいや」という近所の声を、松下さんもしばしば聞いている。「いつかあること」。原発のある町で暮らす人なら、そんな不安にとらわれることがあるはずだ。予感は現実になったのだ。

 福島原発の被災者は、放射能でふるさとさえも失った。あまりに過酷な現実の渦中にある。再び原発と共存できるとは思うまい。 

 他の原発立地地域にも、もはや原発の安全神話を信じる人はいないだろう。

 だが、原発がなくなれば、仕事は、暮らしはどうなるの。

 過疎化する町は、老後は、どうなってしまうのか。

 「原発がある不安」と「原発がなくなる不安」のはざまで、住民は今も揺れ続けている。松下さんは、かつては原発推進派に身を置いた。しかし、1986年のチェルノブイリ原発事故を境に、考えを改めた。

 そして三年前の九月、欧州視察の成果を踏まえ、美浜町長に宛てた脱原発の提言書をしたためた。その中で次のように書いている。

 <都市部の多くの人たちは、『危険な原発は止めればよい』という思いなのでしょうが、私にはそうはいきません。原子力発電所で働いている人たちの生活があります。自治体の財政問題もあります。それらを解決しようとせずにただ『止めればよい』と言うのであれば、私は都市部の人たちに反旗を翻さざるを得ません>

 立地地域の暮らしの不安を解消できないうちは、大手を振って脱原発とは言い難い。

 電力事業者は、原発再稼働の勢いに乗り、老朽化した小型原発を廃炉にし、大型に建て替える計画を進めている。

 ところが、3・11以降、世界的にも原発の安全基準が厳格化され、建て替えの費用もかさむ。原発大国フランスさえ、新設に二の足を踏むような状況だ。

◆キーワードは地消地産

 少なくとも先進国では、原発は割に合わないという認識が進んでいる。四十年という原子炉の法定寿命が守られる限り、近い将来、国内の原発はゼロになる。

 原発に代わる産業、雇用、財源をどうするか。

 たとえ今ある原発の再稼働がスムーズに進んでも、立地自治体が早晩直面する課題である。

 廃炉や核のごみの中間貯蔵を受け入れて、一時的に雇用を生み出すことはできるだろう。しかしそれでは、放射能の不安から逃れることはできないし、大企業の下請け的体質から抜け出せない。

 松下さんは、脱原発依存のキーワードとして、「地産地消」ではなく、「地消地産」を提唱する。地域で消費するものを地域で自給することから始めよう、という考え方だ。

 人口約一万人の美浜町全体の光熱費は、年間五十億円に上るという試算がある。そのエネルギーは町外から買っている。

 新築の住宅は、大手のハウスメーカーなどが建てている。町内に豊富な森林資源が活用できていない。

 たとえば、木材のかけらや廃棄物(バイオマス)を燃やして沸かしたお湯を送り込む事業を起こす。ドイツでは総発電量の7%をバイオマスで賄っている。

 百世帯に一社の割合で、そのような熱供給の会社ができれば、エネルギーとお金が地域で回る。送電網の必要な発電事業とは違い、給湯の配管網なら地元で無理なくインフラも整えられる。

 過疎地にある原発で大量につくった電気を、はるかな都会に送り込むのとは、正反対の考え方だ。

 近々、同じ若狭のおおい町で、木材チップと太陽熱のハイブリッド(併用)による熱供給のモデルづくりに着手する計画という。

◆真の地方創生モデル

 大切なのは、小さな成功例を積み上げて、地域が自信を持つことだ。大都市本位で原発を推進してきた国は、結果として立地地域の自立の芽を摘んできた。その反省を踏まえ、「地消地産」の活動に支援を惜しむべきではない。

 大企業の恩恵に頼らない、地域にあるものを生かした地域のための産業おこし、これこそ本物の「地方創生」なのである。