<信濃毎日社説>核汚染から4年 誰のための復興なのか
ピーピーピー。福島県南相馬市の南西にある里山に入った途端、手元の線量計が警報音を鳴らし始めた。
場所は東京電力福島第1原発から20キロ余りしか離れていない馬場地区。道路の周りを樹木が覆い、水道水に使われる川が流れる。通常の被ばく限度量は毎時0.23マイクロシーベルトだが、線量計の値は1マイクロ、2、3…もっと高い所もあった。
この地区に自宅がある小沢洋一さん(59)は、この辺りの里山が第1原発から飛散した放射性物質の吹きだまりになっていると言う。その粉じんが風に舞い、あるいは雨水と一緒に川に流れ込み、南相馬全域に拡散している、と。
「まだ人が暮らせる環境ではないのです」
<放射線は依然高く>
太平洋に面し、内陸に田畑が広がる南相馬は豊かな土地に映る。原発事故で、市南部の小高区、北部の鹿島区の一部などが避難指示区域に入っている。
避難区域外で局所的に被ばく線量の高い場所を「特定避難勧奨地点」と呼ぶ。南相馬では、西部の山沿い7地区の152世帯が指定された。初めに触れた馬場地区は、その中の一つだ。
政府は昨年12月28日、線量は下がっていないと訴える住民の反対を振り切り、指定を解除した。年間20ミリシーベルト(毎時3・8マイクロシーベルト)を下回っているとし、「線量が下がっている事実を伝えることが風評被害からの脱却、復興本格化のために重要」と政府は主張する。
小沢さんの案内で、線量計を手に市中心部の原町区や小高区、勧奨地点を巡った。3.8マイクロを超える場所こそまれなものの、0.23マイクロを上回る地点は、市民が日常生活を送る原町区にも。勧奨地点の放射線量は、避難区域の小高区よりも高い傾向にあった。
<「黒い土」は放置か>
勧奨地点の世帯があった、大谷地区で区長を務める藤原保正さん(66)は「ずさんな測定で強引に解除し、その後の対策も示していない。政府は住民をばかにしている」と憤る。
3.8マイクロ以下という値は、あくまで緊急時の避難解除の基準にすぎない。それが事故から4年がたつ現在も適用されている。
空間放射線量とともに、深刻なのが土壌汚染だ。
黒い土に複数の種類の放射性物質が混ざっていると、専門家と測定を続ける小沢さんは指摘する。線量計を当てると、出入りが厳しく制限される放射線管理区域の基準「1平方センチ当たり4ベクレル」をはるかに超える値が表れた。
この「黒い土」が、市街地の公園、ベンチ、スーパーの駐車場、道路や側溝の脇、庭先や雨どいの下など至る所で見られた。「私たち市民は、放射線管理区域に相当する場所に4年も住まわされている」と小沢さんは話す。
こうした土壌汚染の実態を、国も市も取り上げようとしない。7地区の区長らの会と、小沢さんが世話人の住民団体「避難勧奨地域の会」は、政府に指定解除の撤回や、生活環境汚染の再評価、対策の強化を繰り返し要請してきた。が、いまだ回答はない。
両会はいま、安心して暮らせる権利の獲得を事故の影響を受けた全ての人たちに呼びかけようと、法的措置を検討している。
政府は2012年12月、伊達市と川内村にあった特定避難勧奨地点を早々に解除。昨年4月には田村市都路地区で、同10月は川内村で、避難指示解除準備区域の指定を解いている。いずれも住民の反対を抑えての決定だった。
解除して賠償を打ち切るためなのか。復旧の進捗(しんちょく)を印象付けるためなのか。政府の言う「復興本格化」が目的だとしても、解除された地域で、住民の帰還は思うように進んでいない。
<被災者を見据えよ>
南相馬でも同様で、勧奨地点の解除を機に、あきらめて移住した人もいる。大谷地区長の藤原さんは「住民の安全を守る義務がある。できるだけ戻ってくるなと言ってある」と語った。
市街地の公園で幼い子どもを遊ばせている母親たちがいた。放射線が気にならないか、尋ねると「除染は済んだという市の情報を信頼している」「生活を続けなくてはならないから…」。そんな答えが返ってきた。
桜井勝延市長は取材に、市内の放射線量は十分に下がっていると強調する半面、「心配するな、とは言えない」と繰り返した。その上で、再除染を含め、国がもっと住民の帰還を支える施策に力を入れるべきだと訴えていた。
福島県では、なお12万もの人々が避難生活を強いられている。地元にいる人たちも暮らしの再建や健康面の不安を拭えていない。震災関連死も後を絶たない。
安倍晋三首相は先日、英国のウィリアム王子とともに福島県を訪れた際、「遅れていた復興も新たなステージに入りつつあることを実感した」と述べていた。何を見てそう言うのか。被災者との溝をこれ以上深めてはならない。