「この悲劇を繰り返さないためには、われわれは広島と長崎で起きたことを決して忘れてはならない。どれほどの時間が過ぎようとも。」その通りです。
日本の天皇制政府と日本軍の蛮行は避難され否定されなければなりません。同時に、何があろうと無差別殺戮、アメリカによる原子爆弾の投下は許されるはずはありません。
[3日 ロイター]戦後70年、広島・長崎の「光と影」
[3日 ロイター] - 1945年8月6日、米国は広島に原爆を落とした。人口35万人の広島は世界で初めての被爆地となり、その年の終わりまでに約14万人が命を落とした。3日後の8月9日、今度は長崎に原爆が投下された。
70年前の夏、被爆地の道路や壁や橋などには、原爆の熱線によって焼き付けられた犠牲者の黒い影が残された。私は原爆の犠牲者を追悼するとともに、被爆地の今の影を写真に収めようと広島と長崎に向かった。
原爆の悲劇から70年たった今、広島と長崎には平和の日差しがどんなふうに降り注いでいるのだろうか。
6月から7月にかけて日本は梅雨時だ。今年は台風の通過もあって天候は例年以上に不安定で、影を撮影するには理想的なコンディションとは言えなかった。悪天候によって撮影は阻まれ、原爆投下70年の直前まで延期を余儀なくされた。
広島は梅雨明けしていたが、長崎はまだだった。見切り発車的に東京を出発する形になったが、現地では幸運に恵まれた。私が長崎入りする前日に天候は回復し、なんとか撮影を終えることができたのだ。
もう1つの頭痛の種は、自分自身の影が写真に入り込まないようにすることだった。影が伸びる夕暮れ時には特に難しかった。残念ながら、それによって多くの写真の使用を断念せざるを得なかった。
全国に被爆者は約18万人おり、その平均年齢は今年初めて80歳を上回った。
多くの被爆者は原爆の悲劇について口を開きたがらないが、被爆の証人が減りつつある今、若い世代に自分たちの経験を伝えようとする人たちもいる。
この悲劇を繰り返さないためには、われわれは広島と長崎で起きたことを決して忘れてはならない。どれほどの時間が過ぎようとも。