“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

戦争法案審議再開 ごった煮法案の無理

2015年08月21日 09時30分53秒 | 臼蔵の呟き

戦争法案は、憲法違反であることが最大の問題です。どうしても法律化するのであれば、前提は憲法の改正を国民に提案し、国民投票にかけるべきです。

その正規の手続きが成功しない、国民の信認が得られないことを知った上で、憲法の空文化を進めるのが今回の戦争法案の本質です。戦争するために国のあらゆる制度、法律を戦争動員に結びつけるために、あらゆる法案が関連しています。その複雑さを二つの法案にまとめるからこそ矛盾だらけの答弁と議論となるのです。

<信濃毎日社説>安保をただす 審議再開 ごった煮法案の無理

 参院の特別委員会が安全保障関連法案の審議を再開した。ただでさえ議論すべき点が多いのに、防衛省の内部資料をめぐる問題も持ち上がっている。

 法案の問題点の一つは、多岐にわたる内容を一気に推し進めようとしていることだ。

 会期末までの1カ月余りで論点を掘り下げるのは無理がある。生煮えのまま採決することになりかねない。この法案は、やはり撤回・廃案しかない。

 他国への攻撃を阻止するために自衛隊が武力を行使する集団的自衛権の解禁、「非戦闘地域」の枠を外しての他国軍支援、国連平和維持活動(PKO)での任務の拡大…。あれもこれも詰め込んだのが今度の法案だ。

 論戦は拡散せざるを得ない。きのうの特別委でも中東・ホルムズ海峡での機雷掃海、PKOで自衛隊が離れた場所の他国軍などを助けに行く駆け付け警護など、さまざまな論点が取り上げられた。

 政府は「国民の命と平和な暮らしを守るための法案」だと主張する。実際は、自衛隊の海外活動の拡大が主眼だ。内部資料は南シナ海での情報収集にも言及した。目くらましのため、ごった煮の法案にしたのではないか。

 日本を取り巻く安保環境の厳しさを理由に挙げながら、自衛隊を積極的に海外へ出そうとする。脅威を強調しつつ、足元の守りを手薄にするのは矛盾している。

 維新の党は、参院に出し直す対案を「領域警備法案」「周辺事態法改正案」など8本とした。衆院に提出し、否決された「平和安全整備法案」は、6本に分割している。対比すると、10の改正法案を1本にまとめた政府のやり方がいかに乱暴か分かる。

 一つ一つの課題ごとに法整備の必要性や合憲性、妥当性について審議を尽くすのが筋だ。別々に考えるべき日本の防衛と国際貢献をひとまとめにして通そうとするところに問題がある。

 国民の理解を得られるよう努力を重ねる―。安倍晋三首相はそう繰り返してきた。しかし、審議を重ねるほどに、理解を得られないことがはっきりした。

 防衛省の内部資料は法案成立を前提に作成された。野党側は「国会軽視」と反発している。法案を先取りした動きが政府内で進んでいるのではないか―。そんな疑念を抱かせる。結論ありきで強行することは許されない。


武藤氏自民離党 戦争反対運動の敵視を許すな

2015年08月21日 08時13分25秒 | 臼蔵の呟き

自民党議員と執行部の事なかれ主義、国民をばかにした政権運営と政治姿勢には驚くばかりです。なぜ、このような暴言と国民敵視の発言をする議員、人間が集まっているのかを総括、分析すべきなのです。

彼ら自身がそのことを一番よく知っているのかもしれません。しかし、彼ら自身が起草した党綱領に縛られ、復古主義、軍国主義肯定するような人物だけが、自らの私利私欲を満たすことも併せて集まり、烏合の衆のように構成した政党が自民党、それに従う公明党なのかもしれません。議員の新聞社、マスコミ攻撃、民主団体、学生の行動を敵視する発言はその結果でしかありません。

<東京新聞社説>武藤氏自民離党 デモ批判幕引き許さぬ

 武藤貴也衆院議員が自民党を離党したのは金銭トラブルの発覚が理由だが、安全保障法制関連法案に反対する学生デモを「利己的考え」と批判したことこそ聞き逃せない。離党で幕引きは許さない。

 安保法案の今国会成立のためには、野党側に攻撃材料は極力与えたくなかったのだろう。

 武藤氏は「プライベートに関する件で党にこれ以上迷惑をかけられない」として離党届を提出し、自民党はきのう離党を了承した。

 プライベートに関する件とは、週刊文春が報じた未公開株をめぐる金銭トラブルだ。同誌によると武藤氏は昨年、知人らに「値上がり確実な新規公開株を国会議員枠で買える」と持ち掛け、二十三人から約四千百万円を集めたが、実際には株は購入されず、出資金の一部も返済されていないという。

 事実だとすれば、かつてのリクルート事件を想起させる醜聞だ。罪に問われる可能性もある。武藤氏は「一方的かつ事実と異なる」と反論するが、何が事実で何が事実でないのか、武藤氏には進んで国民に説明する責任があろう。

 国会も本人任せにせず、自浄機能を示す必要がある。当面は、国会に参考人招致したり、原則非公開で偽証罪に問われない政治倫理審査会(政倫審)で説明させるのが、現実的な方法だ。

 もっとも、プライベートに関する件とは別に、武藤氏には国会議員の適格性が疑われるツイッターでの発言があり、不問に付すことはできない。安保法案反対の学生デモを「『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく」などと批判したことだ。

 学生たちの「戦争に行きたくない」という思いのどこが、利己的だというのか。武藤氏は安保法案に基づいて参戦する戦争に進んで行きたいとでもいうのか。

 武藤氏の発言は安保法案を「戦争法案」と認めたことにもなる。政権幹部は苦々しく感じていたに違いないが、武藤氏は発言を撤回しておらず、自民党執行部も苦言を呈しただけで、撤回させたわけでもない。

 離党さえすれば、武藤氏とは無関係になるから安保法案の審議には影響ない、これで幕引きができるとでも、安倍政権は考えているのだろうか。勘違いも甚だしい。

 武藤氏の言動で迷惑をこうむっているのは自民党でなく国民だ。離党だけでは何の問題解決にならないと、忠告しておきたい。

 


軍事研究と戦争法 国民を豊かにしない

2015年08月21日 06時00分18秒 | 臼蔵の呟き

安倍、自公政権が進める普通の国は普通ではなく戦争できる国作りをあらゆる分野で徹底して押し進めることを示しています。最初は、小さく導入し、最終的には戦争目的のために、あらゆる分野、産業、技術研究機関を動員する。彼らの意図は明確です。

日本が戦争できる国になって、国民が豊かで、安心して暮らせる国になるのでしょうか??その通りと答える国民は、きっとほとんどいないことと思います。しかし、大手企業、多国籍企業は、安定して利益を出すために軍事分野(行政機関の予算に依拠する)に進出したいとなるでしょう。国民の要求と軍事産業、軍事技術は対立し、矛盾します。それは、歴史が示す通りです。

日本の未来と産業構造をどう改革するかをまじめに考えると日本企業の軍事産業化、研究の軍事化が良いことでないことくらい誰でもわかることです。自民党政権と大手企業が組んで税金を戦争と軍事産業につぎ込むことを批判し、やめさせなければなりません。このことが行き着く先は再び侵略戦争、戦争への参加であり、自衛隊員と多くの若者を死に追いやること、多くの国民への窮乏化以外にありません。

<東京新聞社説>軍民両用研究 国民を豊かにするか

 防衛省が初めて軍民両用技術につながる基礎研究の公募をした。日本の科学者、技術者は民生用の技術開発に力を注ぎ、政府は後押しした。それが戦後の復興につながったことを忘れてはいけない。

 民生用に開発したものが軍事用に利用されることは珍しくない。砂漠が戦場となった二〇〇三年のイラク戦争では、防じん性に優れた日本製ノートパソコンが米軍に採用された。もともとは英国のガス会社の作業員用に、ほこりまみれの現場でも壊れない頑丈なパソコンとして開発されたものだった。

 先端技術は結果的に軍民両用となることが多い。パソコンはともかく、軍民両用技術ならはじめから軍事に傾くおそれもある。

 安倍政権は一昨年末策定した国家安全保障戦略で「産学官の力を結集させ、安全保障分野においても有効活用に努める」と「学」を取り込む方針を示した。武器輸出も視野に入れているとされる。

 今度、公募したのは「安全保障技術研究推進制度」といい、大学、高専、独立行政法人、民間企業などの研究者が対象だ。狙いは、防衛省にとって関心のある分野の研究促進だという。

 研究内容は防衛装備品そのものではなく、将来の装備品に適用できる可能性がある基礎研究。二十八件の研究テーマを挙げている。たとえば、音や電波、光、赤外線の反射を低減したり、制御したりできる技術などがある。敵に発見されにくいステルス技術の向上に応用できる。

 条件は、研究期間三年以内で、助成金は年間最大三千万円。本年度は総額で約三億円だ。研究者は学会などで成果を発表でき、商品化も可能。「特定秘密」にはならない、としている。

 戦後、日本の大学と研究者は軍事研究と一線を画してきた。日本学術会議は一九五〇年の総会で「戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する」との声明を発表した。

 新制度は幅広い研究者を巻き込んで、効率的に技術開発を進めるのが狙いだが、米ソが軍拡と宇宙競争に予算と人材を注ぎ込んだため、産業分野で日本に敗れたという歴史に学んでいない。奨励すべきは民生用技術だ。軍需産業は国民を豊かにはしない。

 公募は、研究者自身も問われていると考えるべきだ。誰のために、何のために研究者の道を選んだのか、と。