これがメール問題に対する永田寿康議員の謝罪なのか。やることなすことが幼稚園児のように稚拙だ。功を焦り、
情報の真偽を確かめることなく、予算委員会の場でこれを公表し、個人を責め、ニセものと分かると、病院に逃げ込む。
やむなく謝罪の記者会見に姿を現わすと、何をどう謝罪しているのかさっぱり分からない。民主党の国会議員とはこの
程度かと思う。
昨年2月、当時の岡田克也代表は、民主党は「野党」ではなく、「政権準備政党」だと言った。いつでも自民党に代わって
政権交代ができる政党だということなのだろう。だが、この体たらくでは政権はおろか、党再建もおぼつかない。
43歳の若さで代表に就任した前原氏は、外交・安保をライフワークとし、自民党の国防族や米国の国防筋との個人的な
パイプもあり、外交・安保政策で独自路線を打ち出し、議論を高めようとした。最も大切な議会運営の責任者に野田佳彦議員
を置き、その下に国対筆頭副委員長として永田議員を配した。その永田議員がとんでもないことをしでかしたのである。
永田議員は36歳。愛知県生まれ、東大工学部を卒業し大蔵省に入省。大蔵省の先輩、古川元久衆議院議員の秘書となり、
平成12年、千葉2区から衆議院選に出馬し当選した。この時の選挙は、当時の森喜朗総理が失言を繰り返し、敵失で民主が
議席を伸ばした選挙だった。続く平成15年の選挙もマニフェスト・ブームで民主に追い風が吹いた。いずれも風頼みの選挙
だった。そして昨年の総選挙では自民の山中子氏に敗れ、比例で復活当選している。現在、当選3回。
風を頼りに当選した議員にはどこか甘いところがある。議員バッチが天から降ってきたかのような感覚を持っており、地道な
活動を積み重ねてきた「地元代表」の人たちとはちょっと違う。民主党にはこうした風頼みの議員が多い。理屈は言うがひ弱
で甘い。永田議員もその1人だった。
勤め先からの帰路、永田町駅のエスカレーターのところで、民主党の前議員と偶然出くわした。彼は民主党本部に向かう途中
だったが、短い会話の中で「前原ではだめだ」と何度も言っていた。政治家の出処進退もわきまえていない稚拙な現執行部に
対し、民主党の内部の人たちも「うんざり」しているのだ。
情報の真偽を確かめることなく、予算委員会の場でこれを公表し、個人を責め、ニセものと分かると、病院に逃げ込む。
やむなく謝罪の記者会見に姿を現わすと、何をどう謝罪しているのかさっぱり分からない。民主党の国会議員とはこの
程度かと思う。
昨年2月、当時の岡田克也代表は、民主党は「野党」ではなく、「政権準備政党」だと言った。いつでも自民党に代わって
政権交代ができる政党だということなのだろう。だが、この体たらくでは政権はおろか、党再建もおぼつかない。
43歳の若さで代表に就任した前原氏は、外交・安保をライフワークとし、自民党の国防族や米国の国防筋との個人的な
パイプもあり、外交・安保政策で独自路線を打ち出し、議論を高めようとした。最も大切な議会運営の責任者に野田佳彦議員
を置き、その下に国対筆頭副委員長として永田議員を配した。その永田議員がとんでもないことをしでかしたのである。
永田議員は36歳。愛知県生まれ、東大工学部を卒業し大蔵省に入省。大蔵省の先輩、古川元久衆議院議員の秘書となり、
平成12年、千葉2区から衆議院選に出馬し当選した。この時の選挙は、当時の森喜朗総理が失言を繰り返し、敵失で民主が
議席を伸ばした選挙だった。続く平成15年の選挙もマニフェスト・ブームで民主に追い風が吹いた。いずれも風頼みの選挙
だった。そして昨年の総選挙では自民の山中子氏に敗れ、比例で復活当選している。現在、当選3回。
風を頼りに当選した議員にはどこか甘いところがある。議員バッチが天から降ってきたかのような感覚を持っており、地道な
活動を積み重ねてきた「地元代表」の人たちとはちょっと違う。民主党にはこうした風頼みの議員が多い。理屈は言うがひ弱
で甘い。永田議員もその1人だった。
勤め先からの帰路、永田町駅のエスカレーターのところで、民主党の前議員と偶然出くわした。彼は民主党本部に向かう途中
だったが、短い会話の中で「前原ではだめだ」と何度も言っていた。政治家の出処進退もわきまえていない稚拙な現執行部に
対し、民主党の内部の人たちも「うんざり」しているのだ。