春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

父13回忌の法要

2010年07月05日 | 日記
長崎での父の法要を終え、今日、鎌倉に戻った。3泊4日の長崎滞在だった。父が亡くなったのは平成10年8月17日
なので今年は13回忌。また、祖母が亡くなったのが昭和36年12月26日だったので50回忌になる。

父の場合、本来なら8月17日が祥月命日なので、この日に法要を営むべきなのだが、それ以前でも可ということだった
のでこの日に父の13回忌、祖母の50回忌の合同法要を菩提寺の光明寺で行った。母は入院中で出席できなかったが、
身内みんなが出席して供養した。

父の死去に際しては、危篤状態が何度かあり、その都度、羽田―長崎間を往復したが、いまでも忘れられないのは祖母
の死去のときだった。まだ学生だった私は、祖母の死去の知らせに、すぐ帰らなければと東京駅に向かい九州行きの
列車に飛び乗った。特急だったのか急行だったのかは定かではないが、12月26日のこと、とにかく正月の帰省客で列車は
満席、大阪までは立って帰ったのを覚えている。そんなにしてまで帰らなければならなかったのかといま思うが、当時は
若かったのでそれが可能だったのだろう。

法要は無事終えたが、もうひとつ大切なのが入院中の母の見舞いだった。母は寝たきりで、「胃ろう」の治療を受けている。
顔色はいいが、しゃべれないので、目や口を少し動かして反応するだけ。それでも東京にいる子どもたちが見舞いに来て
くれたということはわかったようだ。それだけでもうれしい。

大正7年生まれの母は8月26日で満92歳になる。もう少しだから誕生日までは頑張って欲しい。そう願って病院を後にした。