母が亡くなった。
83歳の時、大腿骨頚部骨折で入院して以来、92歳になるまでの9年間、入退院を繰り返していたが、
3月9日早朝、力尽き、黄泉の国へと旅立った。
入退院を繰り返した9年間、子どもたちは出来る限りのことをさせてもらった。特に弟夫婦はそれまで住んでいた
ところを引き払い、母の元に帰って介護に努めた。しかし、最後の2年間、母は寝たきりとなり、胃ろう、そして酸素吸入
で呼吸を続けるという状況になった。
ベッドに横たわったまま、言葉を発することもできなくなった母だったが、私たち子どもにとっては、
母が「生きている」「姿がある」ということでどれだけ励まされ、勇気づけられたことか。
介護は大変だとよく言われるが、私たちはそれ以上に、母が「生きている」ことの幸せを実感できたことに感謝している。
長い闘病生活を続けた母に対して「お疲れさまでした」、そして「ありがとうございました」と申し上げたい。
83歳の時、大腿骨頚部骨折で入院して以来、92歳になるまでの9年間、入退院を繰り返していたが、
3月9日早朝、力尽き、黄泉の国へと旅立った。
入退院を繰り返した9年間、子どもたちは出来る限りのことをさせてもらった。特に弟夫婦はそれまで住んでいた
ところを引き払い、母の元に帰って介護に努めた。しかし、最後の2年間、母は寝たきりとなり、胃ろう、そして酸素吸入
で呼吸を続けるという状況になった。
ベッドに横たわったまま、言葉を発することもできなくなった母だったが、私たち子どもにとっては、
母が「生きている」「姿がある」ということでどれだけ励まされ、勇気づけられたことか。
介護は大変だとよく言われるが、私たちはそれ以上に、母が「生きている」ことの幸せを実感できたことに感謝している。
長い闘病生活を続けた母に対して「お疲れさまでした」、そして「ありがとうございました」と申し上げたい。