春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

天命と非命

2011年12月20日 | 日記
「香・大賞」の応募締め切りが今日だったので、あわてて郵送。応募規定の文字数が800字という短いエッセイなのでここに掲載。

天命と非命 
母が他界した。92歳だった。83歳の時、大腿骨頚部骨折で入院し、以後、入退院を繰り返したが、
最後の2年間は寝たきりとなった。胃に直接栄養を補給し、死の数ヵ月前からは酸素吸入で命をつないだ。
そして、3月9日、母は静かに黄泉の国へと旅立った。

母の死の2日後、3月11日、東日本大震災が発生した。その時、私は九州の西端・長崎県西海市にいたので
揺れは感じなかった。地震を知ったのはテレビの画面からだった。

押し寄せる波にのまれていく田畑や農業用ハウス、さらには家や車が玩具のように流されていく。
テレビは津波にのみこまれていく東日本各地のすさまじい映像や避難所での被災民の姿を繰り返し伝えた。
それは、時を追うごとに悲惨なありさまを呈した。死者・行方不明者2万人。未曾有の大災害だった。

母の葬儀を終えた私は、いったん鎌倉に戻り、四十九日の法要、お盆の供養には、そのつど長崎に行った。
忘れられないのは、この地方のていねいなお盆の供養だった。8月15日、住民はそろって墓地に向かい、
墓前に灯篭を灯し、線香を手向ける。初盆の家の墓には家紋入りの灯篭がたくさん灯され、
親類縁者が線香を手に次々に訪れる。墓地は人であふれ、線香の香ばしい香りが一面に漂う。
そのなかで、人々は先祖の霊を迎える。

東北の被災地では、仏壇は流され、墓は倒れたまま、テントの中に祭壇を設けてお盆を迎えた人たちがいる。
なかには遺体が見つからないまま、お盆を迎えた人もいる。そして祭壇に向かって一様に線香を手向ける。

不思議なもので、線香の香りは、死者の魂を鎮めるとともに、生き残った人の心をも静めてくれる。
天変地異に見舞われたこの年、たくさんの人が非業の死を遂げた。
天命をまっとうした母を幸せに思うが、非命に斃れた人たちの無念さも思わずにはいられない。

まもなく震災から一年。亡き人に思いをはせ、この国はまた線香の香りに包まれる。