Nonsection Radical

撮影と本の空間

「人をころしてみたかった」

2014年09月02日 | Weblog
「人をころしてみたかった」藤井誠二著 山田茂写真 双葉文庫

加害者の「理論」ってわかるんだよなぁ。
理解出来るのと受け入れるのとは別だけどね。
一生懸命に自分の頭の中味を”理論”だてて考えようとしているのは”正当化”ではなくて道筋なんだろうな。
でもそれを外部から見ると、「共感性能力欠如」「抽象概念形成不全」「想像力欠如」、つまり自分勝手なヤツと判断されるわけだけど。
本文の加害者の行動を読んでいると、随所に間抜けな行動が現われている。
そこで慌てるわけだが、それって想定外だったからね。
つまり自分ではすべて理論的に想定しているつもりだったわけね。
自分の欠点に気づいていないんだね。
特に想像力の欠如には。
上記のような”欠点”を特徴とすればアスペルガー症候群と診断されるのならそうなのだろう。
あくまでも概念なのだから。

個人的感覚では、頭の中にポコッと空間が空いていて、そこに人を殺してみたいという興味がはまり込んでしまった結果の行動なんだろうなと感じるんだけど、たとえばそこに別の興味がはまり込むとその興味を満足させる別の事をしようとしたんだろうな。
なにしろ”体験”してみないと、想像力が働かないから”実感”できないんだもの。
でも犯行までには様々な想像を巡らしているわけだが、みんなその想像は外れて、戸惑うんだよね。
まあその想像というのは、以前何かで見たとかのイメージを肯定して自分に取り入れただけのものでしかないんだけど。
そういう結構単純で幼稚で自分好みのイメージしか取り入れられなかったんだけど。
でも、そういう人って世の中にはたくさんいるよね。
「まさかこんな事になるとは思わなかった」なんて事をいう人は山ほどいるよね。
「そんなアホなぁ」とは思うんだけど、本人には想像が及ばなかったわけだ。

ひとつのスケールでしかない事を承知で例に出すんだけど、小学校の成績ですでにみんな違いが出るじゃないですか、学校の教科においてもそうやって理解度の違いが現われるわけですよ。
それが”オトナ”になると、そういう違いをおくびにも出さずに、みんな”均質”だという顔で様々な意見を言うわけですよね。
特にネットでの書き込みなど、どこの誰だとも判明しないとなると、ますます発言は”均質”に扱われるわけで、それがまた当然と思い、たとえ学校の時の成績が悪かったとしても、社会に対する考えや理解度は劣っていないと思っているようなのは、その発言態度を見ていてもわかる。
頭が悪いヤツは黙っていろ、と言っているわけではないよ。
学校の時の成績のように、現在も自分の理解度はたいした事がないとは思っていないようだ、と言いたいのね。
それぐらい”自覚”というのは各自にはないという事ね。
だからトンデモ発言があったりするんだけど、そのトンデモさが自覚出来なかったりするワケだね。
それを頭の中にポコッと空間が開いていてと表現するんだけど、つまりそれぞれ大なり小なり欠けている部分が多くの人にはあって、そこに何かがはまり込むと、それが性格的欠点だったり、行動的欠点となって現われるんじゃないのかな。
執拗に攻撃的言動をしたり、実際に暴力をふるったり、からんだり・・・
でもそれを病名がつかない限りは病気とは見なさないわけでしょ現在は。
だからといって、そういう変なヤツ、異常なヤツ、イヤなヤツが存在しないわけじゃない。
そういう違いというものは、成績と同じように分布のカーブを描いて存在すると思うんだよね。
そこにある線を引いて、これ以上は異常とかって区分けしているだけで。
「共感性能力欠如」「抽象概念形成不全」「想像力欠如」もそれぞれ各自違っているはず。
その中で社会に不都合な行為をする存在は矯正の必要があるとみなされるワケだ。
つまりあなたの「理論」には欠けているところがあるから、あるいは未熟だから罰しますよ、あるいは矯正しますよと社会が判断を下すんだけど、少年の場合は元々発達途上、未熟だとみなされているから矯正する事が中心になるんだろう。
そこで知りたいのは、欠けているのか、未熟なのかの判断がつくのかという事。
特に欠けているものは補えるのか?そういうことが出来るのか現在は、という事。
加害少年の話を本中で想像すると、ポコッと空間があるところが埋まるのだろうかと思ってしまう。
もし埋めるのなら、想像力や倫理観とか”抽象的概念”では無理だろうなぁと思う。
彼に理解出来る”論理”を埋め込むしかないんじゃないのかな。
それが「どうして人を殺したらいけないのか」を代表するものだけど、それに”論理的”に答える事の出来る人が何人いる事やら。

最後に、「解説」で「イチャモン」を重松清氏が書いているが、〈「書く」ということの業〉という”泣かせ”の重松らしい言葉にそれでも泣いてしまいました。



昭和通り商店街 1
静岡県焼津市本町2丁目
撮影 2014年8月14日 木曜日 13時10分
コメント
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