朝日新聞が通称「吉田調書」を入手して、センセーショナルな”公開”が問題になり、政府が公開すると言った時に「使えるな」と思ったんだろうなぁと思った。
つまり朝日に反撃するだけの中味だと踏んだのだろう。
ま、それで「命令違反」という見出しは誤りだったとなった。
では「指示」だったかというと・・・
これは政府が公表後、やっと読み終えての感想なのだが。
「吉田調書」というのは東京電力福島原子力発電所における事故を政府の調査委員会が調査・検証のためにヒアリングしたものだ。
実際のヒアリングは約500人ぐらいの関係者に行なわれたらしいが、公開されたのは19人だけだ。
その一人が事故当時第一原発所長であった吉田昌郎氏だ。
19人のうち、やっと吉田調書だけ読み終える事が出来たのだが、これまで数々のドキュメンタリーやルポを読んできたが、これほど臨場感のあるすぐれた記録はない。
まず聴取者が的をはずさない質問をする。
たぶん加藤という人だと思うのだが、的確な質問を行ない、また吉田氏も記憶を探りながらも的確に答えていく。
後半の別日のヒアリングで聴取者が変わった時には、話のリズムがずれていくので的確さがなくなっていく。
このヒアリングは事故の調査・検証を目的にしているのだから、時系列で現象を確認し、どのような対応があったのかを明らかにしていくのが目的だ。
ところが朝日新聞は、そういう流れとは別の所員退避について文言に注目し「命令違反」があったという記事を書いた。
これが”誤報”であったかどうか、あるいは”虚報”であったかで騒いだのだが、残念ながら本来の目的である調査・検証によって見えてきた問題点にどこも注目しなかった。
政府公開後、いろいろなところで「吉田調書」として「要旨」を報じたが、基本的にやったことは朝日と同じである。
恣意的に調書の一部を抜き出して”物語”を作っている。
だからそんな「要旨」を読んでも何の役にも立たない事が、調書すべてを読んでわかった。
この調書は、すべて目を通して初めて全体の流れがわかって、枝葉末節の言動がどのような流れの中で発言されたのかがわかる。
その一部を取り出しても何の意味も持たない。
どうしてこの調書を読もうと思ったかというと、まず「真偽」を確かめるという事もあったが、自分なりに事故の状況を確かめてみたいと思う気持ちがあった。
事故当時、リアルタイムで報道、発表などを追いかけていたが、その動きの検証もあったし、外部の人間がああしろこうしろと言った”アイデア”が有効であったかという確認もしたかった。
で、わかったことは、当時の報道はほとんど何も伝えていなかったという事だ。
伝えようにも伝えられなかった。
21世紀の世の中なのに、事故現場と東電本店、政府機関との連絡が満足に出来ていなかった。
通信網も満足に確保出来ず、わずかな電話回線と東電本店とのビデオ会議網が通信手段であったが、事故現場での司令部となる所長のいる免震重要棟と各現場との連絡も満足に出来ない状態が続いた。
そこで”伝説”になるような騒ぎが起こった事が理解出来る。
政府、東電、発電所での意思の疎通が出来ず、総理が東電に乗り込んだり、発電所に出向いて情報を得ようとしたり、「撤退」発言があったとか、なかったとか、吉田所長がごちゃごちゃうるさいと怒ったり。
すべて情報が流れなかった事による。
そこは問題とならないのか。
マニュアルだと事故の場合、どのように情報が伝達するか決められている。
そして訓練では当然ながら滞りなく連絡が行き渡る。
それが出来なかった。
マニュアル通りに行かなかったのは、事故対応においてもそうだった。
マニュアルにない事象が起きてしまったのだ。
そのために現場は考えられる事を力の限りやった。
それで“この程度”ですんだのだ。
調書の中で吉田所長は、様々な”提言”を反省とともに行なっている。
調査・検証なのだから次へつなげなければ意味がないのだ。
だが、この調書は非公開となっていたのだ。
はたして事故の教訓は広く伝わったのだろうか?
そして現在原発再稼働を目論んでいる政府、電力会社、また自治体、国民は、この事故の調書から得られた情報を活かした対策をとっているのか。
本当は、報道機関や学者、行政が調書から得られた情報が対策に活かされているのかを調査・検証しなければならないのだ。
そういう必要な事には目も向けずに、誤報、虚報で騒いでいるのだから。
部分を取り上げると、またバイアスのかかった情報になるので、ぜひ自分の目で全文を読み通してみてほしいな。
政府事故調査委員会ヒアリング記録
金沢駅 東口前
石川県金沢市木ノ新保町
撮影 2014年9月6日 土曜日 10時20分
つまり朝日に反撃するだけの中味だと踏んだのだろう。
ま、それで「命令違反」という見出しは誤りだったとなった。
では「指示」だったかというと・・・
これは政府が公表後、やっと読み終えての感想なのだが。
「吉田調書」というのは東京電力福島原子力発電所における事故を政府の調査委員会が調査・検証のためにヒアリングしたものだ。
実際のヒアリングは約500人ぐらいの関係者に行なわれたらしいが、公開されたのは19人だけだ。
その一人が事故当時第一原発所長であった吉田昌郎氏だ。
19人のうち、やっと吉田調書だけ読み終える事が出来たのだが、これまで数々のドキュメンタリーやルポを読んできたが、これほど臨場感のあるすぐれた記録はない。
まず聴取者が的をはずさない質問をする。
たぶん加藤という人だと思うのだが、的確な質問を行ない、また吉田氏も記憶を探りながらも的確に答えていく。
後半の別日のヒアリングで聴取者が変わった時には、話のリズムがずれていくので的確さがなくなっていく。
このヒアリングは事故の調査・検証を目的にしているのだから、時系列で現象を確認し、どのような対応があったのかを明らかにしていくのが目的だ。
ところが朝日新聞は、そういう流れとは別の所員退避について文言に注目し「命令違反」があったという記事を書いた。
これが”誤報”であったかどうか、あるいは”虚報”であったかで騒いだのだが、残念ながら本来の目的である調査・検証によって見えてきた問題点にどこも注目しなかった。
政府公開後、いろいろなところで「吉田調書」として「要旨」を報じたが、基本的にやったことは朝日と同じである。
恣意的に調書の一部を抜き出して”物語”を作っている。
だからそんな「要旨」を読んでも何の役にも立たない事が、調書すべてを読んでわかった。
この調書は、すべて目を通して初めて全体の流れがわかって、枝葉末節の言動がどのような流れの中で発言されたのかがわかる。
その一部を取り出しても何の意味も持たない。
どうしてこの調書を読もうと思ったかというと、まず「真偽」を確かめるという事もあったが、自分なりに事故の状況を確かめてみたいと思う気持ちがあった。
事故当時、リアルタイムで報道、発表などを追いかけていたが、その動きの検証もあったし、外部の人間がああしろこうしろと言った”アイデア”が有効であったかという確認もしたかった。
で、わかったことは、当時の報道はほとんど何も伝えていなかったという事だ。
伝えようにも伝えられなかった。
21世紀の世の中なのに、事故現場と東電本店、政府機関との連絡が満足に出来ていなかった。
通信網も満足に確保出来ず、わずかな電話回線と東電本店とのビデオ会議網が通信手段であったが、事故現場での司令部となる所長のいる免震重要棟と各現場との連絡も満足に出来ない状態が続いた。
そこで”伝説”になるような騒ぎが起こった事が理解出来る。
政府、東電、発電所での意思の疎通が出来ず、総理が東電に乗り込んだり、発電所に出向いて情報を得ようとしたり、「撤退」発言があったとか、なかったとか、吉田所長がごちゃごちゃうるさいと怒ったり。
すべて情報が流れなかった事による。
そこは問題とならないのか。
マニュアルだと事故の場合、どのように情報が伝達するか決められている。
そして訓練では当然ながら滞りなく連絡が行き渡る。
それが出来なかった。
マニュアル通りに行かなかったのは、事故対応においてもそうだった。
マニュアルにない事象が起きてしまったのだ。
そのために現場は考えられる事を力の限りやった。
それで“この程度”ですんだのだ。
調書の中で吉田所長は、様々な”提言”を反省とともに行なっている。
調査・検証なのだから次へつなげなければ意味がないのだ。
だが、この調書は非公開となっていたのだ。
はたして事故の教訓は広く伝わったのだろうか?
そして現在原発再稼働を目論んでいる政府、電力会社、また自治体、国民は、この事故の調書から得られた情報を活かした対策をとっているのか。
本当は、報道機関や学者、行政が調書から得られた情報が対策に活かされているのかを調査・検証しなければならないのだ。
そういう必要な事には目も向けずに、誤報、虚報で騒いでいるのだから。
部分を取り上げると、またバイアスのかかった情報になるので、ぜひ自分の目で全文を読み通してみてほしいな。
政府事故調査委員会ヒアリング記録
金沢駅 東口前
石川県金沢市木ノ新保町
撮影 2014年9月6日 土曜日 10時20分