「ドキュメント 発達障害と少年犯罪」草薙厚子著 イースト新書
書店で手に取りパラパラ見て「要注意だな」と”感じた”。
まあ事例を知るためにと購入したが、読み進めるうちに「要注意」の意味がわかってきた。
ドキュメントといいながら実態は、自分の意見を押し通す”生活相談員”みたいな本。
自分の意見とは、「アスペルガーなどの発達障害は初期対処を重視すれば社会不適合を減らす事が出来ますよ」というもの。
文中では何度も発達障害と犯罪との直接的な結びつきはないと言いつつ、放置すれば犯罪や社会不適合に結びつく”恐れ”がありますよと事例を示して説明する。
だから早期に対処して社会に適合出来るような子どもに育てましょうという”意見”が主流で、決してドキュメントではない。
だからドキュメントとしては雑で、思い込みや推測が交じり、一方で医学的調査は簡単にすませているで、事実と主張を選り分けないとならない。
参考文献も極めて少なく、専門的な書籍はほとんどないし、著者自身にも医学的知識が少ない事がうかがわれる記述が見受けられる。
一方で医療体制は整ってきたと言いつつ、一方で専門の医師の少ない事を述べるなど、理想と現実を曖昧にしたまま意見を通そうとするために、今後の課題、展望、要望などが述べにくくなるような話の展開となってしまっている。
一番不思議に思うのは、「思春期」に関して何も記述がない事だ。
犯罪を犯した少年達(少女も含む)がいかに発達障害のチェック項目に引っかかるかを述べるのだが、著者の視点にはまず発達障害ありきで、すべてを発達障害のせいに、あるいは発達障害ゆえに起こす行動と結論づけているが、一旦発達障害という”キーワード”を抜いて考えると、思春期にありがちな行動、思考ととらえる事ができる事例がたくさんある。
周囲との関係性に悩み、怒り、落ち込み、右往左往し、恨み、暴発する事がすべて発達障害のためであり、思春期との関連性を考慮しないというのはどういうわけなのだろう。
それとも大多数の”普通の”少年達は、思春期であってもそのような事に煩わされずに、何事ものなくオトナへの道を進んで行くというのだろうか?
となると、尾崎豊の存在ってなんなの?
と、現在でも思春期の後遺症を引きずって生きているオッサンは思うのですよ。
個人的な疑問としては、これら発達障害と関係すると言われる犯罪加害者の少年、特にアスペルガーと言われる少年達の”性”について述べられている文献が見当たらない事だ。
本書での調査統計でも、性に関する悩みというのが比較的低位にあることから話題にされていないのだが、年頃の少年達の性衝動に関して注目しないのはむしろ不自然ではないのか。
と思ったのは、いわゆるアスペルガーである場合の特徴として抽象的思考が苦手だというチェック項目があるのだが、コドモからオトナへの階段の第一歩であるマスターベーションというのは妄想の大王様であるので、その妄想を働かせる事がアスペルガーでは出来るのだろうかとの疑問があるのだ。
もし妄想を働かせる事が出来るのなら、抽象的思考が苦手というチェック項目に当てはまらないのではないのか?
でもその件に関しては有用な話が見つからないので疑問のままである。
仮に、妄想という抽象的思考が出来ない故にマスターベーション等の”発散”行為が行なわれない場合、その”リビドー”はどこへ向かうというのだ。
イラつくだろう思春期だと。思春期じゃなくてもイラつくオトナも多いだろうけど。
そんなイラつきに関して発達障害という言葉は何も問題にしていないのはおかしいと思うんですがね。
最初の予感どおり、事件の事例のための本でした。
亀七通り
東京都江東区亀戸7丁目
撮影 2014年8月13日 水曜日 14時00分
書店で手に取りパラパラ見て「要注意だな」と”感じた”。
まあ事例を知るためにと購入したが、読み進めるうちに「要注意」の意味がわかってきた。
ドキュメントといいながら実態は、自分の意見を押し通す”生活相談員”みたいな本。
自分の意見とは、「アスペルガーなどの発達障害は初期対処を重視すれば社会不適合を減らす事が出来ますよ」というもの。
文中では何度も発達障害と犯罪との直接的な結びつきはないと言いつつ、放置すれば犯罪や社会不適合に結びつく”恐れ”がありますよと事例を示して説明する。
だから早期に対処して社会に適合出来るような子どもに育てましょうという”意見”が主流で、決してドキュメントではない。
だからドキュメントとしては雑で、思い込みや推測が交じり、一方で医学的調査は簡単にすませているで、事実と主張を選り分けないとならない。
参考文献も極めて少なく、専門的な書籍はほとんどないし、著者自身にも医学的知識が少ない事がうかがわれる記述が見受けられる。
一方で医療体制は整ってきたと言いつつ、一方で専門の医師の少ない事を述べるなど、理想と現実を曖昧にしたまま意見を通そうとするために、今後の課題、展望、要望などが述べにくくなるような話の展開となってしまっている。
一番不思議に思うのは、「思春期」に関して何も記述がない事だ。
犯罪を犯した少年達(少女も含む)がいかに発達障害のチェック項目に引っかかるかを述べるのだが、著者の視点にはまず発達障害ありきで、すべてを発達障害のせいに、あるいは発達障害ゆえに起こす行動と結論づけているが、一旦発達障害という”キーワード”を抜いて考えると、思春期にありがちな行動、思考ととらえる事ができる事例がたくさんある。
周囲との関係性に悩み、怒り、落ち込み、右往左往し、恨み、暴発する事がすべて発達障害のためであり、思春期との関連性を考慮しないというのはどういうわけなのだろう。
それとも大多数の”普通の”少年達は、思春期であってもそのような事に煩わされずに、何事ものなくオトナへの道を進んで行くというのだろうか?
となると、尾崎豊の存在ってなんなの?
と、現在でも思春期の後遺症を引きずって生きているオッサンは思うのですよ。
個人的な疑問としては、これら発達障害と関係すると言われる犯罪加害者の少年、特にアスペルガーと言われる少年達の”性”について述べられている文献が見当たらない事だ。
本書での調査統計でも、性に関する悩みというのが比較的低位にあることから話題にされていないのだが、年頃の少年達の性衝動に関して注目しないのはむしろ不自然ではないのか。
と思ったのは、いわゆるアスペルガーである場合の特徴として抽象的思考が苦手だというチェック項目があるのだが、コドモからオトナへの階段の第一歩であるマスターベーションというのは妄想の大王様であるので、その妄想を働かせる事がアスペルガーでは出来るのだろうかとの疑問があるのだ。
もし妄想を働かせる事が出来るのなら、抽象的思考が苦手というチェック項目に当てはまらないのではないのか?
でもその件に関しては有用な話が見つからないので疑問のままである。
仮に、妄想という抽象的思考が出来ない故にマスターベーション等の”発散”行為が行なわれない場合、その”リビドー”はどこへ向かうというのだ。
イラつくだろう思春期だと。思春期じゃなくてもイラつくオトナも多いだろうけど。
そんなイラつきに関して発達障害という言葉は何も問題にしていないのはおかしいと思うんですがね。
最初の予感どおり、事件の事例のための本でした。
亀七通り
東京都江東区亀戸7丁目
撮影 2014年8月13日 水曜日 14時00分