Nonsection Radical

撮影と本の空間

ホンヤク本

2014年09月10日 | Weblog
シロートが専門的な事の初歩を学ぼうとした場合、今はネットで検索して該当サイトを見るというのが主流だと思うけど、これは部分を調べたという事にはなるが、概略はつかめていないので学ぶ事にはならない。
たとえ初歩であっても、概略がわからないとその先にはつながらないと思う。
そこで本の登場なのだが、現在では数々の新書が出ていて、数々の事を話題にしている。
新書はいわば初歩の学習書と言えるのだろう。
新書の読み方というのは、その本だけで知識を得たつもりになると間違ってしまう。
新書のもっとも役に立つところは、巻末の参考文献のリストなのだ。
新書で読んだ事をもっと幅広く、専門的に向かうのにそれらの参考文献が役立つわけだ。
というのは理想論で、実は数々の新書が並んでいても、その多くが初歩入門書ではなくて、事柄のある部分を”独自”に切り取ったという作りのものが多いのだ。
その切り口が作者の腕の見せ所という感じだ。
でもこれだと全体がわからないんだよね。
入門書に求める概論が意外に扱われていないんだね。
だから作者の切り口に賛同した場合に、その切り口の参考として巻末のリストが役に立つみたいな作りになっている。
すでに基本的なものは過去に扱われているからという前提で、別の切り口、派生した話題で勝負みたいな風潮が見られる。
でも実際には初歩の入門書的なものってあまりないんだよ。
あっても岩波新書のような多少昔の事の知識に属するものが継続して販売されているケースが多い。
それはそれで時代をあらわしていたり、記録として貴重な面もあったり、時代に左右されない知識というものもあるから、一概に古いとは言えないんだけど、常に進歩している分野というのもあるわけで、常に最新の初歩の入門書というものも必要とされているはずなんだ。
それが意外にない。
入門書として使えるものが最近の新書には少ない。
そうなるとほとんどネットで検索したところだけの知識を得るのと変わらないんだよな。
先へ進めないんだよ。
欲しいのは、専門家の間で交わされる専門知識をシロートにも理解出来るようにホンヤクしてくれる作者なんだね。
どうしても専門家が書くと、たとえ初心者向きと言っても理解しづらいところが出てくる。
そういうところに気を配って、わかりやすく、そして間違っていない新しい知識を伝えてくれる入門書が求められるのじゃないのかな。
そういう基本的な知識を得た上で、ひとひねりしたものを読まないと、”偏った”知識だけが本当の事とシロートは思ってしまうんじゃないのかな。
特に最近は一冊の本を読んだだけで、ネット”言論”に進む人が多いようだし。
どうか様々な事をホンヤクしてくれる人が多く現われてくれる事を願いますよ。
むしろ基本を知らしめるという分野がニッチになっているのだから、そこを狙わない手はないと思うんだけど。




大開通り 6
兵庫県豊岡市中央町
撮影 2014年8月2日 土曜日 11時05分
コメント
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