今日はあちらこちらで入学式。
大きなランドセルに、黄色い真新しいカバーを付けて歩いているピカピカの一年生を沢山見かけました。
私が五歳の頃、家に訪ねて来た大人に「いつから学校?」って聞かれると「さらいねん」って答えてました。
「さらいねん」が何の事かも解らずに(笑)
六歳の時に「いつから学校?」って聞かれて、やっぱり「さらいねん」って答えたら「再来年でね~、来年だごで~♪」と祖母が笑っておりました。
「らいねん」と「さらいねん」の違いが解るように成ったのは、一年生に成ってからだったかもしれません。
私は幼稚園に行ってません。
「たのしい幼稚園」は買って貰っておりましたが(笑)
実家は田舎の中の田舎というか僻地でしたので幼稚園が有りませんでした。
小学校の近くの公民館で幼稚園の様な事はやっていたと、のちに成って知りましたが、近所の同級生もそこには行っていませんでした。
姉は泣きながらそこに行っていたのかな?
学校にも泣きながら行っていたような記憶が有ります。
ずっと家にいて育ちましたから、「小学校に行く。」と言うのが怖かったし嫌でした。
「いつから学校?」が「さらいねん」から「らいねん」に成って「ことし」に成って「しがつから」に成って「もうすぐ」に成って・・・
私には嬉しいよりも恐怖でしか有りませんでした。
そんなある時、叔父がランドセルを買って来てくれました。
すごく立派なランドセルで、父も母も姉も祖母も、もしかしたら祖父も「あらら良いランドセルだな~良がったな~♪」と喜んで、
「ほら、おんつぁま(叔父さん)さ、しょって見せろ~♪」
って、言われたのですが、私は別にランドセルなんて欲しくなかった。
これを貰ってしまったら、怖い怖い学校に行かなくちゃいけないんだ!
そう思ったら、しょって見せるなんて出来るはずもなく、押し付けられたピカピカのランドセルを抱えて私はワーワーと大泣きしましたっけな~
まぁ・・・
学校に行くのが怖いと思っていたのもわずかな間でしたが・・・
入学式では校長先生があいさつで「一年生の皆さんは今日は道路のどっちを歩いて来ましたか~?」
と、問いかけられたのに、私は「は~い!」と手を挙げて「こっち~!」と右を差しました(笑)
校長先生は苦笑いしながら「そうそうこっちだね。皆さんはこっちの右側を歩いて来ましたね~・・・」とお話を続けておられました。
4年生の姉は「バカ!」と目をそらしていたと最近聞きました(笑)
ピカピカの一年生が大きなランドセルしょって登下校しています。
私たちは今まで以上に安全運転で見守っていきましょうな~
男は黒、女の子は赤のランドセルって決まってましたな~
そういう頃に何かのCMで女の子が黒いランドセル背負ってて「なんで女の子が黒!」って突っ込んで観てたっけな~
ありがとうございます。
ミシン屋のつまらないブログですがよろしくお願いいたします。
佐賀にボストンって所有ったっけ?(爆)
解って貰えてうれしいです~🎵
ずっと家にいたかったものな~
一里ですか!
中々小学生にはきつい距離ですな。
私も遠いって思っていましたけど半里でしたから、近い方でしたな(笑)
私のランドセルも4年生の頃に背負いベルトが切れまして、拾った銅線で繋いで使ってた記憶が有ります。
5~6年生はみんなランドセル背負わなくなってリュックとかショルダーバックとかに教科書入れて通ってましたな~
コメントありがとうございます。
こちらは山形県米沢市です。
私はそういう嫌な思い出のある先生はいませんでしたが、息子が小1の時の担任が酷かったっけな~
今思い出しても殴ってやりたくなります。
コロナが早く収束して一年生たちがいっぱい思い出作れると良いですな~
一年生の時のことは、他に何が有ったっけかな~?
机が二人分繋がってる天板が蓋に成ってる机だったな~
昔の事は覚えているんです。
最近の事は忘れますが(笑)
最近はローズピンクとか、キャメルとかラベンダーとか…赤・黒の方が飽きないのに😅
安全運転お願いします👍
ハムハムさんのところから飛んで参りましたが、さいちママさんともお友達なのですね。
ジャノメミシンとお聞きして、懐かしくなってしまって。
短大の頃先生に勧められて蛇の目ミシンの工場見学に行ったことがあったので♪( ´▽`)
我が家のものははジャノメミシンではないのですが、縫い物をしていたのでミシンには随分お世話になりました。
ランドセルのお話、微笑ましく読ませて頂きました。
フォローさせてくださいね。
よろしくお願いいたします*
日本の幼稚園には
通っていませんのよ、ホホホ。
うっそぴょん。
「ウンウン、そうだよねー」と相づちを打ちながら読みました。
私も、同じく僻地だったので幼稚園行ってません。
ピカピカのランドセル抱えてワーワー泣いたせしお少年の気持ちがとてもよく解りました!
やはり近くになかったです。
学校も4年生までの分校でした。
うちから分校は歩いて10分ほどでしたから近かったです。
他の子たちはひと山超えて通ってきたりしていましたよ。
5年生から本校に通うのです。
うちからは一里ほど、今思うとそんなに遠くはなかったかしら?
でも冬は除雪もされないところでしたので冬は大変だったわね。
本校に行くにあたって先生たちからいろんなことを教わるのですが
その内容がとっても怖かったものです。
行ってみればどうってことなかったですけどね(苦笑
あらら~~~昔のことを懐かしく思い出したわ~
おはようございます*\(^o^)/*
せしおさんは幼少の頃から手先が器用だったのですか?
私は小一半年でランドセル壊れましたーーー*\(^o^)/*
せしおさんに直して貰えばよかったです*\(^o^)/*
子供たちの未来を壊さぬよう安全運転で行きますーーー*\(^o^)/*
「おんつぁま」…祖母は自分の弟のことをおんつぁと言っていました。
どこの出身だったのか?
フッと思い出して優しかった祖母を懐かしく思い出しました。
春の日差しが気持ちいい、北海道のほぼ中心から…
怖かったです(;´∀`)
何故なら、幼稚園の先生が
暴力教諭で、ほぼ虐待的な
感じだったので。(足で顔とか蹴られたり)
小学校はもっと怖いと思っていたら
天国でした。
のちにその幼稚園教諭はクビに
なったようですが。
でも特に恨んではないんですよね、何故か。
今だったら犯罪ですね~(´ε`;)ウーン…
ビクトルの住む町の子供たちもおとついの水曜日に入学式がありました。
ピカピカの一年生たちが元気よく歩いていました。
私の小学校の最初の記憶は、給食残して昼休みまで残されてたうす暗い教室(*≧m≦*)
私は子供の頃、父の仕事の関係で何度か引っ越ししてました。
小学校入学の事は記憶が無いんだけど、登校中の景色とか、4年生の時に転校した時の事は覚えてるのよね〜。