1月30日(日)
朝から余り気温が上がらずに寒い一日でした。
今日は、本来ならば大学生たちによる「チャリティー茶会」が開催されるはずでしたが、あっけなく中止という事になりました。
学生達、特に四年生は最後の望みでしたので、学園祭・合宿そして地域でのお茶会などがすべて断ち切られてしまいました。
中止になった事により、私は当然一日が空きましたが予定を入れる事なく、一日ボーッとしておりました。
軸
日々是好日・・・何と響きが良い言葉でしょうか。
若い頃、当時仙台で大きな社中の先生をされていた方が軸の話をされて、お茶席では、軸が道具の第一である事、季節を床の間に掛ける気持ち持つ事、そして、無季のに軸は、無難ですのでどなたも持っていると思いますが、と前置きをされ、「いつでも掛けられるという事は、いつでも合わないという事です」と云った言葉を忘れることができませんでした。
日々是好日・・・最近はその言葉に縛られる事なく、無季の軸も掛けるようになりました。
朝比奈宗源老大師の揮毫された軸です。
頂き物
若い頃からの友人が、退職して自分で野菜など作るようになり、時々届けてくれます。
今日は、この他に白菜や大根などが段ボールに入っておりました。
こんな時期ですので助かっております。
今日の夕食は貰った白菜をタップリ入れたお鍋に決まりです。
8月18日(火)
猛暑日が続いております。
外に出ると危険な暑さですから、不要不急の外室はおやめください。
春からずっと聞いている言葉です。
今日も、山本玄峰老大師のお話を綴って見たいと思います。
中川球童老師
球童老師は山本玄峰老大師の軸に箱書をして頂いてからのご縁となりました。
お目にかかると「今度書いておくよ」という約束でしたが、中々実現しませんでした。
平成19年の師走に入ると、老師から分厚い郵便が届きました。
中には何が入っているかは分かりますが、大急ぎで封を切ると「円通」と揮毫された墨蹟でした。
直ぐに表装に出しました。
年が明け松が明けると、知人から「球童老師が亡くなった」との電話です。
年も押し詰まった29日のご遷化だったそうです。
葬儀
葬儀は、2月14日とのことでしたので、参列させていただきました。
100名くらいの僧侶方が、堂の廊下を歩き渡り廊下を歩いている様は荘厳としか言いようがありませんでした。
普通の人の告別式とは全くの違うものでした。
高橋榮山老師
頼んで置いた軸も出来上がって来ましたので、中川球童老師の軸を携えて球童老師のお参り方々、高橋榮山老師にお目にかかりました。
そして、訳を話して軸を出して箱書をお願いいたしました。
老師は「これはいつ書いて貰ったのかね」とお聞きでしたので、12月の中旬にいただきましたと申し上げると、しみじみと眺めてから、侍者の方に、「筆と硯を」と言って書いて下さいました。
後藤榮山老師
後藤榮山老師は、竜沢寺13世ご住職です。
私の頂いた「円通」はどうも絶筆のようです。お元気で新年のご用意などされており、いつもの通りのお元気さだったそうですから・・・
この「円通」では、電話口でそれはそれは怒られました。
そんな思いでの軸です。
8月17日(月)
外に出ると咽かえるほどの暑さで、最高気温が41℃を超えたそうで尋常ではない暑さです。
今日も、昨日に続いて玄峰老師いついて綴って見ます。
松無古今色
平成に入ってから、玄峰老師の軸が手元に届きました。
「松無古今色」は、茶席でも良く掛けられますのですので何の説明もいりません。
お茶会で玄峰老師のお軸を使ったことがありますが、玄峰老師をご存知のお方はほとんどおらず、そのたびに三島市の・・・そんなことがありました。
話題に事欠かずに済んだといえばそれまでですが、ちょっと寂しい気持ちがありました。
球童老師
何年かして、竜澤寺にお伺いして、ご住職の球童老師に箱書をお願いいたしました。
老師は、快く書いてくださいました。
老師が「お茶をやっているのかね」とお尋ねでしたので、「ハイ」と答えると、「お茶の方々は、お茶室にいる時は、畳のヘリを踏まないとかなんとか言ってるのに、一歩出ると・・・」といろんな事をおっしゃっておりました。
球童老師
球童老師は、玄峰老師から数えて三代目のご住職です。
人間は後ろ姿に心が現れて来る・・・すごいことをおっしゃいました。
ご挨拶をして門を出るまで気が抜けなかったほど緊張してしまいましたが、一度振り返ると、老師が私達を見送っておられました。
こうして球童老師とのご縁を頂きました。
今日も朝から気温が上がらずに、寒い寒い一日でした。
道の端々に集めてある雪は中々解けません。
午前中から、明日からの自宅稽古の準備に追われて、夕方やっと終わりました。
と、言いましても、休んでいる時間も結構な時間でしたので、一日とは言い難いような・・・。
色紙
「雪中托鉢是清風」大道晃仙禅師の色紙です。
ご縁を頂きまして、何かの折々に墨跡を頂戴いたしましたが、その中に、必ず何枚かの色紙が入っておりました。
この色紙も、その中の一枚です。
画賛
画が得意の禅師様は、墨跡の多くは画賛が多く、ほのぼのとした絵をお書きになっておりました。
色紙のままでは申し訳ないような気も致しましたので、軸に仕立てて折々に使わせていただいております。
この時期になると必ず掛けたくなる軸のひとつです。
昨日の雨から続き約束されたように強烈な北風が吹いております。
気温は上がっているようですが、この風ではやはり寒い以外の言葉はありません。
初釜の待合
初釜の軸ですが、私がまだまだ若かった30代の頃に、骨董市で購入したメクリでした。
骨董屋さんも、どこの誰だか解らないようでしたし、私も解らないまま、寿老人の絵だけで、「初釜に使える」といった事だけで買ってしまいました。
読んで見れば
友人が読み解いてくれました。
「分を踰(こ)えて求めることなく 而して 財を費やさず 陰に徳を積む者は福を得る
焉(いずくんぞ)君の恩 親の恩 而して 行蹟を慎み
天命を守る者は 自から禄を得る 焉(いずくんぞ)
飽食大酒を禁じ 色欲を遠ざけ 氣血を養う者は自ら壽を得る」
嘉永己酉大年朝
↓ ↓
1849年 元旦 落款は「我年六十三」
嘉永2年の元旦に書いたとなっております。
戸川安清(とがわやすずみ)
嘉永2年に生まれた幕臣。11代将軍家斉の時に大隅守、播磨守、長崎奉行、勘定奉行などを歴任し、書画の才を得て将軍の指南となった。
慶應4年82歳で亡くなっている。当時としては長命であったといえます。
今日は、私自身の備忘録的内容になってしまいました。
11月3日(月)文化の日
午前中の静かさは、午後から一変して大荒れです。
物凄い北風が吹き荒れております。
昼食を済ませて一休みしたところで、久しぶりに散歩に出掛けました。
まだ、片方の大学では学園祭をしておりますが、このところ休んでおりませんので、今日は休ませてもらいました。
多分、今頃は、大勢のお客様を迎えててんてこ舞いをしていると思います。
機関車
久しぶりの機関車ですが、今日は休日のためか単独で走っておりました。
今時珍しいほど地味な機関車で、何にもペイントされておりません。
機関車のドアーさえ違った色で、「何でもいいから付けておこう」そんな風に感じてしまうほどの地味さでした。
一片の雲
漢詩や禅語に良く出てくる雲で、行雲流水・白雲自去来・雲悠々など、雲に関しては数えきれないほどあります。
茶室には雲が合います。
柿
今年は柿の当たり年なのか、どこのお宅でも鈴なりというほどの柿が生っております。
日当たりの良い葉は色付き始めておりますから、青空に良く映えます。
久しぶりの散歩でしたが風が強く、北に向かって歩く時などは少し前こごみにならないと前に進めないほどの風でした。
ニュースによると、台風が日本に向かっているらしい・・・来るのでしょうか。
台風のニュースばかりですが確実に来るようです。
昨日は学生セミナーでお家元訪問に行っておりました学生たちから、夕方に「今終わりました。これから帰ります」という電話があり一安心でした。
そして、9時過ぎには、帰宅した旨の連絡を受けてまた安心いたしました。
何だか自分たちの子供が出かけているような気持でもありました。
軸
談玄月明夜(玄に談ず月明りの夜)、または、(談玄月明りの夜)で、山本玄峰老大師の揮毫された軸ですが、なんと読んだらよいのか、意味はどういったものなのか、全く分からずおりました。
そこで、書を学び、特に中国の筆法や漢詩を探求している友人に尋ねると、何日か後に読み方や意味などを教えてくれました。
談玄―道を談ずる 清談
玄――幽遠な道
幽遠―奥深く遠いい
こんな意味があるという事でした。
「月明りの下で幽玄な話をいたしましょう。」こんな意味だそうです。
床の間
この軸は、玄峰老師の生まれ故郷、和歌山県の湯の峰温泉に旅した時に、出入りの道具屋さんからの連絡で購入したご縁ある軸です。
翌朝、旅館の前でタクシーを待っている時に、碑がありましたので記念写真を撮って来ましたが、現像してからビックリでした。
何とその碑は「玄峰塔」でした。
老師の絶筆と言われている「玄峰塔」にはビックリでした。
この軸を掛けるたびにあの時のご縁の深さを思い出します。
茶掛けと云われている軸の中には、禅語辞典にも載っておらず、文明の利器ともいえるネットでも調べられない語句がたくさんあります。
道具屋さんで扱っている軸は、誰にでもすぐに分かる語句がほとんどですが、墨蹟などを専門に商っているところには、見たことも無い語句の軸がたくさんあります。
そんな軸を手にした時は、解らないながら、嬉しくなってしまいます。
これからも、どんな軸に出会えるかすごく楽しみです。
「千湖有水千江水」の軸を持って来た友人が、今日来まして、軸を持って帰って行きました。
きっと、自宅の茶室に掛けてニンマリとしている事でしょう。
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昨日から比べたら何となく涼しく感じられます。
昨日のお茶会で掛かっていたお軸ですが、今まで見たことも無い禅語でしたので、今日は自分の持っている禅語集をめくりながら勉強してしまいました。
昨日の床の間
無風荷葉動(風無きに荷葉動く)と読むそうで、風が無いのに蓮の葉が動いている。こんな意味だそうです。
荷葉は蓮の葉の事で、荷葉皴(かようしゅん)の略したものです。
ここで再び荷葉皴が解らなくなってしまいまして、また辞書をめくって探したところありました。
荷葉皴は、山水画の描き方のひとつで、岩や山などを描く時に蓮の葉脈のように描く手法だそうです。
整理をしてみますと、「風無荷葉動決定有魚行」という十文字の禅語で、そして、後に続く語句は、「決定魚有行」(けつじょうして魚の行くこと有らん)です。
夜の床の間
「風無きに荷葉動く、けつじょうして魚の行くこと有らん」やっと読み下すことができました。柴山全慶老師著「禅林句集」より
風も無いのに荷葉が動いている、きっと魚がいるに違い無い・・すべての物は一瞬も絶えることなく働き続けている。その先を見なければならない。
「無風荷葉動」初めて出合った禅語でしたので、たくさんの勉強ができました。
やっぱり禅語は奥が深い・・・そして面白い。