tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

西王母にニシキギを

2011-11-28 20:07:44 | 茶の湯
今日は曇り空が続き、温かな日差しは見られませんでした。

我家の「西王母」もそろそろピークを過ぎて、脇の枝に花を咲かせるようになりました。そんな「西王母」を切って、これも最後のニシキギに添え生けて見ました



軸は、「開門多落葉」、花はニシキギに西王母で、軸も花も来年のこの時期まで床を飾ることはないでしょう。

唐代の詩僧・無可上人の「秋従兄賈島に寄す」と題する詩。聴雨寒更尽 開門多落葉   意味は、「雨音を聴いている間に夜更けが過ぎてしまった。夜が明けたので門を開けて見ると、一面が落葉で埋め尽くされていた。夕べ雨だと思って聴いていた音は落ち葉だったのか・・・。」こんな意味でしょうか。

そろそろ雨の欲しい頃です・・・・。
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日本の椿花 横山三郎・桐野秋豊共著

2011-11-25 18:50:08 | 本棚の中から
もうすぐ師走とは思えない過ごしやすい一日でした。

茶道では11月から風炉から炉に変わり、それに伴ない、床の間も草々の花から椿に変わります。少し寂しくはなりますが、椿ひとつで床の間を引き締めてしまいますから驚きです。


横山三郎・桐野秋豊共著 「日本の椿花」

日本の椿は、平成元年のまとめでおよそ2000種があるそうですが、その中から1008種を掲載したそうです。私達の周りで見かける椿は、宗珍しい種はそれ程ありませんが、「この椿は・・・?」と聞かれた時でも、この本を手元に置いておけばほとんど間に合います。それ程、多種の椿を網羅しております


今が盛りの「西王母」ですが、茶室に生けるのは蕾を使いますので、タイミングが合うと、お稽古中に花が開く事があります。
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芳賀幸四郎著 一行物

2011-11-23 19:57:32 | 本棚の中から
今日も11月とは思えないほどの温かさで過ごしやすい一日でした。

昨日「芳賀幸四郎著 一行物」のお話をしましたので、本を紹介したいと思います。



茶道に少しでも携わっておられる人は、必ずと言ってよいほど手にしている本だと思います。私自身も、何度手に取ることか知れません。それ程必要とされている本といえます。

内容は、禅語を専門的に解説をしておりますが、その反面、見たまま、読んだままの表面的な柔らかな説明も交えて書いてあります。こうした内容ですので、多くの茶道に関係ある人達に支持されているところかも知れません。

この「一行物」は、初版から、続・続々・又続・又々と5巻か刊行されております。私達が知りたい禅語で、載ってなかったものはありませんでした。これからも力強い味方です。

お茶をしている人も、していない人も一冊あると便利な本です。
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禅語 楓葉霜経紅

2011-11-22 19:23:09 | 禅語今昔
朝の気温が最低だったそうですが、日中の日差しは暖かく過ごしやすい一日でした。
今日も先週のお稽古に使用した軸の話を書いてみようと思います。


楓葉霜経紅 玄道和尚筆

秋の深まりと共に野山の落葉樹が一斉に紅葉して錦繍を織り成したように絢爛たる風景を見せてくれます。こんな自然の情景を「楓葉 霜を経て紅」と表現したもので、いわば、あるがままの美しさを五字一句に現したといえます。

この一句が床の間に掛けてあるだけで、晩秋の山野に、あたかも自分が佇んでいるかのような気持ちにさせてくれます。

しかし、芳賀幸四郎著 一行物」の中では、「楓葉が霜を経過して初めて美しく紅葉するように、人間もまた、生きていくうえで様々な苦労を経験して、それを耐えしのぎ自分の成長の糧にして初めて立派な人間になれる。
「艱難(かんなん) 汝を玉にす」の諺を、美しく穏やかに言い換えたのが、この五字一句である。」こんな風に書いてあります。

この軸を拝見して、錦織り成す風景を思い描いていただければ良いかな・・・・。などと思っております。
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禅語  雲自去来 

2011-11-21 18:18:15 | 禅語今昔
朝晩の寒暖の差がはっきりとしてまいりました。今日もまだ秋・・でした。

久しぶりに禅語の話をしてみたいと思います。


松蔭寺 宗鶴老師筆 

松蔭寺は、静岡県沼津市原にある禅寺で、臨済宗中興の祖といわれております「白隠禅師のお寺」として有名です。

江戸時代「駿河の国に過ぎたるものが二つある 富士のお山に 原の白隠」といわれるほど有名でした。その白隠禅師の眠っているお寺なのです。お寺の裏にある墓地に回るとひと際立派なお墓があります。

雲が自由に動いている様子が想像できるほど雲らしい雲の文字です。禅宗のお坊さんらしい字体なのかも知れません。
近くで拝見すると、圧倒されるほどの迫力すら感じるほどです。禅語は、決まった解釈もあるでしょうが、拝見した人が心で感じるのが一番であるといつも思っております。
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お茶会が終って

2011-11-20 20:41:29 | 茶の湯
昨日の準備の時の雨を思うと嘘のように晴れ上がったお茶会日和となりました。

今日は朝早くから会場に入り、入念なチェックを済ませお客様をお迎えいたしました。何時もの事ながら緊張が続きますが、1回目・2回目と進むに連れて忙しさが勝ってしまいます。

余りの忙しさに写真を撮ることすら出来ず、今日は写真がありません。後日に紹介したいと思います。

ちなみに、今日は300個用意したお菓子が全部出ましたから、300名のお客様に入っていただいたことになります。「数を誇るようなのはお茶会ではない」という方もおられます。しかし、現在のような目まぐるしい程の世の中の動きを考えればいたし方が無い事と割り切らないと仕方がありません。

静かなゆったりとしたお茶会は、自分達でやれば良い事で、与えられた、どんな環境でも、お茶会は出来るという事も大切だと思っております。
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織部の花入を使って

2011-11-19 19:25:41 | 茶の湯
今日は全国的に荒れ模様の一日でした。

11月の炉開の時期に使われる、三べの一つに「織部」がありますが、今日は織部の花入を紹介したいと思っております。



織部焼の花入に「万作の照葉と白玉椿」を生けたものです。

織部焼は、千利休の弟子であった大名茶人の古田織部の指導で創始され、織部好みの独特の色や奇抜さ、かつ斬新な形や文様が瞬く間に多くの茶人に受け入れられましたが、織部が切腹するという事態を招いてからは、一気に廃窯する窯元が増え、織部焼は衰退してしまったそうです。

それでも寛文年間になると徐々に復活の兆しが見え始め、一般の人達に「織部焼」として広まったのは元禄年間になってからだそうです。

古田織部正重然(ふるた おりべのしょう しげてる)といいまして、織部は官位に叙任されたことに由来しております。

そして、切腹の理由は、大阪夏の陣の時に、大阪方に内通した疑いからのもので、織部は、一言も弁解をせずに腹を切ったといわれております。


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炉開きの時期に

2011-11-18 21:14:54 | 茶の湯
秋らしくなって参りました。朝晩の寒さは冬を思わせますが、日中はまだまだ動くと汗ばむようです。

今日の稽古では、この時期良く出されるお菓子がお菓子屋さんから届けられました。


織部まんじゅう

昔から炉開きには、三部といいまして、伊部(いんべ)・織部(おりべ)・瓢(ふくべ)三つの中から何かを使うと良いとされております。

伊部は備前焼 織部は織部焼  瓢は半分に切ったものを炭とりとして使います。そんな約束のためなのか、この時期のお茶席ではよく織部まんじゅうが出されます。

今度の日曜日にお茶会を控え落ち着きのない日が続いております。気持ちの余裕がなくなっているようで・・・。

困ったものです。



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関ヶ原 司馬遼太郎著

2011-11-16 19:09:05 | 本棚の中から
雪の便りが聞かれる寒い一日となりました。
一連の旅便りの締くくりに、司馬遼太郎著 「関ヶ原」を紹介したいと思います。


関ヶ原 司馬遼太郎著

物語は、秀吉と三成との出会いから始まっております。その時、三成は佐吉といわれ寺の小僧をしておりました。後年、相対した家康は、小なりとも一国の主という身分であった不思議さが歴史の面白さを感じさせます。そして後の戦いでは、この身分の差が勝敗を決めたのかも知れません。

鷹狩りの途中の秀吉が、咽の渇きを覚え寺に寄って茶を所望した有名話で進んで行きます。利発な少年を城に連れ帰り側の置き育てていったのです。

秀吉の没後に、日本史に残る合戦が始まるのですが、西軍8万2千人・東7万人といわれております。
明治になって西洋の軍関係の誰もが、人数と布陣を見て「西軍が勝った」といったそうです。それ程完璧な軍陣をしいた三成も只者ではありませんでした。

合戦はわずかな時間で西軍の大敗に終わりましたが、合戦に到るまでの駆け引きと神経戦は読んでいてもページをめくるのももどかしく感じてしまうほどです。




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茶の湯の話

2011-11-15 20:00:06 | 茶の湯
今日も過ごしやすい一日でした。
昨日までガイドブックみたいな内容でしたが、以前のような毎日を書いて行こうと思っております。
それでも、今回の旅で一番印象に残ったのは関ヶ原でした。その関ヶ原の中でも最も訪ねたいと思ったのは、「大谷吉継の陣跡とお墓」でした。


大谷吉継の陣跡


大谷吉継の墓

大谷吉継は、ご存知の方が多いいかも知れませんが、武将であり、当時流行していた茶の湯を愛した一人でした。そして、あの有名な逸話を残し、今でも語り継がれております。

逸話では、あるお茶会に招かれた豊臣の大名達が茶席に着くと濃茶が出されました。
濃茶は一碗を数人で飲みまわす決まりがありますが、大谷吉継の下座に座っている大名達は、飲む真似をするだけで、吉継の飲んだお茶を誰一人飲まなかったそうですが、ただ一人堂々と綺麗に飲み干した人物がいたのです。石田三成でした。

大谷吉継はある病に犯され、伝染を恐れた人達は近づこうともしなかったくらいですから、同じ茶碗のお茶など飲むはずがありません。しかし、三成は何食わぬ態度で飲んだのです。
このお茶こそが大谷吉継の残り少ない命を、三成にくれてやろうと云うきっかけになったと伝えられております。そして、吉継は最も敵に近い場所を選び陣を張ったのです。


ひとひら

何だか難しい話になってしまいましたが、そんな訳で念願が叶い大谷吉継のお墓にお参りする事が出来ました。吉継のお墓にはお花の絶えることがないそうです。ガイドさんはしみじみと、「山道を30分もかけて登って来るのだから・・・」熱心なファンが多いのでしょう。

写真の「ひとひら」は今日のお稽古のお菓子です。味噌餡のほんのりとした美味しいお菓子です。
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