6月21日(木)
東海道五十三次散歩から、昨夜遅くに帰って来ました。
雨の中歩きましたので、体がだるく自分の体ではないような疲労感が抜けきれません。
今日は、忘れない内に「東海道五十三次散歩」の備忘録です。
府八幡宮
前回のゴール地点でバスを降りて、ここからが今回のスタートです。
神社で安全を祈願して、準備体操をしてのスタートでした。
私を含め総勢20名の集団散歩です。
ジュビロ通り
ここ磐田市はジュビロ磐田の本拠地ですので、至る所に看板が出ております。
この通りは、ジュビロに所属した選手たちの足形が道路に面した歩道に並んでおります。
善導寺大クス
むかし善道寺というお寺があり、そこのお墓の目印に植えられたのではないかといわれておりますが、今では、駅前という事もあり、市民の憩いの場になっております。
周囲9m高さ28mだそうです。
宮之一色一里塚
日本橋から61番目の一里塚です。
旧東海道
旧東海道です。
こうした風景を観たくて散歩を続けております。
どの家も生け垣がきれい・・・
豊田立場跡
見附宿から浜松宿まで4里という長い距離ですので、旅人の休憩所として「立場」というところが作られたそうです。
天竜橋跡
江戸時代には、上中下と天竜川の渡しがあり明治まで続いたといいます。旅人は一人12文、馬は36文かかったそうです。
天竜川には中洲があったため、船を乗り換えるため、費用が二倍かかったといわれております。
明治になり、木製の橋が架けられ、現代は鉄製の橋が架かり今では写真の碑があるのみです。
天竜川渡船場跡
江戸時代の船着き場に建てられた石碑です。
私達は、バスで天竜川を渡りました。(近代的な橋に、歩道がないため)
安間一里塚
日本橋から63番目の一里塚です。
今はこの看板のみです。
標識
この標識を見ただけでも遠くへ来たという実感があります。
馬込一里塚
江戸から65番目の一里塚です。
64番目が抜けておりますが、こうした遺跡を保存するのはほとんどが地域の住民の皆さんだそうです。
64番目は地域の人達にも忘れ去られているのだと思います。
ボランティア活動なくして、旧東海道はないといっても過言ではないそうです。
外木戸東門跡
この標識は、明らかに素人の描いた文字ですが、地域のボランティアのどなたかが画いたものでしょうが、東門とありますから、浜松宿の東側入り口です。
浜松のランドマークタワー
浜松につきました。
現代の浜松市のシンボルになっております。
同行のガイドさんも、「タワーが見えましたもうすぐゴールです」と皆さんを力づけておりました。
浜松城大手門跡
魏の小さな看板が、ここに大手門があった事を教えております。
德川軍と武田軍の「三方ヶ原の合戦」では、戦に敗れた家康が、命からがら逃げ込んだ浜松城の大手門です。
この門を開け放ち、かがり火をたき、大太鼓を鳴らしていたために、武田軍が攻めてこなかったという逸話のある大手門です。
ホテル
五社神社・諏訪神社
家康が秀忠の誕生を喜んで現在地に社殿を建立したといわれ、国の重文に指定されておりましたが、空襲ですべてが焼き尽くされて現在の社殿になっております。
若林一里塚
江戸から66番目の一里塚です。
藩境界標
「従是東浜松領」とある、藩の境界線が残っておりました。
江戸時代からのものだそうです。
石碑
石に刻まれた境界で、今では珍しいといいます
篠原一里塚
江戸から67番目の一里塚です。
舞坂の松並木
今まで東海道を歩いてきた中で一番きれいな松並木です。
松並木
これを観たくて歩いているようなもので、飽きることなく見ておりました。
同行の皆さんは遥か彼方ですので、駆け足で追いつきました。
浜松城
家康が大出世した浜松城です。
朝ホテルの窓からの撮影です。
野面積
家康が築城した当時の石垣を模して積み上げたそうです。
石垣
野面積みといっても、こうして完成されて石垣を見るときれいです。
江戸城の石垣も綺麗ですが、それとは違った美しさがあります。
この城を見学して、今回の東海道五十三次散歩は終わりました。
家を出かけてから、第一日目が19.3キロ 歩数29.418歩、第二日目が19.2キロ、歩数28.360歩、合計38.3キロ、総歩数57.778歩でした。