2月24日(日)
静かな春を思わせる一日でした。
午前中は、友人とちょっとしたお茶会に行って、ランチを楽しんで帰って来ました。
中山道散歩の備忘録的ブログになります。

染井吉野
巣鴨駅前に、染井吉野の発祥の地の碑がありました。
この辺り一帯が染井といわれ、ここで生まれた桜を「染井吉野」というそうで、全国にある桜の名所といわれるところでは、ほとんどがこの染井吉野だといわれております。

真性寺
このお寺は、「江戸名所絵図」にも描かれている名刹で、江戸六地蔵が安置されていることでも有名です。
宝永3年に地蔵坊正元が発願して、江戸の6つの街道口に、天下安全を祈願して安置されたといわれております。

とげぬき地蔵の街
街道を進むと賑やかな商店街になりますが、「おばあちゃんの原宿」といわれているとげぬき地蔵で有名な高岩寺の通りです。

高岩寺
このお寺さんの正式名称は知らなくても、「とげぬき地蔵」といえば誰でも知っております。
縁日は、4の付く日だそうですが、私達も含め高齢の方々でいっぱいでした。

延命地蔵尊
街道で命を絶った人や馬などを供養するために建立されたそうですが、都電荒川線開通のために現在のところに移されたそうです。
長い間野晒しだったのか、顔や宝珠などほとんどわからないほどの痛んでおります。

亀の子束子
誰も知っている亀の子束子の会社です。
平日ですと中を見学できるそうですが、この日は休みですので見られませんでした。
スーパーなどで売っている束子は、100円も出せば買えますが、ここの会社の束子はちょっとお高いそうですが、相応に売れているそうです。

近藤勇
今回一番楽しみにしていた所でした。
思っていたより広い場所にお墓がありました。
お墓と言っても、近藤勇の墓と云われている所は、全国数か所にありますので、どこに埋葬されているのかは未だに謎だそうです。

近藤勇の墓
墓碑には、土方歳三と近藤勇の名が記されているのに驚きました。
ここは永倉新八という元隊士が建立したものだそうで、右横に小さな墓石が元のお墓だといわれております。
新撰組始末記や新撰組血風録など懐かしく思い出してしまいました。
板橋宿へ
賑やかな板橋宿へ入って行きます。
この辺りの商店街はどうしてこれほど活気が良いのでしょう。特に八百屋さんの数が多かったように思います。

板橋宿道標
道標がありました。
皆さん写真に撮っておりましたが、お天気が良すぎたので反射してよく撮れませんでした。

文殊院
山門脇に延命地蔵、入り口左に閻魔堂、そして本堂には、毘沙門天が安置されている寺で、本堂奥の墓地には遊女の墓などがありました。
閻魔様の顔をとくとご覧ください。

縁切榎
昔の榎は根元から、榎と槻が双生していたそうで、これをエンツキと重箱読みして、エンキリに転化していったといわれております。
皇女和宮がここを通る際には、この榎を菰で包みその下を通って飯田本陣に入ったといわれております。
「悪縁は切ってくれるが、良縁は結んでくれる」といわれ庶民の信仰を集めていたそうです。

板橋宿
通りに面してびっしりと並んでいる家々は、すべて現代風の建物になっておりました。

日本橋まで
こんな標識が出ていると撮りたくなります。

バス亭
志村の一里塚がバス停の名前になっておりました。

一里塚
立派な一里塚です。
これ程の一里塚は中々見る事は出来ませんので、同行の皆さんの写真撮影が止まりません。
余り近くに行くと、これが一里塚かと解りませんのでちょっと離れて見ると、その立派さが解ります。

一里塚
道を挟んで立っている一里塚が分かると思います。
都内で一里塚が残されているのは、ここと北区西ヶ原の2か所だそうで、国の史跡に指定され取ります。
皆さんしばし堪能しておりました。

清水坂
江戸から京へ行く最初の坂道で、富士山を右手に一望できる場所で「右富士」と呼ばれてい名所でもありました。

17号線
「薬師の泉」で休憩をして、ゴールを目指して歩き始めましたが、この辺り、17号と中山道は合流したり離れたりしておりますので、ガイド無しでは歩けない所でした。
日も傾き始めた16時30分頃ゴールの浮間舟渡に付きました。