4月24日(土)
初夏を思わせる穏やかな一日でした。
今日は稽古がありませんでしたので、先日の中山道街道歩きの備忘録です。
中山道原市から松井田宿まです。
4月10日
安中宿から松井田宿まで
良く晴れた街道歩き日和に、安中宿から松井田宿まで歩いて来ました。
出発は10時という事でしたが、バスが遅れてしまったので10時50分の歩き出しとなりました。
八本木延命地蔵
広場で毎回の事で、全員で準備体操をしてから出発ですが、歩き出すとすぐに八本木延命地蔵に到着です。
地域の方々に護られて450年という歴史のある地蔵堂で、日本三地蔵の一つであるといわれております。
日本三地蔵とは、新発田、壬生そして、八本木のお地蔵さまを云うそうです。
お地蔵さま
地域の方々に護られて・・・という事が、お地蔵さまから伝わって来るような柔和な御姿です。
堂内の地蔵菩薩は、頭は円頂(剃った坊主頭)で袈裟と衣の僧侶の姿をしております。秘仏と云われ御開帳は100年ごとと云われております。
地蔵尊は、役1mの高さで室町時代に造像されたと伝えられております。
八本木立場茶屋
八本木立場茶屋は、山田卯兵衛家が代々茶屋本陣を勤めていたそうで、郵便受けなどがある所を見ると、今でもご子孫が住んでいるのでしょうか・・・
一里塚
八本木延命地蔵から歩き出すとすぐに浅間山を望遠できる広々としたところがありますが、このあたりに一里塚があったいと云われていりますが、今がそんな痕跡は何も残っておりません。
雪の解け始めた浅間山が遠くに見えます。
道祖神
歩いているとこうした道祖神に出会います。
石に刻まれたものや石で作った小さな社など、その地方の実情に合わせて造られているのだと思います。
日枝神社
いつ頃の創建かは分からないといわれ、元々は、「山王社」だったそうですが、明治になってから、近隣の白山神社や諏訪神社を統合して、日枝神社に改称されたと云われております。
鳥居をくぐり、社殿に向かう入口に神楽殿がありますので、その下をくぐって本殿に向かう形式が変わっております。
自性寺
真言宗の寺院で、開山開基は不明ということですが、保延元年の開基とする寺伝があるといいます。
本尊は、真言宗ですので大日如来をまつっております。
宝篋印塔
自性寺山門を入ると左側に二基ならんでおります。
向かって左側の塔は、応永3年の建立で、塔身四面に月輪が刻まれており、右側の塔は、嘉吉3年の建立した塔で、基礎に「一結諸衆」と刻まれております。
どちらも関東形式の宝篋印塔だそうです。
妙義道常夜燈
文化5年に、郷原村の妙義山講が建立したもので、妙義神社への参拝者への道しるべであったそうです。
台座には、「是より妙義道」と刻まれているそうですが、近くまで案内してくれなかった・・・
車の往来が激しく、向こう側に渡れなかったのです。
旧中山道
この道は昔のままだそうですが、簡易舗装されておりました。
竹や木々が覆いかぶさって来るよう道でした。
旧中山道
街道脇の放置された田んぼです。
田んぼの向こうは、人の手が入っていない雑木林が続いておりました。
街道歩きの人達はウキウキしながら歩いておりましたが、ここで暮らしている人々はどうなのでしょう。
お墓
どなたのお墓なのか、街道脇に並んでおりました。
花が添えられておりましたから、子孫の方がおられるのでしょうか・・・
妙義山望遠
松井田宿へ入る手前で妙義山や里山の春を見ることができます。
きれいな場所だった・・・
松井田宿
松井田宿ももうすぐです。
松井田宿
松井田宿へ入ったところです。
この宿は、信州各藩の米が送られて来て、江戸廻米の中継点となっておりました。
廻米の半分は、松井田宿の米問屋に売却され、残りの米は牛馬で倉賀野宿の河岸へ運ばれて船で江戸へと輸送されていたそうです。
そんなところから、松井田宿は「米宿」と呼ばれていたといいます。
本陣は2軒、脇本陣2軒、旅籠4軒あったそうです。
本陣跡は信用組合になっております。
崇徳寺
貞松山崇徳寺は、臨済宗の寺院ですが、その開基がすごい人で、室町幕府を開いた足利尊氏だそうです。暦応3年に足利尊氏が開いた寺院で、三門に掲げられた山号は、どなたが揮毫されたものなのでしょう。
気になります。
古い家
こうした古い家がポツンポツンとありますが、宿場町の雰囲気は充分に残っております。
道路元標
松井田町道路元票が建っておりました。
昔のまま
歩いているとこうした古い民家に出会います。
街道歩きで一番嬉しい時かも知れません。
不動寺
真言宗の寺院で、寛元岩年に慈猛上人によって開山されたお寺さんです。
戦国時代には、竹田信玄から寺領寄進され、江戸時代には、三代将軍家光が帰依が篤かったため、脇寺9ヶ寺、末寺8ヶ寺という大寺院だったそうです。
ご本尊は千手観世音菩薩ですが、鎌倉時代に作られたという不動明王坐像が有名で、通称は松井田不動尊と云われております。
石塔婆
三門の手前左側に観応3年の石塔婆三基が祀られており、安山岩の自然石に板碑様式の仏種子や文字が刻まれており、県重文に指定されております。
北朝の年号が刻まれております。
本照寺
本照寺は、親鸞聖人の旧跡と伝えられております。
親鸞聖人が越後国から京へ向かう途中、碓氷峠を超えてこの地を訪れた時に、師の法然上人の死を聴かされて、落胆のあまり吐血したといわれております。
師のいない京に行っても意味がないとして、ここから常陸国に向かったと云われております。
安永2に年に、親鸞聖人の旧跡として御堂を建立し阿弥陀如来像を安置したのが、この寺の創建と伝えられております。
松井田八幡宮
建久8年に源頼朝が立ち寄ったという記録が残っているといいます。
江戸時代には、三代将軍家光の帰依もあり、立派な本殿が残されており、拝殿周辺に敷きつめられた敷石は、特別な技巧が施されており一見の価値あり・・・
六角堂
境内には、小さな六角堂があり、中には聖徳太子立像が安置されております。
法隆寺のミニチュア版なのでしょうか・・・・
聖徳太子像
お堂の中に祀られておりました。
鍵もなく盗難が気になって仕方がありませんが、そんな罰当たりはいないでしょうが、心配です。
補陀寺
曹洞宗の寺院で、応永年間の創建と云われておりますが、正確なことは分からないそうです。
歴代の領主から庇護され、山門に「関左邦窟」という、関東一の道場であるという額が掲げられているお寺さんです。
創建が分からないほど、領主が変わり戦火に巻き込まれていたという、上州特有の歴史を垣間見ることができます。
一里塚
今回初めて一里塚という標識が建っておりました。
江戸日本橋より32里目の漆原一里塚です。
明治20年台までは、その姿はとどめておりていたそうです。
今は、この標識のみです。
茶屋本陣
茶屋本陣跡が今回のゴールです。
歩いた歩数は23,600歩
歩いた距離は16k