中山道歩き「熊谷宿から深谷宿」まで
今日は朝からのお天気も、午後からは一変して雨模様です。
植替えなどで何となく小忙しかったので整理ができなかった中山道散歩の備忘録です。
小雨が降る中、前回のゴール地点熊谷駅を10時に出発です。
熊谷次郎直実像
熊谷次郎直実と聞けば、だれもが須磨の海岸での平敦盛との出会いから、討ち取るまでの物語を思いだすでしょう。
武士としての無常を感じ自ら髷を落として出家するという、劇的な生涯を送った人物です。
その後、物語として謡曲や歌舞伎などに取り上げられ、熊谷真実という人物は別の世界で大いに羽ばたいたといわれております。
高城神社
創建は奈良時代以前と伝えられておりますが、詳しいことは分からないそうです。
記録によれば、豊臣秀吉の小田原攻めの時に、忍城が攻められた時に焼失しましたが、江戸時代に、忍城主阿部忠秋により再建され、本殿、拝殿は8月14日の熊谷大空襲をまぬがれたそうです。
それにしても、終戦前日の空襲です。
この空襲で、熊谷の町は壊滅状態になったそうです。
銅製常夜燈
高城神社三の鳥居の右側に設置されておりました。
天保12年といいますから、当時としては珍しく銅で作られております。
高城神社は染物業者の信仰が厚く、台座には150名もの奉納者の名前が刻まれております。
高さ2.75mと見応えのある銅製の灯籠です
大欅
熊谷大空襲にも焼け残り、見ると痛々しいほどですが、立派にそびえ立っております。
玉垣に囲われて、今では心霊スポットになっているそうです。
千形神社
神社の由緒によると、その昔、気の荒い大熊がおり、人々の生活を脅かしていたそうで、そこで、熊谷直実の父親の直貞が退治したことで、人々の暮らしも穏やかになったそうです。
直貞は、殺した熊があまりにも大きかったので、熊の霊を慰めるために、その頭蓋骨を埋めたところに熊野権現を勧進して、その霊を慰めたといわれております。
また、熊の血が流れて行ったところにも社を建て、「血形明神」と称したのが、この神社の縁起だそうです。
そして、何時のころから、血形から千形に替わったといわれております。
本殿右横にそびえ立つ欅の大木も、終戦前夜の大空襲でも焼残り、その傷跡が生々しく残っております。
辻の札
辻の札は江戸時代の高札場で、高さ3m、長さは5mという大きさだったそうですが、今は石碑のみです。
本陣跡
この辺りが、宿の中心だったそうで、宿場本陣があったところです。
この本陣も大きな建物で、間口14間、奥行きはその四倍くらいの建物であったそうです。
本陣の中でも屈指の大きさだったようですが、石碑のみが植えこみの中にひっそりと建っておりました。
星渓園
星渓園は回遊式の日本庭園で、慶應から明治にかけて竹井濾如翁によって建設されたそうです。
昭和25年に熊谷市が譲り受け、大規模な復元作業を行い、今は、お茶会など日本文化教養の場として市民に利用されております。
中々雰囲気のある場所ですので、お客様を招いて茶会などしてみたいところです。
八木橋デパート前
デパートの中を中山道が通っていることで有名なデパートで、前には大きな碑がそれを示しております。
デパート内
デパートに入るとすぐに、中山道の表示が目に入り、何となく旅人気分にしてくれます。
デパートも心得ていて、街道となっているところには売り場は設けずに通路になっております。
中仙道の碑
デパートを出たとこにありました。
デパートの売り場の中を街道が通っている不思議なところですが、面白いですね・・・
立派な道標です。
熊谷寺
ゆうこく寺と読むそうです。
何があったのかは分かりませんが、今は境内立ち入り禁止になっております。
今回も、門は閉ざされたままでした。
熊谷寺は、熊谷次郎直実が出家した後、蓮生坊となり念仏を称え続けた草庵が始まりだとされております。
秩父道標碑
街道から少し入ったところに、寄せ集められたような石碑が建っておりました。
江戸時代になると、伊勢や大山といったお参りの方々が旅を楽しむといったブームが起こり、秩父札所巡りもその一つだそうです。
中山道から秩父への道の分岐点に建てられたそうで、秩父の一番札所四万部寺への距離が刻んであります。
建てられたのは、明和3年だそうです。
新島の一里塚
江戸から17番目の一里塚です。
写真では、巨木に枝が出ておりますが、私たちが行った時は、根元から切ってありました。
案内の先生も、着く前から「あるかな。立ってるかな。」と言っておりましたが、着いたとたんに「ワァ~!無い無い」と叫んでおりました。
それほど貴重な一里塚の木でしたが、大きな切株が残る鑿となっておりました。
忍領石碑
忍藩主が他藩との境界争いを避けるために、領内16か所に石標を建てた内の一つです。
高さは、190cm、幅30cmde、「従是南忍領」と刻まれております。
原料の石は、利根川から1日50人の人足が2日がかりで運んだそうです。
この後、深谷宿まで黙々と歩きました。
篭原を過ぎるあたりで、同行の一人がリタイヤになってしまいました。
国済寺
典型的な禅寺様式が建ち並んでいる、臨済宗南禅寺派の由緒あるお寺です。
康応2年といいますから、630年も前の創建となり、上杉憲英が開祖、開山は峻翁令山禅師です。
黒門、三門は市の重要文化財に指定されております。
このお寺では、若い頃一泊して坐禅に参加したことがありましたので、懐かしくお参りして参りました。
見返りの松
宿外れにあり、「見返りの松」と呼ばれておりますが、江戸へ向かう旅人が、宿に泊まった翌日、一夜を共にした女との別れを惜しんだところから名付けられたと云われております。
平成18年に枯れてしまったために伐採され、2代目が植えられております。
頼りないほど小さな松でした。
大きな松を移植しようとは考えなかったのでしょうか??
常夜燈
深谷宿の東西の入り口に立つ常夜燈です。
高さは4mもあり、中山道では最大級の大きさです。
天保11年に江戸中期ごろから盛んになった富士講の人達によって建立されたそうです。
冨士講の印の「三」が透かし彫りになっております。
深谷駅
雨の中の中山道歩きでしたが、ゴール地点の深谷駅に着きました。
この駅は、東京駅に似た造りで「リトル東京」と呼ばれているそうです。
15時50分の到着でした。
歩いた距離18.7k歩いた歩数26.870歩でした。
今回の街道歩きでは、自分で撮った写真の取り込みに失敗して、全部消えてしまい自分の写真を使うことができず写真がありませんが、何時か機会を得て写真を撮りに行きたいと考えております。