tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

卒業生達と伊勢志摩半島めくり

2018-02-24 17:04:19 | 旅行
2月24日(土)
朝早く家を出かけ、伊勢に来ております。
1月に、大学の卒業生達の中でも、特に仲の良かった子達が、伊勢に集まるので「いかがですか?」との誘いを受けましたので、喜んで参加することになりました。

   
   徳川美術館

今回ホスト役を買って出てくれた、伊勢在住の子との待ち合わせが夕方とのことですので、徳川美術館に寄ってから伊勢に行くことになりました。
美術館では、時期ですので雛人形をメインの展示になっておりましたが、利休居士の命日が近いということで、特別展示という形で、利休居士が切腹の日に削ったと言われている「泪」の茶杓が会場の中心に展示されておりました。

何んとか細いのだろう▪▪▪写真では何度も見ておりますが実物は初めてです。
切腹を間近に控えこれ程の茶杓を削ったという気持ちの強さに驚きです。
これからみんなで夕食です。

楽しみです。
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疲れを取るために♨に▪▪▪

2017-12-17 16:00:34 | 旅行
12月17日(日)
冷たい師走の風が吹き抜けております。
昨日あまりにも疲れてしまいましたので、骨休みで温泉に来ております。
仲のよい友人が、宿を取ってくれました。

   
   部屋の窓から


三時過ぎには宿には入り、ゆっくりしましたが、暮れの忙しいときにこんなことしていて良いのか▪▪▪何て頭をよぎりますが、ゆっくり休んで行こうと思います。
温泉に入り美味しいものを食べて、のんびりと▪▪▪
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小さな木々達にやっと光が・・・

2017-11-09 17:18:53 | 旅行
11月9日(木)
朝、温泉宿で目覚めたのは、風かな?と思って障子を開けると強い雨が降っておりました。
まわりは明るいのに雨、秋特有の時雨だったようです。

「聴雨寒更尽 開門落葉多」 こんな禅語を思い出しました。

   
   木立の中

朝食を頂いた後に、近くを散策すると、今が紅葉の盛りのモミジに出会いました。小さな木ですので、他の木より遅いのでしょうか?周りはどの木も冬木立だというのに・・・

   
   このモミジも

やはり小さなモミジの木です。
ポツンと独りぼっちといった風情で赤く色づいておりました。

   
   太陽を浴びて

他の木が葉を全部落としてしまったのでやっとお日様が届くようになって紅葉が始まったのでしょうか?
きれいに輝いておりました。

ホテルの周りの木々たちは、すっかり冬支度ですが、小さなモミジは、やった太陽の光を得て光輝いておりました。
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草津温泉に来てしまった

2017-11-08 16:48:09 | 旅行
111月8日(水)
朝から曇っておりました。
昨日、正確には夕方になって「温泉に行きたいね」の一言から急遽決まり宿探しをして草津温泉に来ております。

   
   草津温泉 湯畑

草津温泉には、何度かきておりますが、湯畑をこれほどゆっくり見たのは初めてです。
凄い湯量にビックリです。


   
   全景

宿に入って一息入れてから散策にでかけました。
平日にもかかわらず観光客でいっぱいです。

宿が中々とれずやっと取った宿ですが、温泉以外は期待通りというわけにはゆかないようです。
何はともあれ、♨を楽しんで疲れをいやそうと思います。
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日本に二ヵ所の五稜郭が・・・

2017-10-02 17:59:49 | 旅行
10月2日(月)
雲の広がっている一日でしたが、夕方から降り出しております。
今日は月曜日ですので、ストレッチ教室に行って来ました。

先日の疲れを癒すのに丁度良い運動でした。
今日も昨日の続きです。

   
   五稜郭(写真は資料館に掲示されておりますが、許可を頂いております。)

山梨から長野へと移動して、五稜郭へ行って来ました。
五稜郭と云えば函館を思い出す人がほとんどだと思いますが、信州に五稜郭が存在しております。

五稜郭は全国で二か所があるだけという貴重な城跡でもあります。

   
   五稜郭入り口

五稜郭は、明治政府の取り壊し令により、地所、石垣以外はすべての建物は入札払い下げになってしまいましたという事です。
その後、小学校としての使用が認められて、今は、城跡がそっくり小学校になっております。

   
   最後の殿様

大給松平松平乗謨(おぎゆうまつだいらのりたか)という最後の殿様が、この五稜郭を建設しました。
松平を名乗っていますので、徳川将軍家の一族で、幕末には老中職・陸軍総裁の要職を務めておりましたが、時代の流れで官軍に属して明治を迎えたという事です。

   
   五稜郭の石垣

五稜郭の石垣は、洋式築城の石組みを取り入れて、「打ち込みはぎ」という工法で、接合部分を密着させ積み込み隙間の無いように石を積み、特に砲台下や大手橋付近は「亀甲積み」と云われ、その積み方は美しい造形美を見せてくれます。

大手橋付近はきれいな石組みが見られますが、回り込むほどに「野面積み」になっております。
時間的な余裕と資金面の調達が上手く行かずに幕末を迎えてしまったからです。

   
   五稜郭らしく

五稜郭らしい過度の鋭角が分かるところで、日本のお城では見られない石垣とお堀の水が見られます。
付近に高い所もなく、全体を見る事は出来ませんが興味がある方はぜひ・・・・
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ホテルのアイドルは・・・

2017-10-01 19:14:55 | 旅行
10月1日(日)
10月に入り、秋らしい日が続いておりますが、夕方からは雲が広がって来ました。
ゆっくり休んだので昨日の疲れは余り感じられません。

午前中は一週間分のお買い物、そして、午後は所要のために出かけました。
今日は、昨日のからの続きです。

   
   鴨

泊まったホテルのアイドルだそうで、近寄っても逃げる事はせずに、むしろエサが欲しくて足元まで寄って来て見上げております。

   
   池の鯉

錦鯉がたくさんおりまして、池に近付くと一斉に寄って来ます。それも大きな口を開けております。
これもエサ頂戴のサインだそうです。

   
   ワイナリー

石和温泉ですので、近くにワイナリーがありますので寄って見ました。
ワインの製造過程がガラス越しに見ることが出来ます。そして、見学コースの最後が貯蔵庫です。

たくさんの樽で貯蔵されておりますが、写真の樽は見学用で、実際には温度湿度を管理されたところに貯蔵されております。

      
   ブドウ園

近くのブドウ園に寄って見ました。
高い葡萄棚にたくさんのブドウが生っております。何でも疑問に思うわたしは、「何でこんなにこの棚は高いのですか」即座に「観光バスが入れるようにしてあります」何とも単純な答えでした。

試食のブドウをたくさんいただき、美味しかった品種のブドウを買って帰って来ました。
今日はパソコンの調子が悪く、このブログをアップするのに一時間もかかってしまいました。

原因は、Windows10のバックグラウンドでの処理のようです。




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能登半島周遊の旅は終りに・・・

2017-06-04 17:42:15 | 旅行
6月4日(日)
朝から青空が広がっておりますが、昨日と同じで強い北風が吹いております。私の大事な野草棚の花々も強風にあおられております。

そんな日でしたが、朝から庭木の手入れを総出でやりました。
庭木も大分枝が伸びてお隣さんに行き始めましたので、切り詰めないと伸び放題になってしまいそうです。

今日は、能登半島の旅をまとめて、終わりにしたいと思います。

   
   金蔵寺

このお寺さんには行く予定ではありませんでしたが、下時国家が現在拝観出来ないというので、急遽変更して行って見ました。
このお寺は、たくさんの寺宝を所有しており、特に不動明王坐像が有名です。

中世には七堂伽藍が立ち並んだ大寺院だったそうですが、兵火で焼けて一気に衰退してしまったそうです。
現在の本堂は、寛保年間に再建されたもので、中でも、八脚二重の鐘楼門(写真)は見ごたえがあります。

   
   不動明王

連絡もしないで突然の訪問でしたが、快く拝観させて下さいました。
不動明王というと怖い顔をしたイメージが強いですが、ここの不動明王は何となく可愛らしく感じてしまうほどでした。
余りにも近くで拝見したせいなのかもしれません。

   
   法華寺の不動明王

このお寺の不動明王は国宝に指定されております。
事前に連絡をして訪ねると、門前で奥様が待っていてくれました。

「今日は住職が留守なもので説明が出来ません」と申し訳なそうに言っておりました。
拝観しながらお話を伺うと、今は少し体調がすぐれないので、拝観は御断りしているとのことでした。

どうして私たちには「どうぞ」と快くお受け下さったのかは、今でも不思議に思っております。
立派な不動明王を十分に堪能致しまして、法華寺を後にいたしました。

   
   平忠時一族の墓

法華寺から再び外浦に出て、「平忠時一族の墓」を目指しましたが、案内板がはっきりと出ておらず、内海まで行ってしまい、これは違うとUターンです。

小さな案内板がありやっと辿り付きました。
案内板には、道路から8分と書いてありますが、急こう配の土手のようなところを下って行きますので、足に自信のない方では無理かと思います。

ここは、壇ノ浦で敗れた平忠時が流罪となって過ごしたところです。
今では、館跡などあるだけですが、谷底のようなところですので、冬の寒さと湿気に悩まされたといいます。
殿上の暮らしをしていた大納言は、この配流でどんな思いで暮らしていたのでしょう。

   
   禄剛崎灯台

能登半島最先端の灯台です。
ここも歩いて10分ほどですが、急な山道が続きますので元気の無い人には無理かも知れません。

   
   釜山まで

先端にこんな距離標がありました。何となく納得してしまう雰囲気がありました。
半島好きの人はぜひ訪ねると面白いと思います。

   
   見附島

旅行最終日で、朝食を済ませ出発です。
最初に訪れたところです。

なぜ「見附島」というのか・・・やはり諸説あるようですが、今のところ弘法大師伝説が一番有力なようです。
地元の方の話では、若い方々は「アデランス島」というそうですが、やはり馴染めない気がいたします。

   
   松岡寺

浄土真宗のお寺です。
蓮如上人ゆかりの寺だそうですので、この地方最大を誇り、一向一揆の時には、中心的な役割を果たしたといわれております。

   
   本堂

寺宝である「聖徳太子立像」は国宝に指定されておりますが、さすがに公開はしておりませんで、等身大の写真がお厨子の横に立っておりました。

奥様が住職の不在を申し訳なそうに案内してくださいました。   
  
松岡寺の後、予定では、蔵が全部漆塗りというお宅へうかがう事になっておりましたが、当日は急遽不在という事で取りやめになってしまい時間がポッカリト空いてしまいました。

カーナビに逆らうように、狭い海べりの道を選びながら酒蔵を訪ねて見ました。

   
   鶴野酒造

一度は断られてしまいましたが、交渉して案内をして頂けることになり、酒蔵内を案内していただきました。
観光化されている蔵元は、綺麗に整備されておりますが、ここの蔵元は、いきなり行った事もありますが、普段通りの姿を見せてくれました。

かなり雑然とした蔵でしたが、凄く感じの良い案内振りでした。

     
   手書きのラベルの純米大吟醸

帰りには、行った者たち全員がお酒を買い、ご迷惑をおかけした事へのささやかな償いと云ったところです。
注文してから随分待たされ、やっと瓶を持って出て来ました。

「ラベルを書いておりましたので、すいません。」とのことで、手漉きの紙に黒々と酒銘が書かれておりました。
何本か並びましたから、見ると、字がそれぞれ違うのに気が付きました。
貴重なお酒を買う事ができました。

     
   明泉寺

このお寺は、弘法大師も訪ねたと云われる由緒ある寺ですが、上杉兼信の能登侵攻により多くの堂宇を焼失してしまったそうですが、境内の「石造五重塔」は残り、国の重要文化財に指定されている。

   
   絵図

庫裏に声をかけても誰もおらず、諦めかけた時に裏山で人の声がするので、「お寺の方はいらっしゃいますか」と大きな声で二度三度、すると、作業着を着た方が、「ハイハイ」と出て来てくれました。

本堂へ案内され、詳しいお話を伺う事ができました。
この絵図も普段は公開しないそうですが、何だか特別にと見せてくれました。

鎌倉時代の絵図だそうですが、年代は定かではないとご住職は言っておりましたが、往時の姿を描いている貴重な資料です。

   
   海辺の道   
   
今回の旅は、意識して左手に海を見ながらのドライブを心掛けましたので、ほとんど能登半島を一周したと思います。
自動販売機も食堂、もちろんコンビニなどない漁村を走り続けたのですが、食事処を探すのには苦労しました。

それでも、楽しい旅でした。
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能登半島周遊の旅二日目は・・・

2017-06-01 18:13:10 | 旅行
6月1日(木)
薄曇りですが、蒸し暑い一日でした。
明日のお稽古の準備の日ですので、朝から動き回り、やっと終わりホッとしております。

今日も昨日に続いて能登半島周遊の旅の備忘録です。

   
   朝市

輪島の朝市は、三大朝市に数えられている朝市です。
八時から始まるというので朝食を済ませてから行って見ました。

ここの朝市を見るのは40数年ぶりですが、私の記憶では、あの頃の方が活気があったような気がしております。

   
   阿岸本誓寺

能登で最大最古と云われている浄土真宗のお寺さんで、前田家からの通知があると、この地方の寺院に伝達をする「触頭」(ふれがしら)の格付けを持った由緒ある寺でしたが、今では、往時の風格は巨大な茅葺の本堂に面影を残すのみです。

      
   本堂

茅葺の屋根には大小の草が生えて、哀れなほどの姿をさらしておりますが、むしろこれが良いと云ってお参りに来る方もいるとか・・・私たちもその一人です。

屋根に草が生え、階段も草で覆われております。

   
   黒島町の家並み

この町は、昔の家並みがそのまま残っているとこです。
私達は30分くらい散策をしておりましたが、町の人に合う事はありませんでした。まるで、映画のセットの中を歩いているようでした。

   
   掛戸

掛戸とは、火事になった時に「掛け」と云われる物を外して「戸」を倒して延焼を防ぐための知恵だそうです。
戸が倒れると土壁になっているそうです。


国の保存地区に指定されているために、サッシなど近代的な建具も使う事ができずに、その景観を守っております。

   
   総持寺祖院

総持寺祖院は能登を代表する寺院ですが、10年程前の地震で大きなダメージを受け、復興の真っ最中でした。
シンボルでもある山門が20mほど移動して基礎工事をしておりました。

建物をひとつずつ修復して行くのだそうです。
禅寺の最も大切な、座禅堂は一番に建て直したそうですが、周りと馴染まないでおりました。

私達は、少しですが瓦一枚ずつ寄進してまいりました。

   
   峨山道

我山道は、前日に行った永光寺の住職である「峨山禅師」が、永光寺でお勤めを済ませると、総持寺に行き、お勤めを済ませると、再び永光寺に帰って来たと伝えられる道です。

禅師は、住職を兼務していたために、およそ60キロを毎日往復したといわれております。

  v
   千枚田

ここは有名な千枚田です。
正式には「白米千枚田」というそうで、一番小さな田は新聞紙一枚だそうで、結構有名人がオーナーになっているそうです。

この日はお天気が良すぎて、写真はよく写りませんでした。
 簑の下 耕し残る 田二枚  こんな句が残っております。

   
   上時国家

「平家にあらずんば 人にあらず」と公言していた平時忠の五男が継いだ家柄だと伝えられております。
今ではすっかり観光化されて、私たちが行った時も大型観光バスが止まっており、大勢の人々がガイドの案内に耳を傾けておりました。

敗れた平家が流罪になった経緯は諸説あるようですが、義経が絡みほとんどが伝説の中で膨らんだお話のようですが、この辺り一帯、その伝説が生き生きと生き続けているようです。

   
   昼食

暑い日でしたので、もり蕎麦を注文したところ、どんぶりで持って来たので、「冷たい蕎麦です」というと、「ハイ、冷たい蕎麦です」とのことでした。

この地方では、もり蕎麦は無いそうで、どんぶりに冷たい汁をかけた蕎麦を云うそうです。
勉強になりました。


まだまだ旅は続いております。


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能登半島周遊の旅一日目は・・・

2017-05-31 18:07:54 | 旅行
5月31日(水)
昨日の青空から一転して雲が広がっており、何となくムシムシとした一日でした。
今日は大學がお休みですので、能登半島の旅の備忘録になります。

   
   気多大社神門

金沢駅からレンタカーで50分程で能登国の一宮「気多大社」に着きました。
まずは、これからの旅の安全をお願いするためにお参りです。

神門は国重要文化財に指定されており、桃山時代に建立されたそうです。
本殿は、修復工事が行われていて、白い工事用の幕に覆われておりましたが、大国主命をお祀りしており、今では、出雲大社と並んで「縁結びの神様」として有名になっております。

   
   永光寺山門

瑩山禅師が開山した曹洞宗のお寺です。
後醍醐天皇の勅願により道場として定められてから、隆盛を極めて30余りの堂宇が建立され、能登国随一の地位を確立しといわれております。

   
   本堂

「永光護国禅寺」は、江戸時代初期に曹洞宗の輩出した傑僧と云われた「月舟宗胡禅師」の筆によるものです。

   
   短冊

拝観が終わり、帰ろうとした時に、ご住職がおられましたので、「何か書いていただけますか?」とお伺いしたところ、「う~ん!ちょっと待って」と事務所の隣の部屋に行きましたので待っていると、色紙を2枚持ってきてくれました。

拝見したところ、今まで見たことも無い禅語が揮毫されておりましたので、今度は、私が「う~ん」と見つめていると、「これは難しいね」もう一度引き返しましたので、思わず付いて行ってしまいました。

入った部屋に「喫茶去」の短冊が・・・じっと見ていると、ご住職が後ろに立っておられ、「これ駄目ですか?」と思わず言ってしまいました。

ご住職はニッコリされて、そこから外して私に差し出して「どうぞ」と云って下さいました。

   
   喫茶去

拝観が終わり、頂いたお茶とお菓子です。
「まあ、お茶でも召し上がれ」文字通り「喫茶去」お茶を頂いて永光寺を後いたしました。

   
   豊財院

豊財院は、永光寺を開山した瑩山禅師が草庵を結んでいた場所に寺を建てたのが始まりだそうで、元和元年の創健と伝えられております。

ここの寺院には、日本最古の馬頭観音菩薩、聖観世音菩薩、十一面観世音菩薩が所蔵されいずれも国重要文化財に指定されております。

   
   山門に鐘

また、中興の祖と云われている、月潤禅師が自らの手を切って、その血によって書かれた「大般若経」が保管されております。
仏像も間近で拝見でき、何よりも驚いたのは、血で書かれた「大般若経」を拝見させていただきましたが、身震いするほど感動してしまいました。

一代では成し遂げられなかった「大般若経」は、歴代のご住職により完成されたという事です。
箪笥に書かれた年代順に保管されておりました。

月潤禅師が書かれたものと、最後に書き上げられたものとでは、年月の開きがありますので、色の違いが歴然としております。
凄いものを拝見させていただきました。

   
   妙成寺山門

日蓮宗の大きなお寺さんです。
広大な敷地に幾多の国の重要文化財の建物が点在しております。

   
   五重塔

中でも目を引くのは五重塔で、威風堂々という言葉がぴたりとはまるような塔でした。上から2層目には欄干があり、いざという時には、見張り台になり、遠く金沢に連絡をする場所でもあったそうです。

   
   日蓮上人

祖師堂で法要が営まれており、戸が解放されておりましたので、写真を撮らせていただきました。凛々しいお顔をされております。

このお寺も、前田家の手厚い庇護があり、前田家のお墓が何基かありました。
以前は、国宝でしたが、今は重要文化財となっておりますので、寺や市は、国宝に指定するように、大々的に運動をしているそうです。

近々国宝になるかもしれません。
それでも、寺近くに行くと「国宝妙成寺」という大きな看板が出ておりましたが、昔のまま出しているそうです。

   
   昼食

昼食は浜辺のレストランでとりました。
ここの名物ランチをお願いしましたら、こんなのが運ばれて来ました。
   
昔はハマグリがたくさん取れたそうですが、今はさっぱりだそうで、中にはハマグリの代わりに、アサリがたくさん入っておりました。

夕方4時半まで、羽咋市の寺院を巡り、輪島に向かいましたが、およそ1時間くらいのドライブでした。




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能登半島周遊の旅を終わり・・・

2017-05-30 19:50:50 | 旅行
5月30日(火)
抜けるような青空の中、能登半島周遊の旅が終わり帰宅しました。
楽しく観光していたのに、帰って来たらグッタリとしそうです。

   
   妙成寺

初日に行った羽咋市の妙成寺の五重塔です。
ここは日蓮宗のお寺で、加賀藩前田家の手厚い保護で広大な敷地と建物はすべて重要文化財だそうです。

何でも元々は、国宝だったそうですが、法律の改正で重文に格下げになったそうです。

   
   禄剛崎灯台

能登半島最先端にある灯台です。
ここに立つと、凄く遠くに来た感じがします。
下から上り道を歩いて行くのが大変でした。

   
   見附島

通称軍艦島と云われている島です。
朝早かったために逆光ではっきり撮れなかったのが残念でした。

今回の旅も、お寺さんを訪ねる事が多く、どのお寺さんも快く拝観させてくれましたので、国宝、重文の仏像を間近に拝見することが出来ました。

断られたお寺さんは一か所もありませんでした。
感謝、感謝です。

写真を整理しながら、備忘録的ブログを何回かに分けて掲載したいと思います。

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