定年だ!!世界一周

サラリーマン36年、
いよいよ念願だった世界一周に出発2015年4月1日
2016年1月22日219日間27か国達成

安い~~

2015-08-19 16:02:13 | 一時帰国中


旅行中失くしたメガネと新しいサングラスを買いました。
なんと2つで8400円、日本はビールや食事は高いけど、物は超安い~~

申し訳ないぐらい(笑)
でも助かります^_^

5ヶ月ぶりに朝ラン^_^

2015-08-18 07:02:46 | 一時帰国中


一時帰国以来、時差ボケ、宴会、猛暑など言い訳ばかりで、ゆるゆるの生活送っていました。

さすがに再出発まで2カ月を切り、体力を付けないと~~

しかしいつもの5キロを10分もオーバーしてゴール(泣)

せめて2日に一回は走ろう(笑)

75歳タンザニアの日本人ボランティア報告 2

2015-08-17 17:11:12 | 一時帰国中

タンザニアでボランティアをされている75歳の桑波多さんより先に送ったのこぎりの

お礼状と近況報告がエアメールで届きました。アフリカが蘇えってきました。

閉鎖されて孤児院の活動は終了して、現在は近くの別の「ムサマリア」という独立系の孤児院での活動に変わられているようです。そこで飼っている鶏の小屋作りに送ったのこぎりがお役にたっているようです。よかった!!

同封の写真が孤児院だそうです。孤児は38名、5歳から15歳まで。

余談ですが、のこぎりを送るときに日本の新聞を「朝刊」同封しました。

手紙に活字に飢えていたので隅から隅まで何度も読んだと書いてありました。

お役にたててよかったのと、なんだかその気持ちが分かりジンと来ました。

がんばれ日本の75歳ボランティア!!

 

 


電気を使わない~~

2015-08-16 11:34:21 | 一時帰国中

世界一周に行く前、テレビで宣伝していたダイソンの新型掃除機が欲しくて欲しくて~~買おうかと思っていましたが、帰ってからの方がさらに新型掃除機が出てるかもと思い我慢して出発しました。

ところがある人のブログの記事を読んで、原発反対で電気を節電?するつもりならこんな電化製品を買っちゃダメと気がつきました。

ではどうしようと考えた結果、ホウキがあるじゃないかと~~

早速先週から室内の箒と塵取りを購入しました。

階段や廊下を掃いていますが、力を入れ過ぎると舞い上がりなかなかうまくいきません。

茶殻をまけばと家族は言いますが、トイレ掃除の短い合間ですからそんなに時間はかけられません。

どうしたらいいのでしょうか。箒での掃除の仕方、ネットで調べるのもなんだし・・・・・・・

しかし確実に掃除機一台分の節電が出来ました。

そして教えてくれたブログの記事、稲垣みえ子さん。

私が旅行に行っている間にニュースステーションに出て、ご本人が大変だったらしい。

参考まで

前回、節電のため冷蔵庫のプラグを抜いた体験を書いたところ、テレビに出ませんかというお話を頂いた。大好きな高野山からの中継と聞き、釣られてノコノコでかけた私が浅はかであった。
 想像をはるかに超える反響。中でも予想外の反発にたじろぐ。「お前は電車に乗らないのか」 「電気なしでは工場も動かぬ」「高齢者にも節電を強いるのか」
 週刊誌からも取材がきた。尋問のごとく数時間で答えよと迫る某誌の質問状にも全力で答えたつもりだが、バカ、偉そう、さんざんな書かれようである。
 いやはやテレビに出る人を尊敬します。皆さん心が強い! 私1回で折れました。
 それにしても、節電生活を伝えることが批判の的となることに驚く。血が上った頭を冷やし、そのわけを考えた。
 もしや「恐れ」ではないか。電気の否定は豊かさの否定につながる。貧しさの強要・そう受け取られたのではないか。
        □
 改めて、我が家で使わなくなった家電製品を振り返ってみた。炊飯器、電子レンジ、冷蔵庫、ドライヤー、掃除機、洗濯機……社会人になり一人暮らしを始めたとき「これがなくては暮らせない」と、引っ越し当日に買いそろえたものばかりだ。
 私とて、一つとして手放す気はなかった。それがなぜこんな地点まで来たのか。
 転機は掃除機との別離だったと思う。大震災前のことだが、エコ生活を始めた友人が「掃除機を捨てた。ほうきで十分」と言う。ウソでしょと思ったがまあ試してみることに。すると何と言うことか。私、まさかの掃除大好き人間になったのである。
 元々掃除は苦手。母に「きれいにしなさい」と何度叱られても面倒で、汚部屋から卒業できぬまま中年になった。それが今や、美しい江戸箒シャッシャと床をはくのが毎朝の心落ち善く習慣である。軽い。すぐ出せる。音がきれい。で、部屋もきれい。すばらしい。私は掃除が嫌いだったの
ではなく、重くコードがからまり騒音をたてる掃除機が苦手だったのだと気づく。
「手放す」ことは、貧しく不便なのか。これでわからなくなった。電子レンジは蒸し器でOK。ご飯も鍋でなんとか炊ける。アフロは自然乾燥。洗濯も風呂で日々手洗いすればよい。むしろ湯を使うので驚きの白さだ。
 実は私、「家電の子」である。父は家電会社の営業マン。狭い我が家にも最新式家電はいち早く導入され、友達がカラ?テレビを見に来て誇らしかった。電子レンジの展示会では熱いおしぽりに感動した。手に入れる幸せをかみしめて育った。
 だが手放したあとにも幸せがあった。ご飯をふっくら炊く手順、効果的なつけ置き洗いの方法を探る日々は、自分の中に眠っていた力が生き生きと動き出す刺激に胸ちている。これって、行き詰まりがちな人生を救うイノベーションではないか。
 考えてみれば、便利なものを手に入れるとは、自ら考え工夫する機会を失うことでもある。得ることも失うことも結局は同じなのだ。なのに「あったら便利」に執着
し、「ないと不安」とおびえていた。
 生きるとは、これほど自由で身軽なものか。それが今の正直な思いである。
         □
 ところで、冷蔵庫のない暮らしは今も続行中。買った物はその臼に食べる覚悟さえ決めれば案外どうということはない。
 問題は、たくさん作らないとおいしくない煮物。好物なのでこれは痛い。昔の人はどうしていたのかと、時代劇を見てピンときた。お裾分けだ。子どもの頃、おかずを作り過ぎたと隣の人が総菜を持ってきた。あれは冷蔵庫がないころの名残であろう。プラグで接続されていなかった時代、人はつながりとやりくりで支え合ったのだ。
 確かに、節電生活は世の情けなしには成り立たぬ。スーーパーは我が家のかわりに冷蔵庫で食材を保存してくれている。暑さ寒さが厳しい日はカフェペ。銭湯へ行くのも習慣になった。近所全体が私の家なのだ。気づけばカフェ店主と世間話を楽しみ、銭湯では常連のおばあちゃんに「若い人は肌がきれいねえ」と言われて喜んでいる。
 世の中は案外親切に満ちている。プラグを抜いて初めて気づいたことである。