昭和20年8月9日午前11時2分二つ目の原子爆弾が長崎に投下された。最初の投下予定地は私が生まれた小倉だったそうです。その日の小倉上空は朝霧で視界不良のため第2目標の長崎に回ったそうです。一瞬にして7万5千人の命を奪いました。戦後75年、そんな歴史の扱いはとても小さくなっています。今日の新聞の一面の隅に小さく掲載されていました。広島長崎そして福島、これだけ原子力の被害に遭っても、まだ原爆保有や自衛隊の軍隊化を主張し、そして原子力発電を推進しようとする政党も多くあります。たったひとりの個人ですが抗議のため黒画像にしました。