68歳、オリンピック、パラリンピックボランティアを3か月間にわたり行いました。活動の総集編です。
実働日は23日間、幕張メッセと東京フォーラムで表彰式担当でした。オリンピックはテコンドウとレスリング、パラリンピックはパワーリフティングとシティングバレーでした。
一日に何度も表彰式をしますので私はトータル39回やりました。
仕事は表彰される選手に控室で表彰手順や注意事項を説明。試合後すぐですので泣いていたり、興奮していたりしていてなかなか聞いてくれません。また英語が通じない国が多いので通訳をお願いしますがそれもなかなか苦労します。表彰する側のプレゼンターにも手順を説明します。こちらは何度もされているようで説明が要らないと言いますが、そんな方に限って壇上で間違った手順をします。終わってから会場の責任者(外国人)から事前にしっかり説明をするように厳しい指令が飛んできます。また当日急に手順が変えられます。問題はメダルの次に花を渡すときにおきます。コロナ禍なので選手にトレーからとってもらいます。花とぬいぐるみが一緒になっています、その首周りに金銀銅の小さな襟のようなものが着いています。これはとても見にくくて、何度も銅や銀の人が違う色を取りました。外国人のプレゼンターは壇上でも「それは違うと」言いながら指をさしますが、日本のプレゼンターはなされるがままです。お国の違いが垣間見えました。これも責任者から事前説明の強化が求められました。そりゃ違うでしょと心の中で思っていました。
(どこの会場も責任者は外国の方です。たぶん国際何とか協会の指定の責任者なのでしょう。従って日本側は完全に下請け状態です。)
もちろん説明するのは私たちボランティアです。そしていよいよ表彰式です。コロナの関係で舞台に上がれるボランティアは2人から3人です。プレセンターをエスコートする人。選手をエスコートする人。他には最終的には事前に舞台からは降りていますが、メダルや花束をトレーに乗せて会場に机に運ぶ人、国旗掲揚の自衛隊の手伝いをする人、さらにはメダルやトレーを載せる机を運ぶ人などです。
表彰式ボランティアは毎日10名前後来ます。英語の得意な方もいらっしゃいますが、ほぼ日本人英語の方も半数以上います。しかしその方たちも選手への説明やプレゼンターの説明をして舞台に上がるエスコートを希望されます。途中でこの方たちのために私が前日のテレビ放送の表彰式部分を編集してパソコンで見せれば英語が片言でも出来る動画を作りました。注意すべき事項を箇条書きにした日本文と英文も作りました。特に英文は日本が喋れない通訳の方には重宝されました。他にも選手のフォトセッションの動きを漫画にしてくれた人やパワポを作ってくれた人もいました。(一日に3回も4回も表彰式を行うので事前に用意されていた英語のテープでは間に合いませんし、ほとんどが英語圏外から来てますので役に立ちません。実際ほとんど使っていません。)その甲斐もあって英語の不得意な方も全員希望通り舞台に上がることが出来ました。多くの会場の運営スタッフも全員を一度は希望の場所をさせてやろうと言ってくれました。もちろん事前の説明は英語が喋れる人たちがサポートしました。20代の学生さんから60代まで、特に60代前後の英語が得意でない女性たちも本番になると堂々と日本語英語を駆使してエスコートしました。女性は本番に強いですね。
パラリンピックではプレゼンターには目の不自由な方や車いすの方もいました。プレゼンターは日本人と外国人が半々と言ったところです。しかし日本人にはこのようなハンディを持った方は私が担当した10数回の表彰式には皆無でした。ほとんどはなんとか委員会の役員です。よく調べると役人の天下りが多かったようです。もちろん協賛企業の役員の方もいました。せめてパラリンピックですからその団体のハンディを持った方を同伴して舞台に上げてほしかったですね。日本と外国のハンディキャッパーへの対応の違いを見たような気がしました。
さて外国人のハンディを持ったプレゼンターの皆さんはとても堂々としていて元気です。事前の予定では途中でトレーを落としてはいけないのでボランティアがトレーをもって、同行して、プレゼンターにトレーを指ささせて選手が取る・・・なんて言ってリハーサルをしました。私たちボランティアは目の不自由な方にはその人のガイドが着いて歩くのでその方に持ってもらうか、選手の前でトレーをその方に渡してはと言いました、車いすの方のも同様の対応をお願いしましたが、運営スタッフは絶対にメダルやお花を落としてはいけないとのことでこの提案は却下されました。
ところがリハーサルが終わると外国人の責任者からプレゼンター本人がやりたいようにさせるよう命令が来ました。今度は逆に事前に手順を説明するのでなく白紙の状態で聞いて対応せよと指示されました。日本のスタッフは電通、東急エイジェンシー等からの3次請けで集められた請負の個人の集団です。(責任感と能力は高いのです。でも初めてこの会場でチームになったようです。)従って外国人責任者からはの指示は絶対です。しかしこの指示も10分ぐらいしかない説明時間の中では不可能です。ボランティアは簡単な図と説明を箇条書きにして説明したのちにその方の希望を聞くスタイルに変えました。(もちろん内緒です)実際は目の不自由な方はガイドの方がトレーをもって選手の前でプレゼンターにそれを渡したか、はじめから目の不自由な方がトレーをもってその方をガイドした場合もありました。また車いすの方は最初にボランティアが膝の上にトレーを載せて本人が選手の前まで自走または電動で行かれました。すべてが健常者とほぼ同じでした。ある意味日本のように過保護?気の使い過ぎではありません。
そんなボランティア集団でしたが皆さん何とか成功させたいと思う気持ちは一緒ですから途中からアイデアを出し合い、助け合って最後には同士のような結びつきになりました。コロナでなければ今ごろ大宴会でしたね(笑)
参考までにボランティアは交通費一日1000円、食事はお弁当か食堂でカレーか丼を選択します。他にはユニフォーム一式(半袖シャツ3枚、ジャージ下、マスク、靴下各2枚、帽子、靴、ポーチなど各1個)、表彰式担当者には表彰式服装一式。他には飲み物一日一本、記念バッチなどくれました。
PCR検査は私たちは選手と1メートル以内で何十分も説明しますが、許されたのは4日に一回でした。
大会実行委員会もコロナ対策などでひどく混乱していてようで、ボランティアの正確な活動時間などはほぼ2,3日前にメールで知らせれ、時間変更や追加などは頻繁に行われました。
そして終わって思うのは、ボランティアつまり無償の奉仕です。だからこそまじめで最後まで何とかしようと思う気持ちを感じました。私もこんなにまじめに働いた23日間はサラリーマンの時でもありませんでした(笑)先ほどのパラリンピックの表彰者の違い、放送時間の違い、そしてオリンピックとは段違いに少ない事前の強化費など日本の国がハンディを持った方への対応が不足していると感じました。
運営では3次請負であったからかもしれませんが、日本人は言われたことへの遂行力は世界一だと思います。しかしイレギュラーな対応はとても苦手なようです。これも金太郎あめ型の教育のせいでしょうか。
最後にオリパラ実行委員会。トップの方が「やればできた」と言われましたがとても残念や発言です。私は「やらせれば出来た」が正解のような気がします。
しかしとても貴重な経験が出来ました。だからと言ってこのコロナ禍に開催したことに賛成だったわけではありません。しかしボランティア仲間と選手に感謝です。
(例えば私が担当したパワーリフティング、これなどは競技数が20もあるのにテレビどころかネットでも全く放送されませんでした。またメダル数(パラリンピックでメダル数を競うのはいけませんが、各国のパラ競技への力の入れ方を図るパラメーターとして使用すると。)中国207、イギリス124,アメリカ104で日本は11位で51です。片やオリンピックでは日本は58で第5位です。これを見ると如何にパラリンピックに力を入れていないか、開催国なのにパラスポーツをこのパラリンピック開催を機会として使って発展させる度合いが低かったのかが分かります。
一方テレビ放送でも公共放送と言われて税金と視聴料を注ぎ込んだNHKまでもが本来の役割を忘れて民放と同じ土俵で競っていたかです。教えていただいたイタリアの例ではありませんが、NHKはオリンピックよりパラリンピックの放送時間を長くして日本中にパラ精神を普及させる役目を務めるべきだったのではないでしょうか。公共放送NHK、面白くて楽しくて視聴率が高い、そんなものは民放に任せて本来のお仕事をなさってほしいものですね。イタリアの友達から教えられました。
(イタリアの友人からのメール)
イタリアでは、国営テレビがパラリンピックの競技を、オリンピックよりも何時間も多く、ライブでも再放送でも、必要に応じてストリーミングでも放送しました。
これは、パラリンピック選手への注目度が高いからではなく、オリンピックでは民放が独占していたため、国営放送がすべてを放送したり、ストリーミングを利用したりすることができなかったからだと思います。)
以上 オリンピック、パラリンピックボランティア参加の総括でした。私が体験した会場でのことです。従ってこれがボランティアのすべてではありません。何かのお役に立てればと思いまとめてみました。
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