ねぎやんのしま人のたわごとパ-ト2

視覚障碍者、ねっしーのあれこれ日記・・・

いつのまにか

2023-04-21 13:16:09 | 日記

今年一年、

町会の班長さんは根岸さんの番ね、よろしく!と

頼まれました。

と言っても、集金くらいしかないのですが。

で、お金集めに回りますと、いつのまにか

かなりのお年寄りしかおりません。

まあ考えてみればそうだね、だって自分がおじいちゃんですから。

ん~、複雑な心境です。

あと何年かすると、さらに年齢が上がって・・・

あまり考えたくないですね。

でも、これが日本の現実なのだと思い知らされました。

今の私たちにできることは、

「若者の邪魔をしないこと」

そう思います。


東京湾観音

2023-04-21 13:07:16 | 日記

幼少期の思い出のついでに・・・

 

私がやはり幼少期に思い出に残っているモノといえばこれです。

 

東京湾観音です。

東京生まれ東京育ちですから、千葉(内房)へはよくいきました。

海水浴へ行く途中、必ず出くわす風景に、この東京湾観音様があります。

電車の中、車の中、もちろん直接行ったりもしました。

私の生まれるちょうど1年前、1961年(昭和36年)の9月にできたと聞いております(違っていたらゴメンナサイ)

とにかくその優美な姿と大きさに圧倒されてしまいます。

また、実際に上った時に見える東京湾の眺望はとても感動ものでした。

定年になって毎日ヒマしているので

そのうち行こうと思っております、ハイ。


古き良き時代

2023-04-21 12:37:35 | 日記

久しぶりの投稿です。

お待ちかねの方、ごめんなさい。

で、

先日、父に「昔、この家の1階が工場だったときの写真残ってる?」

と聞くと

”ホレッ” ・・・とアルバムを数冊机にぶちまけて

「この中にあるかもしれないからもってけ」と言われました。

今と違ってデジタルではありませんから

クソ重たいアルバムをめくることに。

すると、忘れかけていた思い出が飛び込んできました。

 

我が生まれ育った旧家、葛飾区堀切の綾瀬川沿い土手(堤防)での一コマ

となりの女の子は”順子ちゃん”

旧家のとなりに住んでいた女の子です。

この写真は、彼女が引っ越す当日に撮ったものと記憶しております。

違っても数日くらいでしょう。

なので、彼女はとても悲しそうな表情をしているのです。

最後のお別れの時に

「一也くん、さよならだね、おかし食べる?」と

”スピン”だっけかな?そんな名前のお菓子をつまんで

くれました。

「ありがとう、元気でね、ばいばい」

それが最後に交わした言葉です。

実は、ここは首都高速中央環状線で立ち退きが決まっており

次から次へとみんな引っ越していってしまったのでした。

お友達がみんないなくなってしまいました。

だから寂しかったのですね。

で、

現在はこうなってます。

 

彼女は当時、仙台に引っ越したそうな、震災は大丈夫だったかなあ?

元気でいることを祈っています。

すでに50年以上が過ぎてしまいました。

昭和47~8年だったかと思います。

遠くに行ってしまった風景、遠くに行ってしまった時間、

引き裂いたのは「高速道路」でしたが、

この高速を走ればまた会える、つないでくれているのも高速道路なのでした。

 

ちなみに、当時の時代が分かりやすいのはこの写真

 

船橋ヘルスセンターの通称”大滝滑り”

帰りに母が地球儀のついた鉛筆を買ってくれたのを

思い出します。

こち亀などにも出てくる東京近郊の名所でしたね。

日本が元気いっぱいの時でした。