YOUNG GUITER(ヤングギター)と言う雑誌は男の方ならご存じと思います。
若かりし頃、心をときめかせて見ていたのではないでしょうか?
かく言う私も、高校生時代にお世話になりました。
高校入学して、友人たちとバンドをやろうとお風呂屋で話したのがきっかけでした。
ベースとドラムはすでに楽器を購入して決まっていて、ギターは長らくフォークをやっていたので私、キーボードはこれまた古くからの友人がやりたいと言うので担当決定、サイドギターは、やはり人伝えに声がかかり、是非入れてやってくださいと、入って来たバツグンに頭の良い友人との、このメンバー5人がメインで始めることになりました。
私は、ベースとドラムの友人からエレキギターを借りて練習するかたわら、(高校2年の夏まで持っていませんでした)ヤングギターの譜面や記事で勉強していたものでした。
さて、そのヤングギターのお話しなんですが、と言うか、1980年にギタリストとしては大ヒットさせた「高中正義」氏の”BLUE LAGOON”のことについて紹介しましょう。
時はヒットする1年前、キッスの”ラヴィンユーベイビー”がヒットしていた当時、ひっそりとその美しいメロディの存在を示唆する発言を高中氏はこのヤングギター 1979年9月号の手塚さとみさんとの対談で言っております。
↓ 1979年9月号(8月1日発売)
↓ ギタリストと美女対談
↑ この真ん中の下段あたりに
「もうすぐレコーディングに入る(おそらく対談していた時期は服装から5月くらいではないかと思います)。聴いててもっと強くジーンとくるものをやれたら最高だけどね、発売は11月頃」
こう言っていました。
おそらく彼自身も自信があったのでしょう。
のちにJOLY JIVE と言うアルバムが世に出て、かの”BLUE LAGOON”が
パイオニアのCMに起用され、ギター少年たちの心に留まったのです。
スタジオ風景は、同ヤングギター 1979年12月号(11月1日発売)に、特集が組まれています。
当時、高中氏は、JOLY JIVE のレコーディングに海外ではなく、伊豆のポリドールスタジオで録っていました。
伊豆からBLUE LAGOON が始まるとは思ってもみませんでした。
雨男の高中氏らしからぬ、華やかなジャケットと中の歌詞カード、当時それはとても魅力的でした。
RDIO RIO のポストカードの印刷写真は特に好きでした。
機材なども紹介されていますね。
また当時に戻って弾きたいです。
私も書いている時点では61歳ですが、遠い遠い昔の記憶は、コンピューターでは蘇らない、雑誌ならではの空気感が読み取れます。
ずっとずっと撮っておきたい雑誌のご紹介でした。