友人が死んだ。
いや、友人とは呼べないかもしれない。
中学、高校をテニスで共に過ごした仲間だった。
ボクは、大学1年間だけテニス部に在籍したけれど、彼は主将まで務めた。
ガンだったそうだ。
もうかれこれ40年以上、年賀状だけのやり取りしかなかった。
二年ほど前に、彼の部下がボクの講座に申し込みをして、あいにく定員で入れなかった。
なつかしくてすぐに電話を入れたけれど、その時にはつながらず、そのままになってしまっていた。
珍しく、今年の年賀状には、ひと言手書きのあいさつが書いてあった。
昨晩の通夜の席には、テニス部の先輩後輩がたくさんいた。
中学のテニス部の先生もいた。
「みなで飲もう」
誰ともなく言い出して、中野の飲み屋へ。
彼らは、「テニス」を通して今でもつながっている。
ボクは40年間の空白があって、すぐには思い出せない事ばかり。
それでも、久々に
「かずたか、お前は・・・・」で始まる先輩の響きが心地よかった。
先輩がすでに二人亡くなっている。
高校のテニス部の顧問の二人の先生も旅立ってしまった。
もしも、あの時に退部をせずにテニス部に残っていたら・・・・
ふとそんなことを想った。
きっとそこには、全く別の人生があったに違いない。
そして、この人たちと過ごす時間を、ボクなりに楽しんでいたのだろう、と。
でも、ボクはあの時に、あの選択をしたわけで、今のボクがここにいる。
ボクは、昨晩の再会がとてもうれしかった。
青春時代が、グンと引き寄せられたような気持だった。
そして同時に、ボクの記憶の中の高校生だった後輩たちが、58や59になっている。
先輩たちは、変わらずに先輩然としている。
鈴木一広君。
早すぎる死は無念だったに違いない。
でも、残した功績は大きかったに違いない。
そして、昨晩は久々にボクたちを出会わせてくれました。
主将も務め、企業の社長まで務めた君だけれども、あの世のテニス部では、また一番下っ端。
先に旅立ったテニス部の先輩や先生たちのために、コート整備とボールボーイをせっせとやっていてください。
きっとそちらの世界でも、君の持前のガッツで生き抜いていくのでしょう。
今までの40年のように、時をおかずに出会えるはず。
また会いましょう。
冥福を祈る。
いや、友人とは呼べないかもしれない。
中学、高校をテニスで共に過ごした仲間だった。
ボクは、大学1年間だけテニス部に在籍したけれど、彼は主将まで務めた。
ガンだったそうだ。
もうかれこれ40年以上、年賀状だけのやり取りしかなかった。
二年ほど前に、彼の部下がボクの講座に申し込みをして、あいにく定員で入れなかった。
なつかしくてすぐに電話を入れたけれど、その時にはつながらず、そのままになってしまっていた。
珍しく、今年の年賀状には、ひと言手書きのあいさつが書いてあった。
昨晩の通夜の席には、テニス部の先輩後輩がたくさんいた。
中学のテニス部の先生もいた。
「みなで飲もう」
誰ともなく言い出して、中野の飲み屋へ。
彼らは、「テニス」を通して今でもつながっている。
ボクは40年間の空白があって、すぐには思い出せない事ばかり。
それでも、久々に
「かずたか、お前は・・・・」で始まる先輩の響きが心地よかった。
先輩がすでに二人亡くなっている。
高校のテニス部の顧問の二人の先生も旅立ってしまった。
もしも、あの時に退部をせずにテニス部に残っていたら・・・・
ふとそんなことを想った。
きっとそこには、全く別の人生があったに違いない。
そして、この人たちと過ごす時間を、ボクなりに楽しんでいたのだろう、と。
でも、ボクはあの時に、あの選択をしたわけで、今のボクがここにいる。
ボクは、昨晩の再会がとてもうれしかった。
青春時代が、グンと引き寄せられたような気持だった。
そして同時に、ボクの記憶の中の高校生だった後輩たちが、58や59になっている。
先輩たちは、変わらずに先輩然としている。
鈴木一広君。
早すぎる死は無念だったに違いない。
でも、残した功績は大きかったに違いない。
そして、昨晩は久々にボクたちを出会わせてくれました。
主将も務め、企業の社長まで務めた君だけれども、あの世のテニス部では、また一番下っ端。
先に旅立ったテニス部の先輩や先生たちのために、コート整備とボールボーイをせっせとやっていてください。
きっとそちらの世界でも、君の持前のガッツで生き抜いていくのでしょう。
今までの40年のように、時をおかずに出会えるはず。
また会いましょう。
冥福を祈る。
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