昨日、「大人のための児童文学セラピー講座」全6回講座が終了しました。
大阪講座はおととい終了でした。
今年で何回目になったのか、あまりよく覚えてはいませんが、毎年少人数で楽しくやっています。
半年かけて、グリム民話、アンデルセン、ギリシャ神話、ミヒャエル・エンデを読みながら、「女性の自立」を学んでいきます。
このクラスで言う「女性の自立」は、実は、女性のためというわけではなく、ボクたちの無意識にある「女性性(女性的な性質傾向)」を、いかに自立させていくかというテーマなので、男性も受講できます。
スタンダードとなっている児童文学には、普遍性があり、いつの時代にも、そしてどんな人たちにとってもうなづける大切なメッセージや力があるのです。
昨日(おととい)の最終回は、「個人神話」
一枚の絵を見て、自分なりの物語を綴ります。
時間は1時間半。
東京のクラスは、いちいち反応が大げさで、「えーっ」とか「そんなの無理ーっ」と騒ぎます。
初めはなかなかペンが進まないようでしたが、みな物語が完成します。
一人ひとりの作品を紹介する時も、「恥ずかしー」とか「ファンタジーになってなーい」と気を落とす人もいました。
でも、誰の作品も、皆一様に素敵な作品でした。
毎年思うのですが、(毎年同じ絵を見てもらいます)なんとまぁ、見事に全く違う物語が生まれてくるのでしょう。
一人ひとりのインスピレーションは、創造性にあふれ、作品紹介をするたびに、「おもしろーい」「すごーい」と声が上がります。
ボクたちの心の中には、無限の広がりがあります。
その広がりの中の、ほんの芥子粒のような手掛かりで、豊かな物語が生まれます。
ということは、本来私たちはとても豊かな命の種を持っているということなんですよね。
その種を芽生えさせるためには、自分を良く見つめてあげなければなりません。
ゼミのようなこのクラスは、いつもボク自身が楽しめます。
物語が好きな人も、あまり興味のない人も、自分の心の内にある物語をぜひのぞきに来てください。
来年もまた6月に開講する予定です。
お楽しみに。
大阪講座はおととい終了でした。
今年で何回目になったのか、あまりよく覚えてはいませんが、毎年少人数で楽しくやっています。
半年かけて、グリム民話、アンデルセン、ギリシャ神話、ミヒャエル・エンデを読みながら、「女性の自立」を学んでいきます。
このクラスで言う「女性の自立」は、実は、女性のためというわけではなく、ボクたちの無意識にある「女性性(女性的な性質傾向)」を、いかに自立させていくかというテーマなので、男性も受講できます。
スタンダードとなっている児童文学には、普遍性があり、いつの時代にも、そしてどんな人たちにとってもうなづける大切なメッセージや力があるのです。
昨日(おととい)の最終回は、「個人神話」
一枚の絵を見て、自分なりの物語を綴ります。
時間は1時間半。
東京のクラスは、いちいち反応が大げさで、「えーっ」とか「そんなの無理ーっ」と騒ぎます。
初めはなかなかペンが進まないようでしたが、みな物語が完成します。
一人ひとりの作品を紹介する時も、「恥ずかしー」とか「ファンタジーになってなーい」と気を落とす人もいました。
でも、誰の作品も、皆一様に素敵な作品でした。
毎年思うのですが、(毎年同じ絵を見てもらいます)なんとまぁ、見事に全く違う物語が生まれてくるのでしょう。
一人ひとりのインスピレーションは、創造性にあふれ、作品紹介をするたびに、「おもしろーい」「すごーい」と声が上がります。
ボクたちの心の中には、無限の広がりがあります。
その広がりの中の、ほんの芥子粒のような手掛かりで、豊かな物語が生まれます。
ということは、本来私たちはとても豊かな命の種を持っているということなんですよね。
その種を芽生えさせるためには、自分を良く見つめてあげなければなりません。
ゼミのようなこのクラスは、いつもボク自身が楽しめます。
物語が好きな人も、あまり興味のない人も、自分の心の内にある物語をぜひのぞきに来てください。
来年もまた6月に開講する予定です。
お楽しみに。
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