最近、気になることの一つに、ニッポンの政治。
いや、政治ではなく政党名のこと。
ここで政治論議をするつもりではなく、政党の名前についてです。
民主党や、自民党、日本維新の会、みどりの党など、現在では14種類のいろんな名前がついているようです。
そもそも、名前はその本体の命を表します。
大工の鬼六のお話も、ゲド戦記のゲドの名前も、真の名前はその命そのものに直結する。
でも政治の世界では、「少異を捨てて大同につく」ことになると、名前は簡単に変えられるらしい。
名前が悪いと言われて変えてしまったり、一度つけた名前を簡単に捨ててしまうのは、その名前にまだ命が込められていないからなのかもしれないと勘ぐってしまう。
以前にも書いたと思うけど、ミヒャエル・エンデはこの名前についてこんなことを書いている。
まだ名がないものや生物に名を与える ―――
単なる呼称ではなく、まことの名を与える、これこそは人間が持つ能力のなかで、もっとも人間の根源的なものだ。
これにより、はじめて人とまわりのものに関連ができ、その人にとり、その存在ははじめて現実となる。
ある意味では、その人の一部になる。
そして、同時にそのことで、それぞれ名づけられたものは、それがあたかもそれだけで存在するかのように、名がない全体から切りはなされる。
・・・・自分と区別できないものは名づけられないのだ。 『エンデのメモ箱』
希望にあふれるニッポンの未来をになう名前が命名されることを願う。
いや、政治ではなく政党名のこと。
ここで政治論議をするつもりではなく、政党の名前についてです。
民主党や、自民党、日本維新の会、みどりの党など、現在では14種類のいろんな名前がついているようです。
そもそも、名前はその本体の命を表します。
大工の鬼六のお話も、ゲド戦記のゲドの名前も、真の名前はその命そのものに直結する。
でも政治の世界では、「少異を捨てて大同につく」ことになると、名前は簡単に変えられるらしい。
名前が悪いと言われて変えてしまったり、一度つけた名前を簡単に捨ててしまうのは、その名前にまだ命が込められていないからなのかもしれないと勘ぐってしまう。
以前にも書いたと思うけど、ミヒャエル・エンデはこの名前についてこんなことを書いている。
まだ名がないものや生物に名を与える ―――
単なる呼称ではなく、まことの名を与える、これこそは人間が持つ能力のなかで、もっとも人間の根源的なものだ。
これにより、はじめて人とまわりのものに関連ができ、その人にとり、その存在ははじめて現実となる。
ある意味では、その人の一部になる。
そして、同時にそのことで、それぞれ名づけられたものは、それがあたかもそれだけで存在するかのように、名がない全体から切りはなされる。
・・・・自分と区別できないものは名づけられないのだ。 『エンデのメモ箱』
希望にあふれるニッポンの未来をになう名前が命名されることを願う。
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