繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

「私の愛車遍歴」第15回 CR-Xデルソル-3

2018-09-11 14:30:54 | 日記

続編を書こうとおもいながら、前回が「私の愛車遍歴 第14回 CR-Xデルソル-2」で、アップは2017-01-05 19:13:54 でしたから、一年半以上も時が経っててます。

 

時の経つのはホント早い。

 

今回は、最終回にすべく、デルソルの開発を振り返ってまとめるてみました。

 

「開発スタート時」

・三代目のCR-Xを企画するにあたっての要件として、日本のベルノ店のスポーツブランドとする。

・二代目CR-Xの事故率を考えて、「走らないスポーツカー」とする。ユーザー年齢層も上げたい。

(二代目CR-Xは、安価でよく走る為に、特に北米で若い人がユーザーになり、事故率が高くなり、保険料が車両価格程度になっていました。商売的にも、さらに事故率アップによるブランド的にも、このままのコンセプトでのモデルチェンジは止めたほうが良い、となったのです。)

 

「企画時」

・「走らないスポーツカー」≒「オープンカー」と考えた。

・ユーザー層は若者より少し上げたい≒「オープンカー」

≒価格は二代目CR-Xより少し上げる。

・屋根は幌では、古臭いし、水じまいもメンテも大変≒「電動ハードトップ」

 (その後は、ビートなど幌で開発された。)

・生産担当の鈴鹿制作所に企画内容を説明に行った。

当然のごとく「こんなの造れない」の大合唱。

だって、設計仕様はまだまだこれから煮詰めていく段階なので、ほんのアイデアだけのような形での説明だったから仕方なかった。

中に、ホント一人だけが「やってみようじゃないか」と言ってくれた。「みんなホンダマンだろう」と。

ありがたかった。

 

「開発時」

・電動ハードトップがうまく動かない。

(当然、今のようなコンピューターはなく、電装とメカで苦労した。)

・社内、評価会は落ちまくり。

・今ならブラック??? メンバーにとって非常にハードな開発となった。特に、電装系とメカ系。

・社内で「もう止めたら」・・・の声。

・若い設計担当者が「これを止めたらホンダじゃない」と社長に直訴したと聞く。

・屋根をリヤのトランク下に入れるため、トランクが長くなり、「エルカミーノ」と呼ばれる。

デザイナーは「こんなのデザイン出来ない」とさじをなげる。

・メカの設計者のアイデアで、屋根を二段スライドで収納する構造にして、トランク長さを短くできた。

・屋根の受け渡し構造を決めるのに難航したが、これは別の機構設計者のアイデアでのりきった。

・しかし、電動が万一間に合わなくなった場合を考えて、マニアルトップも開発しておくべきとの意見が大きくなる。

そんな中、北米は「電動ハードトップなんてワランティの山になる」と言い出し、マニアルトップの開発が必要になる。

・開発の最終段階で、電動ハードトップは運輸省にとって初物になるため、ホンダの認証部が当時の運輸省へ事前連絡を入れる。トランクを締めるときに子供が手や頭などを挟まれることを懸念して、スイッチを二回押し直さないと締まらないように「忖度??」する。

・その他、機能からルックスまで商品として成り立つように、細部まで設計仕様を煮詰めた。

・トランストップの名前をみんなで苦心の末、決める。

・クルマの名前が「CR-X・デルソル」と決まる。

私は、三代目は初代と二代目から大きくコンセプト・チェンジしているから、CR-Xはとって「デルソル」だけにしてほしいと上司に頼んだが、上司は国内営業に負けてCR-Xがついた。

また、北米はシビックシリーズで販売してきたので、「シビック・デルソル」となった。

いずれも、ブランドの観点は少なく、それぞれの都合で決まった感が大きいと感じた。

 

当時の開発責任者(LPL)は、決定権は縦の組織にあっても意見はいえた。特に車名となるとそうだ。しかし、当時、私は他にも色々と大変な案件が山積みだったこともあり、「暴れても負けるしな」とつい大人になってしまっていた。

・カタログの写真が暗かった。

なんだか、季節が反対のオーストラリアの海岸まで行って、撮ったらしいが天気が悪く全体に暗いイメージだった。名前の由来のスペインの太陽海岸コスタ・デルソルとは全く雰囲気の異なる、日本海で撮ったような写真だった。これは流石に代理店に出向いて出来るだけ明るくしてもらった。

最初のカタログを見てもらえればなんだかバッとしないのがわかってもらえると思う。

 

「開発完了」

ホンダでは、開発が遅れる、つまり立ち上がり時期が遅れることはありえなかったが、このデルソルは遅れた。

つまり、開発完了の日程までに開発が終わらなかった。

開発部門の研究所だけでなく、製作所からEG(ホンダエンジニアリング)、さらに部品メーカーさん、多くの人の応援をもらっていたが、遅れた。

 

コストも、破綻した。

とにかく、作るのに精一杯だったということになる。

結局私はバタバタしていただけだったかもしれない。

 

実は、この時の開発は、2D(デルソル)、3Dシビック、4Dシビックの開発RADとしてEさんがいて、

LPLとして、Uさん、Sさん、エンジンLPL代行として今は亡くなってしまったFさん、研究部門のLPL代行としてTさん、

設計部門のLPL代行として私というメンバーで、2D(デルソル)、3Dシビック、4Dシビックを担当した。

開発チームメンバーは2D,3D,4Dと別れておりそれぞれにLPL代行クラスのPLがいた。

つまり、開発中私は、2D(デルソル)、3Dシビック、4Dシビック三箱のLPL代行で、すべての評価会の資料作りに携わり、出席し、所謂中間管理職として、テンヤワンヤの毎日だった。

ただ、2D(デルソル)は企画の最初から実質LPLとして機能していたので、開発終了して世の中に出す寸前に正式なLPLとなり発表会もLPLとして出席した。

2D(デルソル)だけでなく、忙しかったが3Dシビックと4Dシビックの開発に携わったことで、マーケティングからハードまで大変な勉強になった。

 

 

そんなこんなでのデルソルだが、いまだに年に一度ツインリンク茂木に集まってオフ会をしている。

幹事は当時からのデルソルユーザーの「ムーヴ」さんだ。

(愛と友情のデルソル・ホームページ)

流石に、92年の3月上市だから既に26年経っており、その当時から乗っておられる方は少なくなっているが、今だにあいされているデルソルを年に一度見られるのは、ありがたいことだ。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
手放せない (pot)
2018-09-22 03:26:28
新車が出た当時このような車の出現に気がつかず中古で入手して早11年、トラブルでいやになることも数多く、ただ一つ一つ解決するうちにおそらく手放すことはないどろうなと?思う昨今です、ああ早々・・とりあえず直ったと思った雨漏りがまた出始めました、昔のように慌てず少しずつ対応していきます(^_^)
お話はおそらく過去の茂木の公演でされていた一部かと思います、当時そこに自分はいなかったので新鮮な気持ちで読ませていただきました。
もう一度茂木には行きたいと思いますがどうしても日帰りになるので体力的に少々キツイです、元気なうちにもう一度は行きたいのですが、その時お会いできることを楽しみにしています。(ムーブさん各位、毎年ありがとうございます)
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Unknown (m)
2018-11-09 06:48:41
はじめまして。
幼い頃に父が亡くなり、お葬式の写真を見返すと葬儀の会場に緑色の車が写っていました。
母に聞くと父が開発(エンジン?)に携わったデルソルという車だと教えてくれました。私は父の記憶が少ないので大人になってからインターネットなどで小さな情報でも見つけられたらなぁと探すのですが記事を読ませて頂き、もしかしたら父もこのような現場に身をおいていたのかなと想像することができました。
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Unknown (シゲコウタロウ)
2019-04-22 19:38:06
potさん

今年の茂木ミーティングは、5/18の土曜日です。
体力的にOKなら是非遊びにきてください。
ムーブさんは、またまた全塗装してピカピカらしいです。
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Unknown (シゲコウタロウ)
2019-04-22 19:46:18
「母に聞くと父が開発(エンジン?)に携わったデルソルという車だと教えてくれました。」
早くに亡くなられたお父様がデルソルの開発に関わられていたと聞きまして、少し動揺しています。
今度の5/18土曜日のデルソル茂木ミーティングには、元エンジン屋が多分来てくれますので、
お父様の仕事ぶりが少しわかるかも・・・しれませんね。なんとも言えませんが。
デルソルユーザーでなくても、遊びにきていただけるのはかまいません・・
どころか大歓迎です。
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ずっと乗り続けます! (デルちゃん)
2019-04-23 22:28:21
こんにちは。私は最初期型を購入して27年間ワンオーナーで乗り続けている者です。貴ブログを拝見して開発のご苦労に接し、コメントしたく思いました。私はサイバーCR-X初期型(ALB付)に3年3か月乗ったのち、結婚直後の平成4年2月28日、岡山県に入った最初の26台のうちの1台を押さえることができました。セールスの方(今も同じ方)には本当に感謝したものです。3月6日の発売後3月21日納車、妻と初ドライブをオープンで鷲羽山スカイラインに行きました。以後27年間、浮気心も全くなく乗り続け、その間にはトランストップチルターギア交換5回、ユニット交換1回、デストリビューター破損で高速上に停まりかけたこと1回、山中でクラッチが壊れ動かなくなったこと1回、雨ざらし車庫のためパネルごとの塗装数回ほか、シリアスなトラブルも経験しました。その後子ども2人が出来、そして巣立っていきました。そしてこの間、数年ぶりに妻と2人でドライブすることができて、いろいろな事を話しながら運転しました。私の人生の半分以上をこのデルソルと過ごして今思うのは、残りの人生もデルソルとともに歩みたいという事です。このような素晴らしいクルマをこの世に生み出してくださって、本当にありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いいたします。
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デルソルも喜んでるでしょう (しげこうたろう)
2019-05-11 12:17:42
デルソルを最初に購入していただき、27年間という長きに渡って、苦難を乗り越え??、乗り続けていただいて大変嬉しいです。
今は定年退職していますが、こういうコメントをいただけて、「デルちゃん」さん、クルマを造らせてもらった本田技研と当時の開発メンバー、さらに開発、生産、販売、サービスに関わった方々にも感謝してます。
また、これらの人々に「デルちゃん」さんのこのコメントを見てもらいたい気持ちです。
デルソルには、部品供給というなんとも辛い大きな壁もありますが、「デルちゃん」さんに「添い遂げて」くれればと願っています。
これからもよろしくお願いします。
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Unknown (めめのパパ)
2019-06-10 22:13:44
昔くれいれがつおーにがでていたNSXのCMすごっくよかった~
と嫁も言ってました
障害者に移動じやない楽しめる乗り物をって大変ですよね
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チルターユニットを完成形に出来ました! (デルちゃん)
2023-03-28 22:43:50
お久しぶりです。私は愛車デルソルが30歳を超えた令和4年春から旧車イベントにデビューし、各方面でとても好感を持ってもらっており、この1年で15回を超える出展を行っています。そして昨年冬にイベントで知り合った方にチルターユニット改造を依頼したところ、二つ返事で応えてくださり、デルリン製ギア3軸の上下を「ボールベアリング軸受」にしてくださったのです!今では、以前のような「ウィウィウィ」という音ではなく、「シャラシャラシャラ」という抵抗のない軽快な回転音を響かせて作動しています。私はあと20年、デルソル50周年までトランストップを作動させる勇気を得ました。私の「デルちゃん」のこれからの活躍をご覧くださいませ✨✨✨
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