先日、ある自動車関連媒体から、今更だけど自動車産業にとどまらない「日本企業の不祥事」は何なのだ?!!
日本は戦後復興後からの長い間、勤勉誠実で創意工夫で働く日本人から生まれる品質の良さや信頼性は世界のお手本となっていたはずだ。
どこでどうなったのか? 見解や意見を聞かせて欲しいという。
そこで、17年末の日本企業の不祥事を考えてみた。
「相次ぐ不祥事招いた日本企業。・・・そこには「日本人特性」が影響している?」
と自分なりに仮のお題を付けて書いてみた。
振り返ると、17年9月末からわずか1カ月の間に日産自動車、神戸製鋼所、SUBARU(スバル)と、その後も、国内製造業大手の不祥事が相次いで発覚した。
海外からも、当時アシュリー・ギエム記者、BBCニュース(シンガポール)は、「日本企業に一体何が起こっているのか」と記事を書いている。
●昨今の企業不祥事は単なる「事件」か?
日本人は特性として、ただ目の前の事を手抜きなしに一生懸命にやる、ものづくりのようなものへの「こだわり」はすばらしい。
(例 ウズベクの日本人伝説)
しかし、日本人は「物事を深く本質まで見ない、追求しない」という特性ももっている。
(人の噂も75日ということわざもある。これは悪いことではないと思うが。)
だから、最終的に本質的な反省はできない。
PDCAが回らない体質と言っていい。(ハッキリさすと、◯◯に迷惑が・・・等)
日本では「戦争反対」と誰も否定しないことを、言い続けることが「戦争に至らないことにつながる」と信じている人たちが多いようだ、テレビによく出てくる。
勿論、「戦争反対」言い続けることも大切だが、もっと大切なのは、先の大戦のPDCAを回すこと、簡単に言うとしっかりと反省することだ。
言いにくいこと、忘れたこと、他人へのコト、国のこと、色々、色々あると思うが、ここんとこをキッチリとしておくことが、戦争を二度とおこさないことにつながると思う。
「日産と神戸製鋼の場合、30年近く前から慣習的に続いていた。」のだから、それは「日本人の特性」というしかなく、またそういう「体質」だったのだ。
考えたら、大戦へと向かう昭和のはじめ頃からの体質かもしれない。
●原因の本質
1990年バブル崩壊までの成長とそれ以降PDCAを回さない、コトの本質を捉えない日本が長期間にわたる経済成長の鈍化をひきおこしていることが、大きな要因といえそうだ。
大企業は1990年バブル崩壊まで、安定的な右肩上がりの成長市場つまり、時代の勢いにのって眼の前の課題を一生懸命解決していればそれで良く、経営者は本当の企業経営をしていたわけではないと思う。
つまり、経営者がいなくても企業はまわっていたと言えるかもしれない。
1990年代バブル崩壊以降は、本当の企業経営、本当の政治が必要になった。
つまり、時代の勢いが無くなっているから、今度は自分達で勢いをつけなければならなくなっていたのだ。
しかし、本人たちはどうして良いかわからない状態のままで、まず最低限、収益を上げないと企業存続しないから、とにかく「コスト効率」を上げに走った。
つまり、企業はコスト、経費削減、などを極限まで進める方法しか考えられなかった。
目の前の事を手抜きなしに一生懸命にやる、ものづくりのように。
効率性の向上を極限まで進める中で、徐々に経営陣は好調な業績を示すコトが目的になり、それが品質管理の限界というかグレーゾーンを超えてしまったのではないかと考える。
上司にキチンと反論出来るまともな社員もいたであろうが、そういう人は「カラスは白いよね」と上司から言われても「いや黒いです」と言い、その結果、飛ばされたり降格されたりしたのだろう。
それを見た他の社員は、絶対に「カラスは黒い」と言わなくなるということが続いて、大企業病だ。
今ではほとんどの大企業が、政府/官僚/役所も? いわゆる「大企業病」にかかっているのではないだろうか。
これは企業の問題を超えて、国の問題だ。
●解決策
解決方法は一つ、子供の頃からの「教育」につきる。
日本の体質改善をするのだから、先ずは「教育」からだ。
誰だって、繰り返される不祥事に対してのワンパターンな陳謝場面や政治家/官僚の言い訳パターンをみていると、子供の頃からの教育が大切と実感すると思う。
もっというと、法律さえ守っていれば悪くないし、資質も問われないとする、世の中の風潮が良くない。
当たり前だが、社会は法律を超えたマナーがあってはじめて成り立つ。
とりあえず「教育」を実行する「先生」の道徳教育含めた再教育。
私は、これらだけでなく宗教のような力も必要かともおもっている。
自分で自分が生きる道を切り開けないものは残念だが「滅びる」。
自然の摂理だと思う。
日本は危うい。
企業の不祥事に終わらないと考えています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます