神に役立つ12の方法
インドのある水運び人は、2 つの大きな壺を棒の端に下げて、それを首にかけていました。一方の壺にはひびが入っていましたが、もう一方の壺は完全で、いつも満杯の水が出ました。小川から家までの長い道のりの終わりに、ひびの入った壺はいつも半分しか水が入っていませんでした。かわいそうなひびの入った壺は、自分の不完全さを恥じ、本来の目的の半分しか果たせなかったことを嘆きました。
2年間、ひどい失敗だと感じていた水汲み人が、ある日、小川のほとりで水汲み人に話しかけました。「恥ずかしいです。謝りたいです。私の脇腹のこのひび割れのせいで、あなたの家まで水が漏れてしまい、荷物の半分しか運べませんでした。私の欠点のせいで、あなたはこのすべての仕事をしなければならないのに、努力に見合う成果が得られていないのです。」
持ち主は鉢に言いました。「道のあなたの側にだけ花が咲いていて、向こうの鉢の側には咲いていないことに気付きましたか?それは私があなたの欠点をずっと知っていて、あなたの側に花の種を植えたからです。そして毎日、私たちが歩いて帰る間、あなたはその花に水をやりました。2年間、私はテーブルを飾るためにこれらの美しい花を摘むことができました。あなたがそのままのあなたでなければ、家を飾るこの美しさは存在しなかったでしょう。」
ありがたいことに、神は割れた壺を使います。神に使われるために、あなたが完璧である必要はありません。私たちは自分の人生が何かの役に立つことを望んでいます。神に役立ちたいなら、ここに12の鍵があります。
詩編 57:8-12 新共同訳
[8] わたしは心を確かにします。 神よ、わたしは心を確かにして あなたに賛美の歌をうたいます。 [9] 目覚めよ、わたしの誉れよ 目覚めよ、竪琴よ、琴よ。 わたしは曙を呼び覚まそう。 [10] 主よ、諸国の民の中でわたしはあなたに感謝し 国々の中でほめ歌をうたいます。 [11] あなたの慈しみは大きく、天に満ち あなたのまことは大きく、雲を覆います。 [12] 神よ、天の上に高くいまし 栄光を全地に輝かせてください。
1. 愛されていることを知る
神はあなたを愛しているので、あなたを用いてくださいます。ダビデはこう言っています。「あなたの愛は大きくて天にまで達し、あなたのまことは雲にまで達します。」(10節)すべてはここから始まり、神に愛されていると知ることです。
2. 何があろうとも主を崇拝する
神は礼拝者を求めておられます。ダビデはこう言っています。「神よ。私の心は揺るぎません。私は歌い、歌を奏でます。主よ。私はあなたをほめたたえます」(7-9節)。神の愛を体験したことに応えて、あなたが持つすべての賜物をもって神を礼拝しましょう。個人的にだけでなく、公の場でも(9節)、気が向いたときだけでなく「揺るぎなく」、困難なときも礼拝しましょう。
3. 人生において神を敬う
神は、神を敬う者を敬います。ダビデはこう書いています。「神よ。あなたがたは天よりも高くあがめられ、あなたの栄光が全地に満ちますように」(11節)。これがダビデの究極の願いです。それは、イエスが私たちに教えられた「御名があがめられますように」(マタイ6:9)という祈りに表されている願いと同じです。
主よ、天に届くほどの私へのあなたの大いなる愛と、空に届くほどのあなたの誠実さに感謝します。今日、私の行いと言葉のすべてを通してあなたの御名が尊ばれるよう祈ります。
ヨハネによる福音書 5:16-30 新共同訳
[16] そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。 [17] イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」 [18] このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。 [19] そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。 [20] 父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。 [21] すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。 [22] また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。 [23] すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。 [24] はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。 [25] はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。 [26] 父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。 [27] また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。 [28] 驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、 [29] 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。 [30] わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」
4. 「父」がしていることを行ないなさい
非常に信心深かったパリサイ人たちは堕落し、律法主義的で頑固になっていました。彼らは、38年間麻痺していた男が安息日に床を運んだことでイエスを非難しました。
イエスは神と交わり、父が望むことをすべて行う神の愛する子です。イエスは父から離れることはできません。イエスは父と一体です。
イエスは神です。「神を自分の父と呼び、自分を神と等しい者とされた」(18節)。しかし、イエスは父の従順な子でもあります。イエスは自分を殺そうとする者たちにこう答えました。「よくよくあなたたちに言います。子は自分からは何事もすることができません。父がなさることを見てするだけなのです。父がなさることはすべて、子もなさるからです」(19節)。
自分自身の計画を開始して神に祝福を求めるのではなく、神の計画が何であるかを理解し、それに参加するようにしてください。
5. 神の声を聞く
今日の旧約聖書の箇所でわかるように、神の民は神に耳を傾けなかったために困難に陥りました(士師記 6:10)。イエスは、生きるための鍵は神に耳を傾け、信じることだと言っています。「よく聞きなさい。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠の命を持ち、また裁きを受けません。その人たちは死から命に移っているのです」(ヨハネ 5:24)。
イエス様もこう言っています。「わたしは一人で何もすることができない。わたしは聞いて、それから決めるのだ」(30節、MSG)。
6. できる限りの善行を
「善行」によって救いを得ることはできません。しかし、信仰生活の証拠は善行の人生です。イエス自身も「善行をしながら巡り歩いた」と言われています(使徒行伝 10:38)。イエスはこう言っています。「墓の中にいる者がみな、イエスの声を聞いて出てくる時が来る。善を行った者は生き返り、悪を行った者は裁きを受けるためによみがえる」(ヨハネ 5:28–29)。
バラク・オバマはこう言いました。「良いことが起こるのを待っていてはいけない。外に出て良いことを起こせば、世界を希望で満たすことができ、あなた自身も希望で満たされるだろう。」
7. 神を喜ばせるよう努める
これは実践し始めるのさえ難しいことの一つだと思います。自分を喜ばせようとするのはごく自然なことのように思えます。イエスは「わたしは自分を喜ばせようとはせず、わたしを遣わした方を喜ばせようとしている」(30節)と言われました。神を喜ばせようと努める人生を送るには、完全な方向転換が必要です。それは一度きりの方向転換ではなく、毎日実践しようと努めなければならないことです。簡単ではありません!
父なる神よ、私があなたの声に耳を傾け、あなたが何をなさっているかを見極め、それに加われるよう助けてください。私自身を喜ばせることではなく、あなたを喜ばせることを求めます。
士師記
6:1-7:8a
8. 主に助けを求めて叫ぶ
神の民は再び苦難に陥りました。彼らは「主の目に悪と映ること」を行なったのです(6:1)。その結果、彼らは抑圧され(2節)、極貧に陥りました(6節、MSG)。
転機は、私たちにとってよくあることですが、彼らが「主に助けを叫び求めた」ときに彼らにも訪れました(6節)。私は、人生で何度も神が助けを求める叫びに応えてくださったことにとても感謝しています。今日、あなたがどんな困難や課題に直面していても、主に助けを叫び求めてください。
9. 神があなたと共にいることを知る
神はギデオンを立ち上がらせ、こう言われました。「勇士よ、主はあなたと共におられる」(12節)。ギデオンは神に言いました。「しかし主よ、どうしてイスラエルを救えましょうか。私の一族はマナセの中で最も弱く、私は家族の中で最も小さい者です」(15節)。主はこう答えました。「私はあなたと共にいる」(16節)。
イエスは、世の終わりまで、いつもあなた方と共にいると約束されました(マタイ 28:20)。
10. 自分の弱点を知る
ギデオンは神が割れた壺を使われたもう一つの例です。ギデオンは言いました。「どうしてイスラエルを救えましょうか。私の一族はマナセの中で最も弱く、私は私の家系の中で最も小さい者です。」(士師記6:15)私は自分の弱さのせいで神が私を使うことができないとよく感じます。しかし、時には神は私たちの強さよりも弱さを通してよりよく働かれるのです。
個人的に、私は使徒パウロの言葉から大きな慰めを得ています。「ですから私は、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。・・・私が弱いときにこそ、私は強いのです。」(コリント人への手紙二 12:9–10)
11. 恐れることなく神に従う
ギデオンは「主が命じられたとおりにしました」(士師記 6:27)が、死の危険を冒しても(30節)。私は反対に直面すると臆病になってしまうことがよくあります。しかし、私たちが直面する反対は、ギデオンやイエスが直面したものに比べれば取るに足らないものです。恐怖があなたの人生の扉をノックしたときは、信仰で答えてください。
12. 神を信頼する
ギデオンの力の秘密は、「主の霊が彼に臨んだ」ことでした(34節)。自信過剰にならず、神に自信過剰になりましょう。
神は大勢を必要としません。実際、神はギデオンに「あなたの兵士は多すぎる」(7:2)と言いました。神は民が自分たちの力で救われたと考えることを望まなかったのです。神は兵士の数を32,000人から300人に減らしました(1-7節)。
国を変えるのに大勢の人は必要ありませんが、聖霊の力は必要です。神を信頼するなら、神はギデオンを通して働いたように、あなたを通して働くことができます。
主よ、あなたが私に与えてくださった召命を果たすには、あなたの聖霊が必要です。どうか今日、私に聖霊を授けてください。聖霊よ、来てください。
ピッパはこう付け加えます
士師記 6
私はギデオンに共感できます。彼は怯え、無力で、自信がありませんでした。だからこそ、私にとって彼はさらに英雄なのです。それは、彼が誰に対しても勇敢に戦ったことを示しています (27 節)。彼はまた、自分が正しいことをしたかどうかをチェックする賢明さも持っていました。何か過激なことをしようとするなら、神の声を正しく聞いたかどうかを知る必要があります。ギデオンが神の意志であると確信したら、彼を止めることはできませんでした。