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神の武具 – 信仰の盾

2024-05-21 22:40:04 | 日記
神の武具 – 信仰の盾

「ですから、悪の日が来ても、しっかりと立ち向かうことができるように、また、すべてを成し遂げて、堅固に立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」(エペソ6:13)

パウロがエペソ人への手紙第6章で論じている4番目の武具は信仰の盾です。パウロは、悪魔の放つ火矢をすべて消すために、信仰の盾を取るようにと私たちに告げています。
ローマの兵士にとって、盾は防御手段として使われていました。盾は腕に巻き付けて着用し、いつでも持ち上げて攻撃をかわすことができました。また、力ずくで敵を倒す攻撃用の武器としても使用されました。
信仰を持つとはどういう意味でしょうか。また、これは盾とどのように関係しているのでしょうか。
ヘブル人への手紙11章1節には、「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、見ていない事実を確認することです。」とあります。信仰は単なる感情ではありません。信仰を持つということは、神が世界を創造し、私たちが永遠の命を得るために、神の独り子を私たちの罪のために死なせてくださったと信じることです。
クリスチャンとして、私たちがキリストに対して抱く信仰は現実に基づいています。ローマ人への手紙 1:20 には、「神の、見えない本性、すなわち、神の永遠の力と神性とは、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、明らかに認められている。だから、彼らに弁解の余地はない。」とあります。私たちは物理的に神を見ることはできませんが、神は創造物を通してご自身を現されました。したがって、神に対する私たちの信仰はこの真実に基づいています。
キリストを信じる信仰があれば、それは私たちの生き方に影響を与えます。戦いのときに盾が守ってくれるのと同じように、私たちの信仰は試練のときに私たちを守ってくれます。例えば、疑いが忍び寄ってきて私たちの信仰が疑われるとき、キリストを信じる信仰が私たちを守ってくれます。私たちは自分が信じていることをしっかりと知ることができます。
さらに、不安や恐怖を経験するとき、信仰は私たちを守ることができます。イザヤ書41章10節には、「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。落胆するな、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの正義の手であなたを支える」とあります。神の約束を信じるなら、恐れる必要はありません。
疑い、恐れ、不安は敵からの攻撃であることを認識することが重要です。信仰の盾を取ることで私たちは守られ、これらの攻撃に対抗することができます。さらに、キリストの体として、私たちは共同生活を送ることでお互いに信仰を深めることができます。
信仰の盾という概念を皆さんの生活に当てはめることをお勧めします。キリストに信仰を置くとき、私たちは止められない存在であることを忘れないでください。

上手に終わらせる方法

2024-05-21 08:57:46 | 日記
上手に終わらせる方法

あなたはうまく終わらせることができます。人生のスタートは悪かったかもしれません。途中で失敗したかもしれません。間違いを犯したかもしれません。後悔しているかもしれません。しかし、あなたは*うまく終わらせる*ことができ、それが最も重要なことです。うまく*始めても失敗する人もいます。
不況の中で、ビジネスコンサルタントのジム・コリンズが国際的なベストセラー『Good to Great』で紹介した企業の多くが倒産しました。最も「強力な」企業でさえも倒産する可能性があります。
彼の最新著書『How the Mighty Fall』では、破滅への道が考察されています。破滅の過程の第一段階は「成功から生まれた傲慢さ」から始まります。
今日の旧約聖書の箇所のサウルの場合と同様に、権力者が没落する過程の始まりは、傲慢さと傲慢さです (サムエル記上 15:23)。サウルは良いスタートを切りましたが、良い終わり方をしませんでした。
良いスタートよりも良い終わり方の方が重要です。新約聖書では、サウロ(タルソス出身)は(イエスの迫害者として)非常に悪いスタートを切りましたが、(偉大な使徒パウロとして)良い終わり方をしました。
イエスはいつものように、私たちに道を示してくれます。イエスの生涯は比較的短かったです。30代前半で亡くなりましたが、立派に人生を終えました。イエスは父が自分に与えてくださった仕事を成し遂げました(ヨハネ17:4)。
これが私の人生の野望です。私は神が私に与えてくださった仕事を成し遂げたいのです。どうすれば立派に人生を終えることができるでしょうか。

‭箴言 12:28 新共同訳‬ [28] 命は慈善の道にある。 この道を踏む人に死はない。

‭箴言 13:1-9 新共同訳‬ [1] 子は父の諭しによって知恵を得る。 不遜な者は叱責に聞き従わない。 [2] 口の言葉が結ぶ実によって 人は良いものを享受する。 欺く者の欲望は不法に向かう。 [3] 自分の口を警戒する者は命を守る。 いたずらに唇を開く者は滅びる。 [4] 怠け者は欲望をもっても何も得られず 勤勉な人は望めば豊かに満たされる。 [5] 神に従う人は偽りの言葉を憎む。 神に逆らう者は悪臭を放ち、辱められる。 [6] 慈善は完全な道を歩む人を守り 神に逆らうことは罪ある者を滅ぼす。 [7] 富んでいると見せて、無一物の者がいる。 貧乏と見せて、大きな財産を持つ者がある。 [8] 財産が自分の身代金になる者もある。 貧しい人は叱責を聞くことはない。 [9] 神に従う人の光は喜ばしく輝き 神に逆らう者の灯は消される。

長期的な視点を持つ

箴言の著者は、私たちに長い目で見て「義」の道にとどまるよう勧めています。「そこに命があり、その道には不死がある」(12:28)。今この瞬間だけに集中する誘惑を避けてください。永遠の光の中で行動してください。
義にかなった人生とはどのようなものでしょうか。
1. 親のアドバイスに耳を傾ける
「賢い子は親の教えに従う」(13:1)。親を敬うことは神の優先事項の上位にあります。家族生活と良い子育てはとても重要です。私はニッキーとシラ・リーの「The Parenting Book」をお勧めします。
2. 唇を守りなさい
「唇を守る者は自分の命を守る。軽率に話す者は破滅する。」(3節)。言葉と舌を制御することの重要性を過大評価することはできません。
3. 一生懸命働く
「勤勉な者の願いは十分に満たされる」(4節)。仕事は祝福です。成功は大変な仕事です。勤勉な忍耐が必要です。ウィンストン・チャーチルは「成功とは、熱意を失うことなく失敗から失敗へと進むことである」と言いました。
4. 真実を愛する
「義人は偽りを憎む」(5節)。私たちは不正直を憎み、真実を愛すべきです。マーク・トウェインはかつてこう言いました。「真実を語れば、何も覚えておく必要はない。」
5. 誠実な人になる
「正義は誠実な人を守る」(6節)。誠実とは完璧であることではありません。誠実とは正直で、本物で、本物であることです(偽善の反対です)。臨床心理学者のヘンリー・クラウド博士は著書「誠実さ」の中で、誠実さは「成功の鍵です。誠実な人は、どんなに困難な状況でもすべてをまとめ上げ、すべてを実現するという、稀な能力を持っています」と書いています。
主よ、私が賢くなり、両親を敬い、口を慎み、懸命に働き、真実を語り、誠実な人生を送れるよう助けてください。

‭ヨハネによる福音書 14:1-31 新共同訳‬ [1] 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 [2] わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 [3] 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 [4] わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」 [5] トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 [6] イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 [7] あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 [8] フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、 [9] イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。 [10] わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 [11] わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 [12] はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。 [13] わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。 [14] わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」 [15] 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 [16] わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 [17] この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 [18] わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。 [19] しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。 [20] かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 [21] わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」 [22] イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。 [23] イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。 [24] わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。 [25] わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。 [26] しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。 [27] わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。 [28] 『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。 [29] 事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。 [30] もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。 [31] わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう。」

イエスの遺産を信頼する

あなたは悩んでいますか、苦しんでいますか、動揺していますか、恐れていますか。イエスはあなたが悩むことを望んでおられるのではなく、あなたの心に平安があることを望んでおられます(1,27節)。
イエスは、この地上での自分の人生がもうすぐ終わることを知っていました。彼は弟子たちのもとを去ろうとしていました(27節)。彼は父のもとに帰ろうとしていました(3節)。しかし、彼は弟子たちに言いました。「心を騒がせたり、苦しめたり、動揺させたりしてはいけません」(1節、AMP)。「私は平和をあなたがたに残します」(27節)。イエスはあなたを放っておくのではなく、素晴らしい遺産をあなたに渡します。

イエスはあなたの将来に良い計画を持っています
イエスはこう言っています。「わたしの父の家には、あなたのための場所が十分にあります。わたしはあなたの部屋を用意しに行くところです」(2節、MSG)。キリストにおいて、あなたの長期的な将来は完全に保証されています。

イエスはあなたのために戻って来られます
地上での人生の終わりは終わりではありません。イエスは弟子たちにこう言いました。「私は戻って来て、あなたたちを私と一緒に連れて行き、私がいるところにあなたたちも一緒にいられるようにします」(3節)。あなたは永遠にイエスと一緒にいるでしょう。

イエスはあなたが神を知るための道を開いてくださいました

トマスは尋ねます、「どうすれば道を知ることができるでしょうか?」イエスは答えます、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできない」(5-6節)。

イエスはあなたのために神を明らかにします
フィリポは「主よ、父を私たちに示してください」(8節)と言います。イエスは「私を見た者は、父を見たのです」(9節)と答えます。神がどのような姿をしているのかを知りたいなら、イエスを見てください。

イエスはあなたを通してさらに偉大なことをなさるでしょう
イエスは地上にいたときよりもさらに偉大な奇跡を弟子たちを通してなさるでしょう(12節)。

イエスはあなたの祈りに答え続けます
「これから先、あなたがたがわたしが誰であるか、わたしが何をしているかについて求めることは何でも、わたしはそれを成し遂げます。このようにして、父が子においてどのような方であるかが示されるのです。わたしは本気です。このようにあなたがたが求めることは何でも、わたしは成し遂げます」(13-14節、MSG)。

イエス様はあなたを決して一人にはしません
イエス様は「私はあなた方を孤児にはしません」(18節)と言われます。イエス様は「あなた方に別の友を与え、あなた方にいつも誰かがいるようにする。その友とは真理の霊である…彼はあなた方と共にいて、あなたの中にもいるであろう!」(16~17節、MSG)と言われます。

イエスはあなたを愛し続けるでしょう
「わたしを愛する者はわたしの父に愛され、わたしも彼らを愛し、わたし自身を彼らに示します」(21節b)。

イエスと父はあなたと共に住むでしょう
イエスは言いました。「わたしを愛する人はわたしの教えを守ります。わたしの父は彼らを愛されます。そしてわたしたちは彼らのところに行って彼らと共に住むでしょう」(23節)。

イエスはあなたに平和を残します
「私はあなた方に平和を残します…心を騒がせてはならない。恐れてはならない」(27節)。平和は、イエスが私たちと共に、私たちの中におられることを信じることから生まれます。イエスは私たちの平和です。

これらすべてはどのようにして可能になるのでしょうか。イエスがあなたにその遺産を渡す方法は、聖霊を通してです。イエスはあなたの心に住むために聖霊(弁護者)を送られました。「友、すなわち父が私の願いに応じて送る聖霊が、すべてをあなたに明らかにするであろう」(26節、MSG)。
聖霊を表すギリシャ語の「パラクレートス」は、文字通り「傍らに呼ばれる者」を意味します。この言葉には、助言者、弁護者、慰め手、激励者、援助者、傍らに立つ人、友となる人など、多面的な意味があります。たとえば、母親は子どもにとっての弁護者です。母親は孤独の苦しみを取り去ります。母親は存在、安心、平和、交わりをもたらします。
聖霊は今、私たちの中に住んで、私たちに新たな力と新たな愛を与えてくださっています。それによって、私たち教会は世界に対するイエスの使命を継続することができるのです。
イエスはそれを非常に慎重に考え抜いて、素晴らしい後継計画を立てました。
主よ、聖霊を私に与えてくださり、私の中に永遠に住まわせてくださり、感謝します。私に平安を与えてくださり、私の祈りに答えてくださると約束してくださり、感謝します。

1サミュエル

14:24-15:35

最後まで主を敬いなさい

サウルは順調なスタートを切りました。神は彼に大きな成功を与えました。今日の聖句では、サウルが指導者となった初期の頃の良い例から学ぶことができます。彼は善良で「勇敢な」人々(14:52)を首狩りし、彼らを動員しました。
しかし、彼は不従順と傲慢さのせいで、最後までうまくやり遂げることができませんでした。部分的な従順はやはり不従順です。彼は神に従わなかっただけでなく、「自分の名誉のために勝利の記念碑を建てた」(15:12、MSG)。これは、今日の聖句で見るように、父に栄光をもたらすことだけを人生の目的としていたイエス(ヨハネ14:13)とはまったく異なります。
サムエルはサウルにこう言います。「あなたがこのことを始めたとき、あなたは何者でもなかった。そして、あなた自身もそれを知っていた。しかし、神はあなたをイスラエルの長とし、イスラエルの王とした。なぜ神に従わなかったのか。神はあなたが神に耳を傾けることを望んでいるのだ。大切なのは、ただ聞くことであり、派手な宗教的演出ではない。神の前でうぬぼれることは、死んだ先祖と取引をするよりもはるかに悪い。あなたが神の命令にノーと言ったので、神もあなたの王位にノーと言うのだ。」(サムエル記上 15:17–23、MSG)。
権力はとても危険です。権力は腐敗する傾向が強いのです。成功は簡単に傲慢と傲慢につながります。そしてそれは偶像崇拝につながる可能性があります。主を敬い続けてください。
主よ、イエスの従順と謙遜に従えるよう私を助けてください。真理の御霊が私を導き、平安を与えてくださいますように。

ピッパはこう付け加えます
ヨハネ14:1-3にはこうあります:

イエスはこう言われました。「心配しないでください。神を信頼し、また私を信頼しなさい。私の父の家には住まいがたくさんあります。そうでなかったら、私はあなた方にそう言っておいたでしょう。私はそこに行くのは、あなた方のために場所を用意するためです。そして、私が行ってあなた方のために場所を用意したら、また戻って来て、あなた方を私のもとに連れて行き、私がいるところにあなた方も一緒にいるようにします。」

葬儀でよく読まれるこの言葉を聞くと、悲しみの奥底に届き、慰めと希望をもたらすその力を感じることができます。

明るい光

2024-05-21 06:28:07 | 日記
‭ヨハネによる福音書 8:12 新共同訳‬ [12] イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

明るい光

神が世界を創造した創世記 1 章を思い出してください。神が最初に言われたことの 1 つは、「光あれ」でした (創世記 1:3)。神が地上を照らすために光を創造したのと同じように、イエスはすべての人類の光として来られました。

イエスは、自分が世界の光であると言っています。また、この世界で自分の道を見つけるには光が必要であることも指摘しています。イエスは、男性と女性を真の人生に導く光です。

イエスは、私たちの人生の道を照らす光であるだけでなく、世界の残りの部分を照らす方でもあります。イエスの光によって、私たちは世界の残りの部分を見て、何が正しくて良いかを判断できます。

旧約聖書の光は、しばしば裁きの象徴です。それは、人々の心の闇と悪を暴く光だからです。イエスは、男性と女性の心を裁くために父なる神の権威を持って来られる真の裁き主です (ヨハネ 8:13-17)。

イエスは全人類の真の裁き主ですが、イエスに従い、イエスの復活を信じる者は、裁きについて何も恐れる必要はありません。私たちはもはや過去に責められることはなく、イエスを通して、イエスのもとで新しい命を得る機会が与えられます(ローマ 8:1)。

あなたの人生に神の光を照らしてくださったことに感謝する時間を取ってください。イエスのおかげで、あなたは自分の心の中で神の恵みと平和を体験することができます。

神様、あなたの明るい光の希望で私を強くしてください。あなたを見るのを妨げようとする闇を突き抜けてください。あなたが世界の光であられることに感謝します。あなたが私と共におられるので、私は闇を恐れる必要はありません。イエス様の御名により、アーメン。