鬼太郎の歌を葬儀にうたひたる孫を叱ることなし亡父
(米川千嘉子 短歌研究2018年7月号)
連作からすると、この場面は父君生存時のものである。鬼太郎が登場するからとはいえ、幽霊が叱らないという場面ではない。
すると、「えっ。叱るのは千嘉子さんの仕事でしょ。その子は、あなた又は兄弟の子でしょ」
あるいは、葬儀の様子を写したビデオを見ての歌かもしれない。それなら不思議はない。
でも、それは考え過ぎだろう。この作者は、いわゆる天然さんなのだろう。たぶん、僕がこのように読んでいると知ったら「えっ、嘘!」とつぶやくだろう。そうです。読者は作者が予想しない読み方をするものです。
雑誌からの注文が、平成時代30年間を30首にというものだったので、父君について2首しか書けなかったという事情から、窮屈になったのかもしれない。僕の読みは、あくまで一例である。
肩肘張らずに、ときにはこういう歌を採りたくなる。それは、誰あろうこの僕も、実は天然さんだからです。
逃げ遅れ殴られること多かりき奴らと一緒にいただけなのに(椎名夕声。短歌人2016年4月号)
言い訳っぽくなるが、「多かりき」というのは下句とは関係ない。冤罪で殴られたのは1回だけである。こんな場面が何回もある訳ないから、それはわかっているよ、と言ってもらえるとは思うが。
ところで、この冤罪だが、小学校低学年のときのことだ。下校の大通りで、自分より小さい女の子が「汚い」と小突かれていた。そこに僕が到着した訳だ。雰囲気でニヤニヤしていたかもしれない。少し離れたところには、小学生が沢山いた。
そこへ、女の子の父親が凄い形相で吹っ飛んできた。僕は、そのただならぬ雰囲気に押されて、悪ガキに1拍遅れて逃げ始めたので、そのおやじの標的になってしまった。
ちなみに、金槌で頭を殴られ、このままでは殺されると感じたので、思わず「ごめんなさい」と言ってしまった。二度とやらないか、と言われて、二度とやらないと答えた。
冤罪というのは、このように簡単に作成されるのである。
(後日記)
くどくどと説明するのが嫌いなので、ちょっとわかりづらかったかもしれない。
上記の読みを米川さんの歌の読みの一例としながら、6割がたそう読めると結論付けた訳だが、次に有力な読みと、それを捨てた理由を付記しておこう。
作者の父君は心優しい人で、騒いでいる孫を叱らなかった、という読みは有力だが次の理由で採用しなかった。
この連作は平成時代の出来事を詠んでいる。葬儀の状況は昔とは変わってきた。密葬がとても多くなっている。葬儀はしないと言っても変人扱いされなくなった。葬儀を行う最も大きい理由は社会に対するものである。ゆえに、葬儀に親と子と孫が揃って列席していても、そこは公の場である。作者が自ら詠んでいる状況としては、誰かが叱ったほうがよい状況なので、比較的堅苦しい場だったのである。
作者は父君が孫を叱らないで優しいことだと思っていても、父君としては余計なお世話をしなかっただけではないか、と思った訳だ。あくまで6割がたそう読めるという意味だが。
なお、どちらの読みを採用しても、物静かな父君の姿は共通している。
(さらに後に)
そもそも論を記して置く。
そもそも短歌研究社の企画は、1年1首ではない。そのことは、7月号の編集後記に明記されている。でも、昔類似した企画で過半数の歌人に思い込みが見られた例があり、どうなんだろうと気になった。
ネットでちゃっちゃと調べた限りでは、
1首め・・・平成元年
5首め・・・不明確だが平成3~5年
8首め・・・平成9年
10首め・・・平成10年
19首め・・・平成19年と見ることも可能。
この年3月におとめ座、8月にベルセウス座、10月にオリオン座、12月に
ふたご座の各流星群が話題となったらしい。
20首め・・・平成20年
22首め・・・平成22年
23首め・・・平成23年
27首め・・・平成27年
29首め・・・平成29年
30首め・・・平成30年
そこには、明らかに1年1首の意図が見られる。
であるならどうなんだ、と問われても、別に亡父の挽歌があっさりしてるね、と思うだけだが。
また、10首めの歌は「日の丸飛行隊」の語句と「20年」という語句がからんでいるのだが、日の丸飛行隊自体は40年以上昔から都度使用されてきたが、平成10年の歌であることがわかれば、長野オリンピックとわかるという、クイズになっている。
ちなみに、この流れから言えば、父が登場する次の歌は6首めで平成4~6年、作者が33~35歳になる年の場面で、冒頭の鬼太郎の歌は7首めで平成5~8年、作者が34~37歳になる年ということになる。
父見舞ひ終へて息子を迎へにゆく延長保育室にまた一人なり
(7月下旬に)
奇妙な結論に辿り着いた。その葬儀のときに作者の父が故人だった可能性が高いということだ。
確かに、この歌の時制を表面的に受け止めれば「すでに死亡している父。今孫を叱らない」であるので、そこから僕の本文冒頭の前置きが書かれたのである。時制からはそのようにも読めるが、現在形は短歌においては過去回想の場面でも使う。意味から考えれば、ここで幽霊が叱らないというのはあまりに唐突で妥当な読みではない、とわざわざ僕は書いたのである。少し引っかかっていた。
また、延長保育室の歌も引っかかったが、この歌の後で父がいったん回復したと仮定すれば、どこにも矛盾はないと思われた。
ところが、ネットで米川の父について調べると、たいへん永く患ったこと、段々弱り最晩年は意識が無い状態が長かったことがわかる。延長保育室の歌の後、作者の父は回復しなかったらしいのだ。
そこへもってきて、この一聯がほぼ1年ごとの時系列の出来事の歌らしいのだから、鬼太郎の歌が歌われた日に、作者の父は参列者ではなく死者であると判断せざるを得ないだろう。
もちろん、これらの事がわからなければ、そのような結論にはならないのだから、両論併記というしかない。
(2018年8月28日に記す)
人を納得させる場合、僕のスタンスは、文句の付けようがない内容だけを示し、さああとは信じてくれ、というものだが、世の中には何でも過半数じゃないと納得しない人もいる。少し追記しておく。
1首目・・・大喪の礼の歌なので平成元年。
2首目・・・平成2年の可能性高し。
作者のひとり息子が生まれたことを詠う歌だが、6首目保育園児、それと21首目法学を学ぶ歌と整合。(以下同じ理由の歌に※を付す)
5首目・・・谷和原村への転居の歌であり、年譜から平成3~5年。
6首目・・・平成6年の可能性高し。(※)
7首目・・・平成7年の可能性高し。(※)これが鬼太郎の歌。
8首目・・・山一證券の突然の破綻の歌で、破綻は平成9年11月。
10首目・・・長野オリンピックの歌だから平成10年。
14首目・・・平成14年の可能性高し。
僕もワープロからパソコンへ切替えた年。
19首目・・・平成19年。
この年3月におとめ座、8月にベルセウス座、10月にオリオン座、12月に ふたご座の各流星群が話題となったらしい。
20首目・・・土浦連続殺傷事件の歌だから平成20年。
21首目・・・平成21年の可能性高し。(※)
22首目・・・河野裕子さんが亡くなった年だから平成22年。
23首目・・・東北大震災の歌だから平成23年。
24首目・・・平成24年の可能性高し。
東北大震災の翌年に線量計の話題なので可能性高し。
27首目・・・鬼怒川決壊の歌だから平成27年。
29首目・・・つくば西武閉店の歌だから平成29年。
30首目・・・作者の所属結社の創刊40周年だから平成30年。
以上にて30首中17首が一致し、残りの13首も矛盾は無い。ただし、8首目は平成9年の出来事である。
さて、何度も同じことを言って恐縮だが、鬼太郎の歌は平成7年頃の内容であり、父を見舞う歌がその前年頃ということがわからなければ、葬儀の本人が作者の父との解釈はほぼ不可能なのだから、連作の在り方として「おさわがせ」であると思います。
(冬至頃に記す)
短歌研究1月号が届いた。前号までに、平成の年数を記載せずに歌の掲載順が平成の年数と一致するような著者は現われなかったが、平成じぶん歌第7回の本号で遠藤由季の連作がそれっぽい。奇しくも米川氏と同じ結社の人だ。
しかし、遠藤氏の連作では歌の時期が重要な意味を持っていないので読む側に誤解を招くことはない。
(2019年2月11日)
直葬(一般的な葬儀を行わず、火葬場に集合し、そのまま流れ解散するもの。多くの場合僧侶が火葬場に来ないので、葬儀を一切やらない訳だが、直葬と呼ぶのは、皆で故人を見送ったことを強調したいようだ)が増えているという記事があったので、参考に載せておく。
日本では人前結婚式が根付いたので、直葬は普及するだろうが、墓の管理者の承諾を得ておかないと、納骨を拒否されるケースもあるようだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190208-00000014-sasahi-life
(平成最後の年の3月下旬に)
この雑誌の企画「平成じぶん歌」が終了した。結局米川氏以外に、歌の順番に平成の年号をリンクさせている人はいなかった。
(令和2年(2020)夏に記す)
自分の歌を「小学校低学年の時」と書いたが、幼稚園の時だったような気がしてきた。すぐ近所に同じ学年の男子が生まれた時から住んでいて、小学生になってすぐ友だちになり、いつもつるんでいて、その時から通学路も変化したことを思い出したからだ。それにしても、我が家から百メートル位しか離れていないのに、小学校の通学時に初めて見知った友だちだった。高校が別だったのと、向こうが跡継ぎじゃなかったので、十代を最後に一度も会っていない。