平成13~21年度科学研究費補助金(基礎研究(C)(2) )による「万葉集全解」(多田一臣著 2009~2010筑摩書房 全7巻)の第6巻の、万葉集巻第17旧国歌大観番号3969の大伴家持の長歌の題詞の訓み下しは下記部分が誤っている。つまり誤訓ではなかろうかと思う。
<原文> 不能黙已
<多田一臣氏訓み下し> 黙しやむこと能はず
<椎名夕声訓み下し> 黙す能はざるのみ
<根拠もしくは説明>
黙し已むとは黙止のことであり、黙って放っておく意、もしくは今まで発言していたのが急に黙ってそのままにする意である。題詞の内容は、家持が重い病気にかかり少し良くなった頃親友と歌を贈りあった際の返事で「私は俗愚で妙な性癖があり、黙っていることができないので、お笑い草として数行を捧げる」というものである。多田氏訓み下しでは場にそぐわない。何を放っておく意味だというのか?
一方椎名訓み下しでは「已」を「のみ」と訓んでいる。文末に置いた場合、強調の意味を添え「~のだ」と訳される。要するにビックリマークである。友人どおしの往復では、現代でも多いのではないだろうか?
なお、歌番号3967の大伴池主の文に同じ「不能黙已」という部分があるが、そちらは「黙し已むこと能はず」と訓んで問題ない。賞美すべき風景を前に、それを放っておいて黙る(ことは出来ない)というふうに、すっと意味がとおるからである。むしろ、同じ言葉(文言)で返しながら、意味を変えたところに家持の技巧がある。
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さて、第2部は恒例の「何々つながり」での自作紹介。
今回は「黙ってられない」つながり。
人間がどうのと言うが好きなのは太宰治が美男子だから(椎名夕声。短歌人2018年12月号)
説明は要らないでしょう。
男性だって美女に惹かれるが、人間がどうのとは、普通言わない。
素朴で純な二十歳の女性が、人間がどうのこうのと言ってたくせに、チャラい美男子を追いかけるのをみて、がっかりした経験は僕だけではないでしょう。
(備考)
タイトルは2015年12月9日の当ブログの記事「万葉大誤読」をもじったものである。
原文の前1文と当該文と後1文を参考のため以下に記しておく。
更題将石間瓊之詠(さらに石をもち「瓊」(たま)の間にはさむようにうたをしるす)
固是俗愚懐癖不能黙已(もとよりこれ俗愚にして癖をいだき、黙ってられない)
仍捧数行式酬嗤咲(よりて数行を捧げ、もちて笑い草としてこたえる)
(2018年12月14日追記)
万葉集巻第17の基本事項を時系列で整理しておく。
(A)15巻本の成立
現在の17~20巻を含まない15巻本は745年頃成立したとされる。
(B)増補
783年頃増補が行われ、万葉集が一応完成したとされる。(現在と同じ20巻であることの確かな記録は後述のとおり1086年)
(C)大伴家持の死
785年大伴家持が死亡
(D)訓点の発明
現在の万葉集に使用されている訓点は奈良時代の終わりから平安時代(794年~)に発明された。
(E)仮名文字の発明
現在の万葉集に使用されている片仮名の源流といえるものは平安時代(794年~)初期以降用例が確認されている。
(F)認証
万葉集の認証は平城天皇(806~809年在位)の時代との説が有力
(G)20巻本の成立
万葉集20巻本の成立した時期は1086年との説がある。20巻本の成立により巻17は確定した。
(H)西本願寺本の書写
西本願寺本の書写は鎌倉時代(1192年~)。貼紙は室町末。
(2021年11月14日追記)
言葉不足だったかも知れないので、改めて要点を書いておく。
家持と池主との往復書簡は、友情あふれるやり取りである一方、それを編纂者として万葉集に載せる家持にしてみれば、自らの文才をひけらかすことになる。
池主からもらった書簡の中の文言を使用しながら、微妙にニュアンスを変えるところに家持の名目躍如たるところがあり、下図のとおり「藤(粗末)をもって錦につぐ」という池主の謙遜を「〜という言葉をかたじけなくし」と受け、更に「石をもちて瓊(たま)に」と家持自身の謙遜を重ねてゆくのである。
だから、不能黙已という熟語を借りても、全く同じ意味で使用しているとする従来の見立ては適切とは言えない。
(後日記)
2015年12月9日付け「万葉大誤読」という記事では、この本に様々難癖を付けたが、それらは百歩譲って「見解の相違」と言えるだろう。
しかし、7分冊の万葉集全解の第1冊の下注(例としてNo.274の歌の下注)に、禁止の意味の「な離り」については第3冊を参照せよと書いてあるのには大いに疑問がある。類歌だから参照という意味ではない旨書いてあるし、第3冊が手元にない場合は、気になって夜も眠れないだろう。指示された第3冊No.1200の歌を見たら、単に「な離り」の語句を含むだけだった。
全冊揃えてから読み始める人ばかりではないはずだし、常識的には第1冊から揃えて行くように努力するだろう。