何年もブログ上ひとの歌を批評しておいてよく言うよ、とも思うが僕は批評が嫌いだ。
他人の長い批評文を読んだ挙句に、文句をつけたくなることが多いからだ。
生徒らが校歌うたはぬゆゑよしを知るか同じ理由に唱はざるのみ(小池 光)
これは、連作全体を(たぶん)読んでないので僕には歌を批評する資格が無いが、批評している人たちの論争で「のみ」の語が2種類に解釈できることが言われてなかったのが気になる 。
①「・・・だけです」
②「・・・なのだ」
上記②は、精選版日本国語大辞典に書いてある「『限定』という論理性が薄れ、『強く言い切る』という情意性を表わすようになった用法」(下注)として言いかえたもの。1首だけで読めば、この意味として読む人が多いのではなかろうか?
まことに煩わしい。
煩わしいといえば、新型コロナを巡る人々の認識のずれや対処方針の対立分断も煩わしい。
使い捨てマスクを二か月使ってる自分は別に変人ならず(椎名夕声。短歌人2020年6月号)
もちろん、東京都区内で毎日通勤電車に乗っている人がこれをやったら変人である。
通称使い捨てマスクは、殆どの場合不織布三層構造になっていて、中間層に静電気を帯電させているのでウイルスを捕捉するものだが、ウイルスや埃を十分吸着してしまえば、その後は効果がなくなるからだ。
また、マスクの汚れの殆どは、湿気のために細菌が増殖したものなので、病院でやっているようにぶら下げ保管して乾燥させれば最大2か月間汚れが気にならない。(一時的に外す場合、欧米人は片方の耳からぶら下げているが合理的である。日本人はダラリやブラブラを嫌うためか、ケチなのかマスクをポケットへ蔵うが、20分もしまったままでいたら、それだけで駄目になる。)
使用方法や保管方法次第では1日で駄目になる訳である。
なお、マスクの全国的品薄状態もすっかり解消し、本日から転売規制も解除された。
最後に笑って終わりにしたいので、先日みつけた誤訳の画像を載せておきます。誤訳なのにそれっぽく読めてしまえるのが、ちょっと楽しい。もし間違い箇所に気付かない人は主人公の気持ちになればわかります。(前回の記事に書いたとおり「君」を「貴女」と訳したのも誤りですが、それ以外に誤訳があります)
(注) 「のみ」の解説