『花鳥風月』雑記

素朴に質素に優しくいきたいね

皇居界隈

2015年06月07日 | 美術


3年ぶりだろうか?出光美術館・皇居東御苑を訪れた。

出光美術館では「東洋の美」と銘打って日本・中国・朝鮮・・
の古代からの陶磁器についての展示である。

果てしも無く遠い昔に作られた陶磁器に不思議とも思える
難解な悠久の歴史にただ見入ってしまった。
これが千五百年も昔、作られたのかと、、、

東御苑は皇居の庭園という事もあり管理が行き届き気持ちがいい。
菖蒲も見頃のようだし、紫陽花も咲き始め一雨欲しいところかな。

長谷川派と狩野派

2011年11月30日 | 美術
  
〈等伯と狩野派チケット〉    〈出光美術館HPより転載〉

“芸術の秋”と言う柄でもないが深まって来た秋の日、出光美術館に出かけて見ました。安土・桃山時代から江戸時代にかけての「日本の美」の本物を鑑賞できるとあって混雑しておりました。

 

「長谷川等伯と狩野派」。当時、信長や秀吉から支持されていた狩野派に能登から上洛してきた長谷川等伯、互いに意識しあうライバル関係にあったそうですが、いつの世も良きライバルは素晴らしい結果を出しますね。
屏風絵が多かったですが、凄い迫力だった!  水墨画で霧や霞という湿潤な大気を感じて、そこに差し込む柔らかい光! 余白と思える中にも見入ってしまう程、余白が生かされていた。感動したり癒されたり・・・

  

美術館を出て馬場先門付近で濠の紅葉風景を眺めて居ましたら、軽やかな蹄の音に振り返ると儀礼用と思われる騎馬列が通り過ぎて行きました。映像以外初めて見た光景です。儀礼か?訓練か?・・警視庁か?皇宮警察か?あっと言う間に皇居外苑方向に過ぎ去りました。
ビルが建ち並ぶ舗装された道をクラッシックな馬車が通る光景もいいもんでした。




出光美術館

2011年09月21日 | 美術
 
(パンフ)   (与謝蕪村)

暫く隠遁生活だったためか、美しいもの本物の美術に出会いたい気力に疎くなって居たようです。
今回久しぶりに出光美術館に出掛ける機会を得ました。                     
『仙・玉堂・蕪村・大雅と「笑のこころ」』です。
江戸時代の文人画家が余技で描いたのでしょう、社会の風刺であったり、自嘲だったり、仲間を
微笑ましたり、、、無粋で無知な当方には、その高尚な『笑い』が理解できず、名だたる名画に
見入ってしまう? 笑うと言う事は余裕がなかったら出来ないのですかね、、、?


(浦上玉堂)

浦上玉堂も江戸時代の人で、武士だったが脱藩して七弦琴を抱え全国を放浪した御仁ですと。
そんな自由な身の玉堂を慕う友人達と芸術について語り合い飲み交わし、泥酔し感興が高まった
極みの中で筆を執り奇妙な造形の水墨画を描いた、、、 と解説板にありました、、、。

〈浦上玉堂〉と言う、自由奔放に生きた明治時代の天才画家が居たのですね ?



【回想 玉堂美術館】
 
(彩雨)       (行く春)

「玉堂」と言えば『川合玉堂』と早とちりした無知な小生。川合玉堂も名を連ねるのか
最初にこの展示を知ったとき、江戸時代の粋な文人画家と並んで大正から昭和初期の名画家
とは言え? 不思議でした。  

奥多摩の御岳渓谷に川合玉堂の「玉堂美術館」があります。訪れて感動した事があります。
川合玉堂の優しい彩色に見入りました。30数年前かな?
    
近くには澤の井酒造の蔵元があり、奥多摩の流れを眺めながら“一献”いいですよ

  老いが恋 わすれんとすれば しぐれかな    与謝蕪村



シネマ歌舞伎

2011年05月16日 | 美術
  

建て替えの為、閉場している歌舞伎座、その近くにある東劇で「シネマ歌舞伎」が上映されている。
歌舞伎は一度だけ観た事はあったが以来興味を持って出かける事も無かった、先日歌舞伎に精通している友人に誘われて『連獅子・らくだ』のシネマ歌舞伎を観る機会を得ました。
中村勘三郎・勘太郎・七之助の息の合った豪快で華麗な舞台。古典落語でも各名人たちの大ネタと言われる「らくだ」の舞台は中村勘三郎・坂東三津五郎・・・ほかの演じる舞台映像は噺とはまた違った可笑しさ、死んでるラクダがカンカンノウを踊りだす場面などは涙出るほど笑いました。

古典落語の題材も歌舞伎の場面も江戸時代初期の発祥でしょうか?その時代って日本のいちばんいい時代だったんじゃないでしょうか? 車・TV・原発・・・無くても、、、

 

東北の被災地のニュースを見聞するたびに一日も早い復興を祈るのみですが、原発のニュースは聞くたびに腹立たしくなって来ます。原発事故直後からTV等に出ずっぱりだった原発学者・内閣閣僚・東電・保安院官僚・・今思えば、原子力の知識に疎い国民を愚弄して居たのだろうかと疑ってしまう。

地元の人たちにはお気の毒ですが、電源3法交付金も絶対安全なものでしたら出ないのでは? 頭を下げる東電会長の前で憮然として立って居た福島県知事さん?プルサーマルも受け入れる原発推進派知事さんでしたよね?県民に土下座されたら如何ですか?利権にたかって原発推進してきた人や企業も、、、

シネマ歌舞伎の帰り、ひまわりの咲いている数寄屋橋SONYビルに寄りました、館山から移送されたものとか。
昨日は猿江恩賜公園でジャコウアゲハ蝶を見る事が出来ました、初ジャコウアゲハでした、春の蝶は忙しく高く舞いますね、一瞬にして姿が消えました。


  初蝶を 追ひて道草 始まれり     松添博子
  






レンブラント展

2011年04月24日 | 美術
 ポスター(石の手すりにもたれる自画像版画、1639)

素晴らしい風景とか生き生きと咲いている花や興味を誘う事などに出合った時、その感動を記録して表現してみたいと思いますよね 絵?映像?写真?・・・絵や映像には才能が備わっていなければ 写真はバカチョンと言う如く向けて押せばOKと思っていましたが、、、撮ってみると各人の差は歴然 要は光と影の始末にあり!と

オランダの光と闇の天才画家『レンブラント〈光の探求・闇の誘惑〉』展(国立西洋美術館)を観て来ました。

版画の展示が多く油絵は15点位でしたか?レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)は日本年ですと江戸時代初期の人。独特な版画の技法は独自で研究完成させ、和紙や中国紙を使用した版画もありました、当時日本は鎖国中では?オランダとの交流はどうだったんでしょうか?

                    
病人達を癒すキリスト(1648)版画       三本の木(1643)版画         ヤン・シックス(1647)版画

月明かり照らされた風景や一本の蝋燭で本を読む書生や、、、「光と闇の魔術師」「明暗の巨匠」と呼ばれたレンブラントの版画や油絵は闇の中で効果的に光を当てる、、、当時のヨーロッパでは画期的な画家の出現だったらしいようです。

          
アトリエの画家(1628)油絵      ヘンドリッキエ(1652)油絵

天才画家レンブラントの人生は栄光と苦難の末、不遇な晩年だったと今朝のNHK教育TV「日曜美術館」で解説していました。

美術品の評価は小生如き鈍才には深く解りませんが、立ち止まって暫くその場を離れ難い時があります。今回版画で数点、油絵でほぼ全て、いま一度観たいと思っています。

洒落ですが、、、一昨年松戸の戸定邸で撮りましたアジサイです、光と闇 レンブラントに申し訳ない。すみません

仙に学ぶ?

2010年10月03日 | 美術


小生、満72歳になりました。大した病気や事故に遭う事もなく来れたのも丈夫な身体を授けてくれた両親に
感謝しています。浅学非才な故、蟻のように只がむしゃらに働いて来ました、その仕事も終りにしました。

キリギリスの様に浮かれ楽しみもしないのに昨今の不景気や金融不安で凍え死ななければよいのですが、、

今、過去を振り返って見ても小生何時も尊敬できた素晴らしい方々との出会いが得られた事は幸せでした。

一昨日、勤務先だった会社の上司さん達が『卒業祝い』と銘打って一席設けて戴きましたがその場に行く前
出光美術館に立ち寄られるのに同行させて頂きました。  【生誕260年仙-禅とユーモア-】です

 
《指月布袋画賛》                     《○△□》

江戸時代の禅僧『仙』の書画では出光美術館の所蔵が特に多いようで催されるときは時々訪れています
洒落や飄逸豊かな本物の書画に接すると気掛かりだった屈託も僅かな事の様に思えて帰路についてます。

《指・・・》出光コレクションの第1号となった作品(を月様幾つ十三七ツ)禅の悟りの核心を描いているらしい?
《○・・》世界的にも評価が高い難解な作品、何を感じますか?

  
《無事》                          《一日不作一日不食》   《冨莫大於・・・》

《無・・》「事無き」ではなく「無を知る事」だそうです。「知足」にも通じるのかな?

《一日・・・》老僧が毎日農作業しているのを弟子達が不憫に思い道具を隠したら一切食を断ち餓死した。
       仙も弟子達に仏恩への感謝の気持ちと禅修業の厳しさを示した書らしい?

《冨・・・》「冨莫大於知足福莫盛於無禍」 富と言うものは足ることを知るより大いなるものは無く、
      福は禍が無いことよりも盛んなるものは無いのである。
      (分相応の富や福があるだろうがそれを知る事でこの世が素晴らしい。)


《老人六歌仙画賛》

《しわがよる・ほくろが出来る・腰まがる・頭はげる・ひげ白くなる・手は振るえ・足よろつく・歯は抜け
耳きこへず・目は疎くなる・身に添ふ頭巾襟巻き・・・淋しがる・心が曲がる・欲深くなる・気短になる
愚疑になる・出志やばりたがる・世話やきたがる・又しても同じ咄に子を誉める・達者自まんに
人ハいやがる》

誰にも訪れる「老化」でしょうが描かれている老人達は皆おおらかでのびのびとして微笑ましい。

老いることを恐れず逞しく楽しく生きろと心優しい仙からのメッセージでしょう


仕事を卒業した71歳最後の日に観た『仙展』、今後の心構えと方向性を教えられたような、、、
忘れられない記念日でした。

〈仙作品画像は全て出光美術館発行のしおり「仙-禅画に遊ぶ-」より撮影転載しました〉


日本画のヴィーナス

2010年08月25日 | 美術

《美人鑑賞図》勝川春章 (江戸時代)

立秋も過ぎ処暑も過ぎたと言うのに収まりそうにない猛暑の中、女性の“清涼美”を観に
出光美術館『日本美術のヴィーナス』(~9/12まで)に出掛けました

粋でお洒落な風習が偲ばれる江戸時代の浮世絵から昭和にかけての美人画のオンパレードです。

  喜田川歌麿 (江戸時代)
《更衣美人図》          《娘と童子図》

きものの美しさと下膨れ美人の妖艶な浮世絵、薄衣を纏ったり「蚊帳美人」や当時の遊女達の様子
からも一点の卑俗さも感じず、本物肉筆画には魅せられました。


《灯》上村松園 (昭和12年)

浮世絵の影響を受けていると云われる明治後期から昭和初期のものも多く展示されていましたが
実写的で感動しました。

《灯》も眉を落とした若妻が蝋燭の灯りを袖で覆い守るようにして歩いでいく、、、

画像は貼れませんでしたが《朝爽》菊池契月(京都国立近代美術館蔵)には特に魅了されました。

何れの絵にも女性の内に潜む強い意志としなやかな優しさを感じるものでした。

猛暑から逃れ出光美術館9Fで「美人画」を堪能し、お茶を戴きながら皇居を眺め、、、
のんびり贅沢な時間を過しました。






屏風の世界

2010年07月24日 | 美術

【日月四季花鳥図屏風 室町時代 六曲一双の左隻】

歳のせいか年々夏の暑さが厳しく感じる、取り分けて今年は応える。
炎天下でのテニスも少々自重して出光美術館『屏風の世界』に行ってきた。

屏風は中国で風よけの調度品として誕生し日本に伝わって来て、室町時代から江戸時代に
かけて日本独自の紙製の蝶番が考案され、日本独特の様式で発展してきたらしい。


【天神縁起尊意参内図屏風 室町時代】

大画面を折り畳んで使う屏風は四季の花鳥図や風景画を物語的にみることが出来るし
風俗画などは当時の人々の暮らしぶりも細かく描かれていて楽しい。


【南蛮屏風 桃山時代 六曲一双の左隻】

屏風は一曲々々が眺める角度が違うため飛び出して来る様な迫力もあり3D映像の元祖かも?

金箔地や金雲も多く用いられた絢爛豪華さは晴れの場をも引き立たせて来たのだろう。


【十二ヶ月離合山水図屏風 江戸時代】

順路の終わりの辺に展示されていた「江戸名所図屏風」(八曲一双)は上野から品川まで
隅田川に沿って名所や人物が細密に描かれてをり、特に悪所辺りの様子が屈託無く遊ん
でいる江戸町民が滑稽で楽しい。 


【世界地図・万国人物図屏風 江戸時代】

50点近い展示の中でも江戸時代のものが多かった。ここでも無知な小生思いましたが
江戸時代はとても活力あった生きやすい時代だったんじゃないかと、、、
西鶴・芭蕉・一茶・蕪村・歌麿・師宣・北斎・広重・光淋・宗達・近松・歌舞伎・・竜馬・・

美術館(9F)から帰るエレベーターの中で初老の婦人と娘さんらしきお二人の会話、、、
母「よかったわね~」  娘「うん!」     同感 でした

《投稿画像は出光美術館HPより転載しました》




向井潤吉展

2010年03月23日 | 美術
 
 《ポスター、遅れる春の丘より(長野県白馬村)1986》              《模写、デューラー1929》

知り合いに、定年退職してから油絵を習い出した御仁が居ります。絵について語る彼の瞳は少年の
様な耀きがあります。趣味としてぴったり嵌ったのでしょう、羨ましささえ感じています。

時々作品を拝見させられ(?)ますが、絵画についても造詣の極希薄な小生の事、感想や称賛の
言葉に毎回戸惑っている始末です。「いいじゃない!感じが出ているよ!・・・」かな?

 
  《雨、新潟県魚沼郡川口村1945》               《雨後千曲川、長野県埴科森村1977》

その彼が心酔しているらしい洋画家 向井潤吉(1901~1995)の作品140点ほどが日本橋高島屋で
『向井潤吉展~わかちがたい風景とともに~』が催されていて昨日が最終日との事、たってのお誘い
もあり観賞して来ました。

恥ずかしながら小生、向井潤吉という画家は存じ上げませんでした。京都に生まれ20才代に渡欧して
ルーヴル美術館の許しのもと有名絵画の模写に没頭し、終戦直後からは北海道から鹿児島まで旅をて
古い農村の茅葺き民家を描き続け「民家の向井」と言われていたそうです。

 
  《春塘、川越市郊外1984》                   《6月の田園、岩手県滝沢村1961》

当方も向井潤吉が描くような集落の中で育った者として、山村の暮らしの有様が素直に描かれていて
自然と共棲していた当時の生活に懐かしさを覚えました。
風景画でしょうが人物が描かれた作品が少なく、ちょっと寂しい気持ちにもなりました。

数点の絵の前に立った時、空気をいっぱい吸い込んで深呼吸をしたい衝動に駆られました。

 
  《驟落、山形県朝日村田麦俣 ?》                《森かげの家、長野市戸隠1961》

今の孫達やこれから生まれて来る子供達が向井潤吉の絵を観たら昔話かお伽噺の世界だと思うでしょう。
「爺ちゃんの子供の頃はこのような家に住み遊び学んだんだよ」と自慢してやりたい。

美術館や特別展示場などの絵画・彫刻は証明効果で可なり引き立てられている事もありましょうが
油彩の塗り方に何かひとつツボ得たような彼でした。

【世田谷美術館分館「向井潤吉アトリエ館」がリニューアルされ4/27から再開されます】


麗しのうつわ

2010年03月06日 | 美術
出光美術館チケット

・・・白い釉のなかにほのかな赤が浮き出して、冷たくて温かいように艶な肌に菊治は手を出して
触れてみた「やわらかい夢のようでいい志野は僕らも好きですね」・・・と川端康成の『千羽鶴』の
一節にあると、桃山時代の志野焼陶器展示解説の一部にありました。

出光美術館の『麗しのうつわ』(日本のやきもの名品選)を観て来ました。

《投稿写真は全て出光美術館HP、他からの転載です》

志野山水鉢(桃山時代)

焼物について陶器と磁器の区別すら出来ず全く無知で落語の「井戸の茶碗」「猫の皿」「厩火事」
などで骨董品の中でも特に難しいものであるらしい程度の興味ですが、遥か五百年も前の先人達の
作品を観ていると、当時の様子が想像できるようで、美の源泉を探っている様な気分にもなります。


銹絵染付松波蓋物(尾形乾山 江戸時代中期)

(上の写真とは違いますが、、、)
江戸中期、尾形乾山の「色絵百人一首和歌角皿」(十客)は和歌が上の句と下の句を別々の角皿に
絵と共に書かれてある、会席をしながらカルタ取りのようにして楽しんだのでしょうか?

赤々と火影に照らされた色とりどりの器を前に詩歌や絵画を語り合いながら笑いざわめく人達の声が
聞こえて来るようでした。

銹絵竹図角皿(尾形光淋・乾山 江戸時代中期)

尾形乾山の兄は江戸中期の琳派の絵師、尾形光淋なんですね、「銹絵竹図角皿」は兄の光淋が
絵付けをして唐の詩人、杜甫を引用して弟の乾山が焼き上げたもののようです。   

色絵芥子文茶壷(野々村仁清 江戸時代後期)

芸術や美術はとんと解せない無粋者ですが、美しいものを観たり凄いものに感動したり、、、

本物を観ていると、それを描いたり作ったりしている人の息づかいが伝わって来るようです。

恵まれた幸せな時を過している実感が湧いてきます。『麗しのうつわ』良かったです。