昨日、高校時代の在京地区メンバーでの食事会の席で埼玉県に住む友より、幸手の権現堂の桜が見頃
と聞き、出かけました。久し振りの抜けるような晴天と気分が引締まるような冷たい空気。絶好日
土手の桜は満開、下は一面菜の花満開、花の香りも何とも心地良い雰囲気を醸し出していました。
「聞きしに勝る」桜と菜の花のcollaboration
連なる距離は約1Km弱も続くとか
この幸手の権現堂、2月頃は水仙。 4月頃は桜&菜の花。 6月頃は紫陽花。 9月頃は彼岸花。と
いろいろ楽しませて頂けるようです。
交通も乗り換えなしの1時間ほど、先の楽しみがひとつ増えた思いです。
最近、早朝に出かける事につい億劫気味になる事がありますが、、、当方と同年齢か近い御仁達が
“たちあがれ日本”なんぞと意気軒昂に日本国民のために血気盛んに立ち上がろうとしています。
結果はともあれ古稀を過ぎても、その生気(?)に満ちた気力は見習わなくてはいけませんかね~。
前夜の強風も止んだ昨日、新宿御苑に行って見ました。
一昨年、ここで撮った桜の写真を或る写真に煩い居士が「アングルはいいが発色が駄目だな~」と薄笑い
して後は何も語らず、、、でした。
ヘボ写真マニアと致しましてリベンジの期を狙っていた訳です。
言い訳ですが、、、お天気模様は雲に覆われておりイマイチ光線不足かと思われました。
周りには、写真に造詣深そうな面々が高級機を構えて難しそうな顔で並んでいます。
そんな場になると、当方つい遠慮がち気後れする質の、、、駄目爺でございます。
【新宿門】から入った直ぐ右側に、キブシ・ソメイヨシノ・ユキヤナギ・レンギョウ・・・と春の花が
揃い踏みのように咲いて居り、気分を高揚させて呉れました。
《下の池》近くに枝垂れ桜zoneがありまして、蕾・満開・散り始め・・・と数種のしだれ桜が綺麗でした。
一応、イメージした様に撮れたのですが、、、「なんだ!これは!」ですか
午後からの予定行事もありましたので早々に引き上げましたが、4/1に8部咲き程度でした皇居牛ヶ渕の
一本桜が気に掛かって居ましたので途中下車して撮って見ました。
幻想的な写真は、わし等ヘボには無理な事ですね~
薄紅色の花が垂れ落ちてくる様で、微かな風にもしなやかに揺れなびく女性的な『しだれ桜』
ソメイヨシノより一週間ほど早く咲く、エドヒカンサクラの変種で品種も多いそうです。各地の有名桜は
三春の桜・身延の桜・京都吉田の桜・・・等などソメイヨシノ等に比べ「枝垂れ桜」が多いのでは?
この枝垂れ桜、他の桜たちと違い列を作ったり群れたりせず一本で十分過ぎるほど堂々と存在感を
もって延々と咲き続けている“孤高の桜”というべきでしょうか
今日も陽は差せど風は冷たく開花宣言後の桜は足踏みしているでしょうが枝垂れ桜は?と六義園に
出かけました、樹齢70年という同園のシンボルの枝垂れ桜は満開間近でしたが人も満開状態でした。
六義園は5代将軍 徳川綱吉の頃造営された大名庭園で小石川後楽園と共に江戸時代の二大庭園と
称されている、と案内がありました。そこで同じ文京区内の小石川後楽園へも寄ってみる事にしました。
地下鉄の便も良いのですが、小石川後楽園も人・人・人・・・今日の土曜日はお花見の予定にしていたが
この3・4日の陽気で足止めされて居たのが堰を切って両園の「しだれ桜」に出かけて来られたのでしょう。
私たちも右に同じですが、、、、
〈バックは東京ドームの屋根です〉
野の花は野に、山の花は山に、花は“そこに咲いてこそ、、、”ですが、桜も特に咲いている場所に
よって趣が違ってきますね。
近づいて来たでしょう『末期の眼』で様々な条件の場所で咲いている桜の姿を観たくなりました。
満開の しだれ桜の 地へとどく 満田春日
関東地方の天候は日替わりで曇寒&晴暖の日が続いている状態です。
前々々回の投稿についてご貴重なコメントを頂き嬉しいやら恥ずかしいやらでございます。
カモメをカゴメとして仕舞いましたが、気が付きますと最近は日常茶飯事の事であります。
ツグミをツムギを間違えたりと、、、
テレビ等のテロップも近頃消えるのが早いと思いませんか
このBlogに付きましてのコメントは、投稿の張り合いでございます、宜しくお願い致します。
桜を待つ人達に、一足早く咲いてくれる「河津桜」が木場公園にも咲いていました。
河津桜は大島桜と寒緋桜の自然交配で昭和40年頃出来たもので歴史は浅い品種なんですね。
この木場公園の河津桜は地元の奇特なお方の寄進に依るものだと案内板にありました。
来年頃には何方か河津桜の元に菜の花の種を蒔いて頂けないか期待しております(オマエガヤレヨ)。
散り掛かった河津桜の下でシジュウカラが土をほじくり採餌していましたが珍しい光景では
ないでしょうか?木の上だけでは餌が賄えなくなって来たのかな?
眩しい程に華やかに咲き誇った今年の桜も 昨日夜半までの風で
散りかけただろうかと、今朝早々に近くの仙台堀川辺りを散策してみた。
水路一面が花びらに覆われ、「花筏」の風情より「花運河」の趣か
満開までの頃は賑やかだったベンチ付近も、今朝は鳩が餌を啄ばんでいた。
周りは桜色の絨毯が敷かれたようだ、こんな佇まいが私は好きです
どうしてあんなに、思い切って散れるのだろう。
良寛が辞世の句として詠んだ「散る桜 残る桜も 散る桜」
人生の機微に触れる名句だろうが、、、
散る桜と言えば、大戦時、国のために命を捧げた若き特攻兵士の事が
思い出されて切なくなる。
(花吹雪の模様を写しこめたが縮小加工で消えちゃいました)
満開までの桜は嬉々として待ち眺められていたのに、盛りを過ぎると
振り向く人さえ居なくなる、落ちた花びらは迷惑そうに掃き纏められ
処理されていく。人の一生に似ているのかな~桜も。
盛りを過ぎたものには、情緒や風格や思慮の深さがあるのに。
仙台堀川の川本となる箇所では花びらが友禅模様(?)のような
瞬時変化する絵柄を描いていた。
散り初めし 桜見ている 旅心 穂坂日出子
最近、小生のブログも閲覧者数に、じり貧症状が見られ出しました。
当然の事だと覚悟いたして居りました。 覗いて見たとて、、、
何の得になる訳でもなく、新ネタが増える訳でもなく、増して艶気等
ある訳もない。でも昨日goo mail に一昨日の投稿に関してのmailを
長文にて頂きました。〈かの子〉さま有難うございました。
ブログに付いてのアドレスshimo_october@mail.goo.ne.jp です。
〈かの子〉様曰く、『川端康成の随筆に「末期の眼」と言うのがある。
人間、生の終焉が近ずくと、この世の自然が目が洗われるほど美しく
しみじみと映ってくるものである、それを「末期の眼」という。
でもshimo_octoberさんの場合は推測するに、少し時間に余裕が出来て
花や自然とゆっくり対峙できる、ゆとりが出来たからでしょう』と
慰めとも思えるフォローも添えられていた。感謝
ちょっと小生、背筋が寒くなるものを感じた。
残り少ない人生、毎日を大切に真剣勝負で行けという事だろう
桜が満開になると小松川千本桜ダ!隅田公園ダ!大横川ダ!・・・と
貪欲に目移り気味に廻ったが、足元の「猿江恩賜公園」の桜が愛おしく
落ち着いて居り安心して満開の桜を味わう事が出来た。
この世は美しい 人の心は甘美である 釈尊
昨日は起床一番!外を見ると雲は厚く低く、公園の樹木は強い北風に
揺らされていた。満開近い桜を撮りにちょっと出掛けようと思っていたが
あの北風で、、、計画も途端にいじけずいてしまった。
今年の桜には、じらされる。過去になく今年は桜の満開が待ち遠しい
焦りもあってか昼頃、2日前は5分咲きにも満たなかった千鳥が淵へ
行ってみたが7~8分咲きほどだったろうか?
あの華やかな満開の桜を、あと何回眺める事が出来るだろうか
ふと、そんな事を思ってしまった。今年の桜が最後でない保証は無い
先日、同郷の友とのメールでもそれらしき事があり、一日一日を大切に
して行かなくちゃ~と。
お花見と意識して眺める桜もいいが、出先などで偶然出合った桜も
強く印象に残っている。
ここ皇居の周りの桜には、どの辺りにあっても風格が備わっている
ように感じるが、気のせいだろうか
【投稿画像には技法が未熟のため、その風格の片鱗も
お伝え出来ませぬ事、陳謝申し上げます】
桜ばな 命いっぱい さくからに
命かけて わが眺めたり 岡本かの子
3月21日に開花宣言した東京の桜は10日過ぎた今日、漸く3分咲き程度と
言ったところだろうが、待ちきれず千鳥が淵へ出掛けて見た。
毎年咲いている桜だが、小生には年を負う毎に年々桜が華やかで美しく
清らかに見えて来るように感じている。
人生も終末が近くなると自然のものが耀いて見えるのだろうか
3分咲きとは言え、午後の千鳥が淵は混雑しており、交通規制が厳しく
バイクの停め場所も無いため早々に退散して向島百花園に廻ってみた。
この百花園は都内に多く見られる、大名や財閥のお屋敷からの公園と
違い、江戸時代の文人墨客などの協力で造られたもので、ごく自然な
雰囲気で、四季折々の草花を見ながら静かな時を過せる。
皇居から向島へ向かう途中、墨田公園で桜餅の老舗「長命寺」には
長い行列が出来ていた、最後尾は何時、買える事やら。
桜餅・・・餡を薄皮で巻く関東風。つぶつぶの道明寺粉の関西風。
どちらも塩漬けの桜葉は欠かせないが、その葉は大島桜だそうである、
国産でほっと安心する時世だが、桜葉の移り香とほのかな塩味
桜の季節【和】の味も楽しみたいものである。
花の日に 先んじてこそ 桜もち 丸山海道