『花鳥風月』雑記

素朴に質素に優しくいきたいね

秋の上州路

2010年10月30日 | 


50数年前の高校生だった頃の在京組同級生7名で伊香保温泉に出掛けました。

多感な時代を共に過した友が会うと瞬時に50年の時をタイムスリップして、詰襟とセーラー服の少年・少女
に戻る・・・同級会って特異な雰囲気がありますね、いくつになっても。

古文の教師に薦められて与謝野晶子の「源氏物語」を読んで感動したという昔むか~しの文学少女
男子生徒のアイドルだった女子生徒のコートポケットに「文」を差し込んだと自白した猛烈だった奴・・・

半世紀過ぎれば全て時効・無罪放免・気分は青春時代・・・楽しい短い伊香保の夜でした。



真っ盛りの紅葉に照準を合わせて計画したのですが、御多分に洩れず伊香保界隈の紅葉も例年より
今年は一週間ほど遅れているようでした。

翌日(10/29)は予報に反して好天模様でしたので予定を榛名湖~高崎コースに変更しました。

榛名神社・榛名湖辺りは紅葉していましたが、、、イマイチの感がありました。

初夏のレンゲツツジは特に美しいようです。



主題とは懸け離れた事で恐縮ですが、昨日家に帰り夕食時に異変がありました。

過日知人より新潟の「純米吟醸酒」を戴きました、左党を自認する御仁の見立てた品とあって
それはそれは美味しいものでした。一升瓶のまま冷蔵庫で冷やし大事に出来るだけ長い期間
その味を堪能すべく保存していたのですが、まだ残っている筈の銘酒が忽然と姿を消していた
家に居たのは完璧下戸のかみさんひとり
「少なくなっていたのでペットボトルに移し変えたから」と平然とのたまった
ペットボトルから江戸切子のぐい飲みに越後の純米吟醸酒を、、、
これって ちょっと違いますよね~




小さい秋の花

2010年10月27日 | 


あまり気に留める事もない道端や公園に咲いている秋の花、忙しなく通り過ぎていた時は見過ごして
いた花の様子を、暇に任せて、、垣間見たような気がします。

このシャクチリソバの花も5mm程の小さな白い花の塊と思っていましたが接写拡大すると白い花弁に
ピンクの雄しべが清々しい花の集まりだった。

 

この時季、雑草の様に逞しいタデ科の花が多いようだ。サクラタデの花は可愛く咲き揃うが
何処にでも見られるイヌタデも揃う事はなさそうだが次々小さな花を咲かせているんですね。

 
                          〈植物図鑑より転載〉

「蓼喰う虫も 好き好き」と言われるので、どんな味がするのかイヌタデ・・他の花や葉を噛んでみたが
然して辛くも苦くもなかった。焼き鮎に添えられる蓼酢はヤナギタデ(ホンタデ)から作ったものだとか。
それ以外、蓼を好んで食する人は居ないし、虫さえも変わった虫以外は食べないで避けるのでしょう。

(ヤナギ蓼は探し当てる事が出来なかったので参考までに図鑑より拝借いたしました)

 

何時も見ていた紫のヤブランは蕾だったんでしょうか?可憐な花を咲かせていました。

山野草のヒトリシズカに似たような花の殻がへんに雰囲気ありました、何の花の殻でしょうか?
桔梗かな?


 草の戸を 知れや穂蓼に 唐辛子         松尾 芭蕉

               (蓼と唐辛子の美味しい薬味を用意してお待ちしています)



小さい秋

2010年10月23日 | 公園

〈ノコンギク に ムラサキシジミ?〉

今年の夏は記録的な猛暑だった 今年の冬はどんな冬になるのだろうか
山では茸も松茸も、毒茸までもが豊作らしいがドングリは不作で熊が空腹を抱えてうろついている。
奄美大島の豪雨・水害のTVnewsでは避難中の83歳のご婦人が「生まれて始めての事、怖かった!」


〈セイダカアワダチソウ に モンシロチョウ〉

「植物や動物は自然生態系の生産者であり、人間は消費者で動植物に寄生している」のだと
ある学者さんが仰っていた。

名古屋では今、COP10の国際会議が開かれている。世界中の誰もが考えてはいる事だろうが、、、
一度味わった文化・文明は元には戻せないし
自然が怒っている 人間の傲慢を


〈シュウメイギク〉

そろそろ近県の野山からは紅葉の便りが聞こえて来た

「山粧ふ」と季語にもあるが、紅葉の山は四季のうちでも一番きれいだと思う、また山に入っても
暑くもなく寒くもなく色付いた落ち葉を踏みながらの陽を透かす紅葉はひと際美しい。

山の紅葉も春の桜の如くピークは一瞬で過ぎるように感じている。

今年の紅葉はやや遅れ気味のようだ。近所の紅葉には一ヶ月以上も早いが小さな秋を求めて
都立水元公園を散策してみた。

 
〈シュウメイギク〉

シュウメイギク(秋明菊)も盛りを過ぎて居た、薄いピンク色もよく見かけるが秋に咲く菊に似た花で
この名が付いたのでしょう、中国原産で「貴船菊」との別名もあるがキンポウゲ科ですと。

都内にあるとは思えない広大な水元公園、僅かに咲く秋の花に飛び交う小さな蝶たちも心なしか
今年の活動の終焉を思わせているようだった。







木場の角乗り

2010年10月18日 | 祭り
 
〈梯子乗り〉                         〈地乗り練習中 小五生〉

「都立木場公園」で恒例の江東区民まつりが催された。区民≒45万人位だろうが16・17日の二日間で
42万人の人出があったとか? イャ~昨日も酷い混雑だった。

江戸時代初期から東京湾や隅田川の河口にあり火災の多かった江戸の材木市場として発展した「木場」。

この「深川の木場」、かって私が上京した頃は貯木場で縦横に流れる運河は材木でいっぱいだった。
現在は埋め立ての進んだ湾岸地区(新木場)に移り、跡地がこの公園になってる。

“粋でいなせ”な木場の川並や旦那衆、気っ風良かったおかみさん達、江戸の面影を感じさせる街だった。

 
〈尾張名古屋の鯱デゴザ~イ〉            〈下駄履いた女子大生 お見事!〉

そんな江戸深川地区の民族芸能もしっかり伝承されて来ている。
木場の角乗・木場の木遣・木場の木遣念仏・富岡八幡の手古舞・砂村囃子・・・

なかでも『木場の角乗り』は昭和27年に「東京都無形民俗文化財」の指定を受けている。

その角乗り技術の伝承や保存をしている人たちの披露実演を見てきた。

 
〈唐傘乗り〉                             〈落ちた!どんまい!ご愛嬌〉

川並(かわなみ)と呼ばれる木場の筏師たちが鳶口(とびくち)一本で丸太を自由に操り、運搬したり
筏を組む仕事の中で余技として生まれ、数々の技術を加えて水上の曲技として発展して来たのだという。

角材乗りは丸太乗りより高度な技術を要するようで、基本の地乗りも習得には数年掛かるらしい。
角材は30cm角 長さ5m。

 
〈三宝乗り〉                        〈着地?から地乗り〉

相乗り・一本乗り・下駄乗り・川蝉乗り・扇子乗り・駕籠乗り・・・・締めは三宝乗り

角材の上に三宝を三台重ね足駄を履いて乗り扇子を持って演技する、最後は足駄を脱いで扇子をくわえて
三宝を蹴飛ばし角材に飛び降り地乗りに移る大技『獅子の子落し』が締めだった。

数々の演技が披露されたがプロではないので練習時間も限られる事だろう、冬は出来ないし。

「今年はこれで納め、来年に向け4月から練習にはいります」と保存会の会長さんが仰っておられました。

 「粋でいなせ」な演者もプロっぽくなく爽やかな秋の公園で爽快な気分になりました。


こすもす

2010年10月16日 | 公園

半世紀余り続けていた仕事に終止符を打って2週間、開放感と空虚感で過ぎたようです

『小人閑居して不善をなす』と云われますが非生産人になって「何でも何時でも出来る」という
怠惰な根性からは「何時になっても何も出来ない」と云う事でしょう、小生如き愚者には。
人生の残された時間は急減して行く身として、適度なnormaを課せactiveな生き方を模索せねば



生憎の曇天でしたが昨日、550万本のコスモスが咲く「国営昭和記念公園」に出かけて見ました。

西立川口から入りますといちばん奥まったところにあります「こもれびの丘」一面がコスモスです。

壮観です



「秋桜」は日本独特の花かと思っていましたが、メキシコ原産の外来種だったんです。

日本の風景に似合いますよネ

茎も葉も細く風にそよぐコスモスはたおやかで弱々しく見えますが台風などで倒れても地に付いた
茎の部分から根が出て上に伸び花を咲かせるしたたかな根性のある花なんです。

 
〈秋桜〉                       〈ディープレッドキャンパス〉
 
〈オレンジキャンパス〉                〈イエローガーデン〉

昭和記念公園の「みんなの原っぱ」端にあるお花畑ではいろんなコスモスが区画されて咲き始めていました。

こすもすは(秋桜)従来のスタンダードな花に風情を感じますよね~

   コスモスや 風も日差しも しなやかに        土生 重次



仙に学ぶ?

2010年10月03日 | 美術


小生、満72歳になりました。大した病気や事故に遭う事もなく来れたのも丈夫な身体を授けてくれた両親に
感謝しています。浅学非才な故、蟻のように只がむしゃらに働いて来ました、その仕事も終りにしました。

キリギリスの様に浮かれ楽しみもしないのに昨今の不景気や金融不安で凍え死ななければよいのですが、、

今、過去を振り返って見ても小生何時も尊敬できた素晴らしい方々との出会いが得られた事は幸せでした。

一昨日、勤務先だった会社の上司さん達が『卒業祝い』と銘打って一席設けて戴きましたがその場に行く前
出光美術館に立ち寄られるのに同行させて頂きました。  【生誕260年仙-禅とユーモア-】です

 
《指月布袋画賛》                     《○△□》

江戸時代の禅僧『仙』の書画では出光美術館の所蔵が特に多いようで催されるときは時々訪れています
洒落や飄逸豊かな本物の書画に接すると気掛かりだった屈託も僅かな事の様に思えて帰路についてます。

《指・・・》出光コレクションの第1号となった作品(を月様幾つ十三七ツ)禅の悟りの核心を描いているらしい?
《○・・》世界的にも評価が高い難解な作品、何を感じますか?

  
《無事》                          《一日不作一日不食》   《冨莫大於・・・》

《無・・》「事無き」ではなく「無を知る事」だそうです。「知足」にも通じるのかな?

《一日・・・》老僧が毎日農作業しているのを弟子達が不憫に思い道具を隠したら一切食を断ち餓死した。
       仙も弟子達に仏恩への感謝の気持ちと禅修業の厳しさを示した書らしい?

《冨・・・》「冨莫大於知足福莫盛於無禍」 富と言うものは足ることを知るより大いなるものは無く、
      福は禍が無いことよりも盛んなるものは無いのである。
      (分相応の富や福があるだろうがそれを知る事でこの世が素晴らしい。)


《老人六歌仙画賛》

《しわがよる・ほくろが出来る・腰まがる・頭はげる・ひげ白くなる・手は振るえ・足よろつく・歯は抜け
耳きこへず・目は疎くなる・身に添ふ頭巾襟巻き・・・淋しがる・心が曲がる・欲深くなる・気短になる
愚疑になる・出志やばりたがる・世話やきたがる・又しても同じ咄に子を誉める・達者自まんに
人ハいやがる》

誰にも訪れる「老化」でしょうが描かれている老人達は皆おおらかでのびのびとして微笑ましい。

老いることを恐れず逞しく楽しく生きろと心優しい仙からのメッセージでしょう


仕事を卒業した71歳最後の日に観た『仙展』、今後の心構えと方向性を教えられたような、、、
忘れられない記念日でした。

〈仙作品画像は全て出光美術館発行のしおり「仙-禅画に遊ぶ-」より撮影転載しました〉