『花鳥風月』雑記

素朴に質素に優しくいきたいね

東風吹かば・・・

2008年02月24日 | Weblog

 呉服枝垂梅 (2/23.亀戸天満宮にて)

春の嵐が未だ吹き荒れていますが自然の猛威にはお手上げです。

昨朝、日差しも良さそうなので咲き出した《枝垂れ梅》を見に
亀戸天満宮に出かけた。

早朝なれど、仕事前らしき参拝者が間断なく訪れて居られたが
静かな境内は“嵐の前の静けさ”だった訳ですな。

武骨な古木に咲く梅も情緒があって、男性的であるなら
柔軟な枝に咲く枝垂れ梅は、女性的なしなやかさが美しい。



3/23. 亀戸天満宮にて

園芸花木に美しい花を咲かせるには経験・技術と難しい事で
しょうが枝垂れ梅は特に剪定が難しいらしい。

伸ばす枝を間違えると“たれだれ梅”になってしまう
何事も経験・年季ですな。


青軸枝垂 (2/23.亀戸天満宮)

日も上がって来て帰る頃には受験生らしき参拝者も増えてきた。

空模様もそろそろ風雲急を告げて来たようであった。


東風吹かば にほひおこせよ梅の花 
          主なしとて 春は忘れそ
  菅原 道真





                            




亀戸梅屋敷

2008年02月21日 | Weblog
     
歌川広重の亀戸梅屋敷        ゴッホが模写(花咲く梅ノ木)

江東区報に依りますと江戸の頃、現在の江東区亀戸3-50付近に
『亀戸梅屋敷』という梅林があり水戸光圀が「臥龍梅」と命名した
地を這うように咲いていた梅もあり、後に八代将軍徳川吉宗も訪れた
という、明治43年に廃園となり現在では説明板や石柱だけが往年を
偲ばせる。

  
梅屋舗跡の説明板              臥龍梅跡石柱

歌川広重が名所江戸百景の中で描いた『亀戸梅屋舗』は傑作と言われて
おり、浮世絵に関心持っていたゴッホがこの作品に衝撃をうけ忠実に
模写したという、その作品は現在オランダの博物館に所蔵されている。


梅の花も盛りを迎えるが沢山の種類があるようです。
今年写した梅の花の写真の一部分を切り取って並べて見るとそれぞれに
何か人の容姿・表情に似ているように見えて来ました。


八重冬至         道知辺          白雁 

        
蘇芳梅            白加賀           蓮久

優しい笑顔?ちょっと寂しそうな顔?品良くお澄まし顔?号泣顔?・・・

花の表情って見る人その時の感情によるよるものでしょうか?
いつも明るく朗らかで優しく闊達な花を見たいですね。



節分草

2008年02月20日 | 

2/20.節分草(向島百花園にて)

春を告げる花として可憐な『節分草』も咲き出す頃である。

10数年前、秩父両神山の麓に群生しているセツブンソウを
見に行った事がある、葉の落ちた林の中、引締まった寒気
と春の日差しを受けて清々しく咲き競っていた。

石灰岩地の落葉樹林に生息するが乱獲や環境破壊のためか
現在は希少植物になっているようである。10センチ足らずの
背丈で清楚で弱々しく“春のはかない命”の別名もあるとか?


2/20.節分草(向島百花園にて)

昨年は知らずに向島百花園で終わり頃の節分草を見たので 
今年は満を持して、今朝訪れてみた。5~6本は咲いていた。

一生懸命咲いているその姿に“悲哀”の様なものを感じた
背丈は4~5㎝、花も小ぶりで葉にも生気が無いようだった。

職人さん達が懸命に手を掛けて居るのだろうが気難しく繊細な
植物には都会の中での生活は本能的に馴染めないのでしょうか

生物は夫々その生態系に相応した環境の中で生きて行くのが
その生き物にとって最も幸せという事でしょうね。

その花は そこに咲いてて 美しい。



      


福寿草

2008年02月18日 | Weblog

2/18.福寿草 森林公園(梅林)にて

日差しも漸く春めいて来たので春を告げる花のトップバッターに
名前も芽出度い『福寿草』を見に国営武蔵丘陵森林公園に行った。

この公園は国営公園の1号として昭和47年武蔵野の面影を残して
造られ沼や池、緑に囲まれ昆虫や小鳥も多く自然に恵まれている
面積も304ヘクタール 東京ドームの65倍だという。

梅は3分咲き程度だったがフクジュ草は春の陽を受けて黄金の
耀きを放っていた、今年の花のトップバッターに相応しく
逞しい精気を奮い起こさせる花である


2/18.フクジュソウ(森林公園にて)

特に他に花も無く平日でもある為か人気も疎らな園内を散策して
メイン道路から小道に入れば、そこは芽吹き前の静寂な林の中、
風の音と小鳥たちのさえずりの声のみ、おやつ用にとリックに
入れて来た田舎の姉より届いた“信州おやき”で小休止

静かな里山のロケーションの中で味わう信州の素朴な味わいは亦
格別な風情に浸れた。

2/18.森林公園梅林にて

でもちょっと不安も過ぎった
万一突然この場で息絶えたら何時発見されるだろうか
今日は月曜、週末まで誰もこの場所には来ないのではないだろうか

そんな哀れで危険な思考になるくらい静寂と孤独をあじわった

  福寿草 家族の如く かたまれり    福田 蓼汀






the wedding singer

2008年02月16日 | Weblog

ウエデイング・シンガー (ロビー&ジュリア)一場面

Lion KingやCats、、etc ロングランされている名立たるものも
ミュージカルなるもの劇場で観たことは未だなかった。

「宝塚の延長で男児の鑑賞するものに非ず」の感があった。

今回ひょんな事から日生劇場で上演されているミュージカル
“the wedding singer”を家人と観賞する事になった。

物語の大筋は明るく陽気なラブ・コメディーだがミュージカル初体験
の者には迫力あるダンス、音楽、歌、衣装、証明、、スピード感、、
休憩を挟んでの3時間は“優美”とも言える様な時を過した。
ストーリーが単純である事がウットリ出来た要因だったかも。

日生劇場も花崗岩を使った重厚な外観に、アコヤ貝を使った内装は
幻想的とも言える優雅な雰囲気のある劇場だった。

昔、明治座に新国劇を時々観に行ったが通人の観客からタイミング
よく“掛け声”が飛んだ、役者との呼吸が合っているひとこえには
羨ましく「いつかあんな声掛けてみたい」と思っていた。

ミュージカルにもそれらしき事があるようだ、
手拍子、拍手、、舞台と観客との一体感がある、エンデング時も。
初体験者には、その乗りと勇気と度胸はイマイチ無い。

芝居も、落語も、ショーも、ミュージカルも深く探求して没入して
行った境地に堪らない楽しさがあるのでしょうか















新聞

2008年02月12日 | Weblog

2/10.夕焼け(江東区より、昨秋冨士の前にビルが建ちゃった)

“High Gradeなマンションに住む友人”
朝刊が各戸に配達される事につきSecurityの問題が出た事も
あり自身で毎朝4~50分、各戸に各紙一括して配達している。

その人の話に依ると全戸の3割ほどの家では新聞を購読して
いないと言う。テレビやインターネットの普及に因るものでしょうかね。

活字離れとか、日本語が乱れて来たとか言われておりますが、
それとは別だとしても、、毎日の新聞がテーブルの上に有れば
いろんな漢字や言葉にも接しられるし時事問題やスポーツの
話しで子供達と会話するきっかけになるかも知れない。


2/13.ハクセキレイ (仙台掘り川にて)

小生何度か引越しもしましたが転居先ではLifelineの手続き
と同時に新聞の申し込みが当たり前だった。

生まれ育った北信州の決して豊かではない山村農家でも物心
ついた頃には常に家に新聞はあった(信濃毎日新聞)。

一方的に流れて来るニュースより自分のペースで理解できる、
勝手に想像も自由だ。

古新聞も便利な物だ、子供の頃もっぱら習字は新聞紙だった、
兜を作ったり、飛行機を飛ばしたり、刀にもボールにもなった、
何より背中と胸に入れる事でどれだけ寒さを凌げたか。

現在でも割れ物を包んだり、野菜を包んで冷蔵庫に入れたり、、
新聞の無い家庭ってちょっと寂しいような気がしますね。




伊勢物語絵巻

2008年02月09日 | Weblog

2/8.向島百花園にて (梅の品種“初雁”)

冷え込む日が続いている、節分も過ぎたので《セツブンソウ》や
《フクジュソウ》が見られるのではと向島百花園に行ったがその
気配さえ見る事は出来なかった、数種の梅がポツリポツリ。


今日は雪予報?こころだけでも温めようかと『王朝の恋』を
展示中の出光美術館に行ってみた、【伊勢物語絵巻】である。

出光美術館HPより

一千年前の王朝貴族の恋物語、
恋する人に胸のうちを歌に詠んで託す。ロマンありますね。

主人公は在原業平だと言われていますが、、定かではない???
ドンファンでプレイボーイの“その男”次々と恋に挑み、恋に堕ち、
恋は儚きものと自らの運命を実感するも、その刹那は甘味だ

思い通りに事が運ばぬもどかしさも亦“恋の魅力”かも知れない。

平安時代(1000年)の恋物語を江戸時代(1700年)の大物画家、
宗達・抱一・光琳らによってこの絵巻は出来たのですかね
(次元が低いと無知を戒め請うかも知れません、スミマセン!)

電気も自動車も無かった頃も、宇宙に基地を造ろうかと言う時代も
男と女の思いややる事にあまり変わりはありませんね、古来永劫。
うたかたの恋、、、でもその味は蜜の如く甘いのだろうか

館内は混雑し、並んで待つ展示箇所もしばしばだった
平安王朝の恋物語に閲覧者は心和まされウットリされた事だろう。

帰りは厳かで雅なラブロマンス映画を観たような気分だった、爽快。


〈追記〉
物語の文章や絵に添えられた書がすばらしい、美しい。








錫の不思議

2008年02月06日 | Weblog

2/5. 横十間川遊歩道にて

30年ほど昔の事だろうか、日本橋のデパートで見た錫マグカップ
が欲しくなり、若慮断行(?) 分不相応と思いつつ手に入れる。

悦に入ってビールだ水割りだと・・・使っていたが、然して味も
変わらず何時の間にやらグラスやぐい飲みに代わっていた。


錫マグカップ ROYAL SELANGOR(マレーシア)

以前お世話になっていた“山の会”のメンバーと旧交を温めていた
席で博識の面々が錫の食器・酒器の話しになった。

錫は熱伝導効率が高く水や酒をイオン浄化する働きがある。
英国赴任の長かった先輩が錫の食器、酒器ではマレーシアの
POYAL SELANGOR が世界的ブランドであり美しく優れている。
錫酒器で飲む酒は数段まろやかで美味である。

ローヤル・セランゴール? もしかしてあの貴婦人も ?


SELANGORのチロリ(?)でお燗つけ

今日も雪が舞った、冷え込むこの時期、晩酌は熱燗がいい
錫のマグカップをちろり代わりにして燗をつけてみた、イケル
直火やチンでの燗酒とは安酒でもはっきり違う

酒の味も血気盛んな頃より30年も歳を重ねて来た今とでは
本物の味を堪能する奥行きが深くなって来たのかな
加齢は感受性やKYR(空気読める)が鋭敏になる事かも知れませんネ

ひとめ惚れされた貴婦人も漸く日の目を見られたかな








鶴の恩返し

2008年02月01日 | Weblog

ある(鶴の恩返し)HPより借用

携帯電話の普及・発展には凄まじいものがある
“ケイタイ依存症”と思える様な人も知っている

小生あまりケイタイには依存していない、一週間に一度も
発信・着信が無い事も時にはある程度だ。

そのケイタイが忽然と無くなってしまった
昨日ある講演を聴きに出かけた会場で電源OFFしたので帰り
外に出てONにしてポケットに入れたはずだが手袋をしていた
のが不覚だった。
         


ある(鶴の恩返し)HPより借用

《5~6年前、携帯電話を拾った事がある、直近の交信履歴宛に
 その旨をお伝えして持ち主さんに無事お渡しする事が出来た》
                              
そんな事が頭をよぎり微かな期待を持ったがその気配はない。

依存度は少なくても、無くなってみると何か心細い。アドレス帳
であったり、メモ帳であったり、Hot Mailの保存箱であったり、、
時には“胸キュン”とさせてくれる道具だったりして

そんなDataがすべて消えてしまう事だから


ある(鶴の恩返し)HPより借用

【鶴の恩返し】ってあるんですね

微かな期待も諦め、新機種変更に行こうとした矢先に家の電話が鳴った
「携帯電話は届けられています、万世橋警察署にあります」

届けて頂いたお方に心許りのお印を持参したのだが拾得者は同署員
との事で固く固辞されてしまった。

停止Lineも復旧手続きを済ませ正常通信復活

 
 〈携帯Data Backupの必要性を感じました〉