木曜はラノベ愛語り。今回は前回(R6.12.19)に続いて、私の好きな作家さんである、まきぶろ先生の『無自覚な天才少女は気付かない』を紹介します。
この作品の1巻目を面白く読めるかどうかは、この物語の根幹に関わる「大嘘」を受け入れる事が出来るかどうかで決まる…と、前回の記事で書きました。
では、『無自覚な天才少女は気付かない』の「大嘘」は何か。
それは、「15歳になるまでリリアーヌ(リアナ)は、家族の誰からも1回も褒められた事が無く、自己肯定感が極端に低い状態となってしまった」と言う事です。しかも、それは「家族は全員がリリアーヌを溺愛しており、他の家族がリリアーヌを甘やかしているだろうから、自分だけは厳しく接しなければと思って1回も褒めた事が無かった」と言う事が原因なのです。
これに、「いくら何でも、その設定には無理があんじゃね? だって、15年間で、1回も褒められた事が無いんでしょ。しかも、家族は彼女を溺愛してるのに。絶対、誰かが1回くらい褒めるって」と疑問を感じるなら、この作品は楽しめません。何せ、物語の根幹に関わる部分ですから。
私の場合、「う~ん、少々無理がある様な気もするけど…ま、そう言う事もあるかもね。世の中には、偶然が重なって大惨事が発生する事もあるから」と思って受け入れたので、この作品を楽しむ事が出来ました。私的には、『桃太郎』で犬や猿や雉が喋るのと同じ感覚で受け止めたって感じでしょうか。
この「大嘘」を受け入れられれば、後は相当に楽しく読み進められます。自己肯定感が低すぎるので、「この程度は、世の中の人は皆、出来て当然だろうな」と思ったリアナが色々とやらかしてしまう…その展開を楽しむ事が出来るからです。
何せ、彼女は実家から出奔しています。見つからない様にしなくてはならないのに、無自覚に目立ってしまうのです。悪目立ちしているリアナの逃避行は、結構、はらはらドキドキの展開です。
2巻目では、リアナに新しい出会いが幾つかあり、それらの人物との関わりの中で、彼女が少しずつ成長(どちらかと言うと、「再生」の方が正しいかも…)していく様子が見られます。もちろん、無自覚にやらかしてしまい、悪目立ちしてしまう展開も健在で、読み手を様々に楽しませてくれます。
この後、3~5巻では、どの様な展開があるのか…かなり期待度の高い作品と言えるでしょう。
この作品の1巻目を面白く読めるかどうかは、この物語の根幹に関わる「大嘘」を受け入れる事が出来るかどうかで決まる…と、前回の記事で書きました。
では、『無自覚な天才少女は気付かない』の「大嘘」は何か。
それは、「15歳になるまでリリアーヌ(リアナ)は、家族の誰からも1回も褒められた事が無く、自己肯定感が極端に低い状態となってしまった」と言う事です。しかも、それは「家族は全員がリリアーヌを溺愛しており、他の家族がリリアーヌを甘やかしているだろうから、自分だけは厳しく接しなければと思って1回も褒めた事が無かった」と言う事が原因なのです。
これに、「いくら何でも、その設定には無理があんじゃね? だって、15年間で、1回も褒められた事が無いんでしょ。しかも、家族は彼女を溺愛してるのに。絶対、誰かが1回くらい褒めるって」と疑問を感じるなら、この作品は楽しめません。何せ、物語の根幹に関わる部分ですから。
私の場合、「う~ん、少々無理がある様な気もするけど…ま、そう言う事もあるかもね。世の中には、偶然が重なって大惨事が発生する事もあるから」と思って受け入れたので、この作品を楽しむ事が出来ました。私的には、『桃太郎』で犬や猿や雉が喋るのと同じ感覚で受け止めたって感じでしょうか。
この「大嘘」を受け入れられれば、後は相当に楽しく読み進められます。自己肯定感が低すぎるので、「この程度は、世の中の人は皆、出来て当然だろうな」と思ったリアナが色々とやらかしてしまう…その展開を楽しむ事が出来るからです。
何せ、彼女は実家から出奔しています。見つからない様にしなくてはならないのに、無自覚に目立ってしまうのです。悪目立ちしているリアナの逃避行は、結構、はらはらドキドキの展開です。
2巻目では、リアナに新しい出会いが幾つかあり、それらの人物との関わりの中で、彼女が少しずつ成長(どちらかと言うと、「再生」の方が正しいかも…)していく様子が見られます。もちろん、無自覚にやらかしてしまい、悪目立ちしてしまう展開も健在で、読み手を様々に楽しませてくれます。
この後、3~5巻では、どの様な展開があるのか…かなり期待度の高い作品と言えるでしょう。
…と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。