湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

川釣り今昔

2010年09月06日 | 詩歌・歳時記
水音を聞くのが好きだ。一番馴染んできた自然は、川だったのかも知れない。
幼稚園児の頃は、茨城県土浦の桜川のタナゴ釣り。
この釣りは他の釣り魚とはまったく違うとこがあって、その小ささを競うのだ。
手のひらに載せた数が、多い方が勝ちって訳。

転校した東京では、竿の代わりにクレヨン、絵筆にぎる日々。
絵描きになると、漠然と思ってた。

高学年になって初めて海を知る。日立市水木町。
日立港の岸壁で、べらと河豚しか釣れなかった記憶がある。

やはり、本格的にのめり込んだのは、滋賀に移ってからだね。
今は梅花藻で有名になっちまったが、地蔵川に虹鱒を追いかけ、毎日竿を振っていた。
けれど主戦場は、最上流に醒ヶ井養鱒場がある丹生川だった。
当時は水量もあり、深い淵もあって良い川だった。
家族の頭数くらいは、暗くなるまで粘れば釣れたものだった。

虹鱒といえど、尺を超えると一瞬にして、緊張感が走る。
その引きたるや、もの凄いものだ。竿先は弓なりに、キリキリと響く糸鳴り。
敵の命の躍動を、直接的に感じる釣り竿を、垂直に保つのさえ中々に難しい。
好敵手が一瞬力をゆるめた時、すかさず空気を吸わせ、
少しずつ弱らせて、ようやくの思いで取り込んだ時、急に聞こえてくる渓流の音。
「短い充実」を生きた!!という手応えは、何事にも変えがたい時間だ。

社会人となり、再び戻った東京では、時々、奥多摩へ出撃。
釣果うんぬんよりも、沢井から御嶽にかけて、渓谷を歩き沢風に吹かれて、
いつしか詩を書いていた。

そしてまた、帰った滋賀。丹生川も水が減り、川相が変わってしまった。
その頃には中学生の息子が、釣りきち二代目を襲名していた。