関ヶ原から西へ、即ち近江路である。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/4f/7b75c476cafba9de3bb3a38850e1fc7b.jpg)
長久寺という村に、川と言うより細い溝と謂うべき流れがあり、それが県境だ。
秋風になぶられながらまたいでみる。
右足が岐阜県、左足が滋賀県である。妙な気分だ。
昔むかし、川をはさんで旅籠が二軒あったそうな。
夜更け、布団に入って、隣の宿の旅人と語り合ったそうな。
以来、この土地を「寝物語の里」と呼ぶ。
桜並木の道があり、紅葉のうちかさなる道があり、街道の風情を今に残す、貴重な一帯である。
やがて柏原の宿場町。お江戸の時代、「伊吹もぐさ」で名を売った処である。
当時は何十軒とあったそうだが、今は、亀屋左京、たった一軒残るのみ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/c4/5af92dfc47fd08a4ca1455ec42507fba.jpg)
その江戸時代、あるお店の若旦那が江戸は深川の遊廓で、
遊女たちに「伊吹もぐさ」の唄を教えて、お客の前で踊り、歌ってもらったそうな。
わが国のCMソング第一号である。
その甲斐あって「伊吹もぐさ」の名声は、全国津津うらうらへ広まったと言うことだ。
柏原の次が醒ヶ井宿、そして番場、鳥居本と続いてゆく。
国道とあるいは混じり、あるいは平行して
中仙道は 昔の面影を垣間見せながら、伸びてゆく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/4f/7b75c476cafba9de3bb3a38850e1fc7b.jpg)
長久寺という村に、川と言うより細い溝と謂うべき流れがあり、それが県境だ。
秋風になぶられながらまたいでみる。
右足が岐阜県、左足が滋賀県である。妙な気分だ。
昔むかし、川をはさんで旅籠が二軒あったそうな。
夜更け、布団に入って、隣の宿の旅人と語り合ったそうな。
以来、この土地を「寝物語の里」と呼ぶ。
桜並木の道があり、紅葉のうちかさなる道があり、街道の風情を今に残す、貴重な一帯である。
やがて柏原の宿場町。お江戸の時代、「伊吹もぐさ」で名を売った処である。
当時は何十軒とあったそうだが、今は、亀屋左京、たった一軒残るのみ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/c4/5af92dfc47fd08a4ca1455ec42507fba.jpg)
その江戸時代、あるお店の若旦那が江戸は深川の遊廓で、
遊女たちに「伊吹もぐさ」の唄を教えて、お客の前で踊り、歌ってもらったそうな。
わが国のCMソング第一号である。
その甲斐あって「伊吹もぐさ」の名声は、全国津津うらうらへ広まったと言うことだ。
柏原の次が醒ヶ井宿、そして番場、鳥居本と続いてゆく。
国道とあるいは混じり、あるいは平行して
中仙道は 昔の面影を垣間見せながら、伸びてゆく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/88/4e612b81a40bb4dca2c100afd2747149.jpg)