このブログは昼休みに、珈琲飲みながら、携帯に打ち込んでいる。
完成後にパソコンに飛ばす訳だが、文字を間違えても、削除一発、打ち直せば失敗の形跡も残らない。
ワープロでもパソコンでもそれが一番の利点だ。
あの頃のあの苦労は、いったい何だったのかと思わずため息がでる。
写植のツラいところは、誤植の修正だ。ひとまず、余白に正しい字を打っておき、現像後に乾かして、
誤字の4辺にカッター・ナイフで浅く切り込みを入れ、剥ぎ取る。
次に正字も、こちらは丁寧に、剥いだ跡と同じ大きさに薄く剥ぎ取り、糊をうすく付け、はめ込むのだ。
打ち上げた印画紙をみれば、腕の差は一目瞭然だ。
独立してからは、精神集中、極力カッターの跡のない印画紙を心掛けた。
打ち上げた印画紙が、商品であり、作品なのだ。快心作が現像液に浮き上がる瞬間は、快感である。
若いデザイナーが持ち込む、さまざまな原稿。彼らの業務は実にハードだ。
クライアントとの打ち合わせ。コピーライター、イラストレーターの手配。そして、写植・版下の発注。
次は製版所の確保。そしてようやく印刷、製本を経て納品に至る。
深夜まで仕事がずれ込むことなど日常茶飯事だ。時間に追われまくる、彼らを助けるため、
写植を打つ時は、誤字・脱字、また文脈まで直しながら作業を進める。
国語力なら負けない自負があった。それで信頼を得た訳だ。
校正から帰ってきたコピー紙が真っ赤な時は泣けてくる。いい加減な編集者を呪いながらも、
顔で笑って心で泣いて、写植商売のツラいところである。
ある日、初めての会社から仕事の依頼がきた。原稿を読むと巧妙に誤字が撒き散らしてある。
成る程、腕を試そうと言う訳だ。爪と瓜、専門と専問、完璧は壁ではないと言う具合だ。
さあ、気合いが入った。
A4のサイズのトンボを打ち、ノーミスで打ち上げて、そのまま台紙に貼れば版下の完成だ。
納品に行った。
社長はニヤリと笑っただけで、何も言わなかったが、その日から毎日の様に注文がくる様になった。
また、夜中に叩き起こされて、一文字をすぐに打ってくれと哀願されたことも、何度もあった。
青春と共に生き、天職ともいえた、そして今は世にない、写真植字機である。
完成後にパソコンに飛ばす訳だが、文字を間違えても、削除一発、打ち直せば失敗の形跡も残らない。
ワープロでもパソコンでもそれが一番の利点だ。
あの頃のあの苦労は、いったい何だったのかと思わずため息がでる。
写植のツラいところは、誤植の修正だ。ひとまず、余白に正しい字を打っておき、現像後に乾かして、
誤字の4辺にカッター・ナイフで浅く切り込みを入れ、剥ぎ取る。
次に正字も、こちらは丁寧に、剥いだ跡と同じ大きさに薄く剥ぎ取り、糊をうすく付け、はめ込むのだ。
打ち上げた印画紙をみれば、腕の差は一目瞭然だ。
独立してからは、精神集中、極力カッターの跡のない印画紙を心掛けた。
打ち上げた印画紙が、商品であり、作品なのだ。快心作が現像液に浮き上がる瞬間は、快感である。
若いデザイナーが持ち込む、さまざまな原稿。彼らの業務は実にハードだ。
クライアントとの打ち合わせ。コピーライター、イラストレーターの手配。そして、写植・版下の発注。
次は製版所の確保。そしてようやく印刷、製本を経て納品に至る。
深夜まで仕事がずれ込むことなど日常茶飯事だ。時間に追われまくる、彼らを助けるため、
写植を打つ時は、誤字・脱字、また文脈まで直しながら作業を進める。
国語力なら負けない自負があった。それで信頼を得た訳だ。
校正から帰ってきたコピー紙が真っ赤な時は泣けてくる。いい加減な編集者を呪いながらも、
顔で笑って心で泣いて、写植商売のツラいところである。
ある日、初めての会社から仕事の依頼がきた。原稿を読むと巧妙に誤字が撒き散らしてある。
成る程、腕を試そうと言う訳だ。爪と瓜、専門と専問、完璧は壁ではないと言う具合だ。
さあ、気合いが入った。
A4のサイズのトンボを打ち、ノーミスで打ち上げて、そのまま台紙に貼れば版下の完成だ。
納品に行った。
社長はニヤリと笑っただけで、何も言わなかったが、その日から毎日の様に注文がくる様になった。
また、夜中に叩き起こされて、一文字をすぐに打ってくれと哀願されたことも、何度もあった。
青春と共に生き、天職ともいえた、そして今は世にない、写真植字機である。