末期ガンで入院していた母が、三食が二食になり、もう食べたくないと言ってから、
2日目のお昼すぎ、「息苦しいから、背中をさすって・・・」と言われ、腰の痛みに耐えながら、
母の吐く息、吸う息にあわせて、やせ細った背中をゆっくりとさすっていた。
30分ほどして、下にした腰が痛いから、身体の向きを変えて、と言われ・・・・大汗かいて
向きを変えたのだった。 肩先の細さに比べ、腰、足はリンパ液が下がってきて、パンパンに
ふくれ、浮腫んでいるのだった。
顔が向いている方に、時計とティッシュを置いた。 「大きいボタン・・・」と母が指摘する。
あぁ、ごめん。母にとっては命の綱の、ナースへのコール・ボタンを顔の向きの方へ置く。
それほど意識はしっかりとしていたのである。
けれど、小さな縦型のボタンを押す力は母にはもうすでになかった。大き目のスピーカーのついた
コール・ボタンを目にして、母は安心したようだ。
あどけなく口を開きて
水せがむ
母よゆっくり時よ歩めよ
そして、また背中をなぜていたのだが、息するたびに上下した母の肩が、突然止まった。
あっけない、死に際であった。
私の手の平に残る、母の背中のぬくもりを、けして忘れない。
ガンがあれほど転移したにも関わらず、痛みはなかった。それが救いでもあります。
母逝くや 春立ちてより 三日のち
雪嶺や あの世とやらへ 逝きし母
母逝くや 夢の舞台の ごとき雪
風花や 母のみたまの 舞ふごとく