一年半まえに死んだ母のお骨を、仏壇に置いておいた。 この夏に息子が大阪から帰ってきて、
母が建てた父のお墓に「納骨」をした。 別にボクにはどうでもいいことなのだった。
ひとは死んだ時点で、すべてが「零」である。 霊魂などというものがあるはずがない。
田舎の葬式には笑ってしまうよ。 納棺する時に、死者に手っ甲、きゃはんをつけてさ、
6文銭を添えるのだね。 三途の川の渡し賃だって。
酔芙蓉咲かせて風の八尾かな
大学の高等教育を受けた息子のほうが、俺よりも封建的な考えの持ち主!!って・・・・・
ちょっこし信じられないのだが。 職業軍人だった父を愛していながら、世代の違いで敬遠した
ボクとは違って、息子はおじいさんが好きだったと言う。
その息子はかって、フラワー・アレジメントの仕事をしていた。 道の駅で買って来た花束を、
てきぱきとふたつの花立に生けてゆく。 うむー、おぬし・・・やるなぁー、てなもんだった。
幾千里飛んで幾万鴨きたり
こうして、ともかくも母のお骨を父の側に入れました。 息子のお陰でございます。
まぁー、ほっとはしましたが、「墓は三代・・・」という言葉があります。
息子には 「俺の骨は墓には入れるな。 ①魚津の海へ撒いてくれ ②琵琶湖へ捨てよ
③トイレヘ流せ・・・・と」、遺言しています
生きている間は「人間」ですが、 死んだ瞬間に、それは用をなさない「物体」に過ぎないのです。