湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

納骨

2013年09月01日 | 詩歌・歳時記

一年半まえに死んだ母のお骨を、仏壇に置いておいた。 この夏に息子が大阪から帰ってきて、

母が建てた父のお墓に「納骨」をした。 別にボクにはどうでもいいことなのだった。

    

ひとは死んだ時点で、すべてが「零」である。 霊魂などというものがあるはずがない。

田舎の葬式には笑ってしまうよ。 納棺する時に、死者に手っ甲、きゃはんをつけてさ、

6文銭を添えるのだね。 三途の川の渡し賃だって。 

          酔芙蓉咲かせて風の八尾かな

大学の高等教育を受けた息子のほうが、俺よりも封建的な考えの持ち主!!って・・・・・

ちょっこし信じられないのだが。 職業軍人だった父を愛していながら、世代の違いで敬遠した

ボクとは違って、息子はおじいさんが好きだったと言う。

その息子はかって、フラワー・アレジメントの仕事をしていた。 道の駅で買って来た花束を、

てきぱきとふたつの花立に生けてゆく。 うむー、おぬし・・・やるなぁー、てなもんだった。

          幾千里飛んで幾万鴨きたり

こうして、ともかくも母のお骨を父の側に入れました。 息子のお陰でございます。

まぁー、ほっとはしましたが、「墓は三代・・・」という言葉があります。 

息子には 「俺の骨は墓には入れるな。 ①魚津の海へ撒いてくれ ②琵琶湖へ捨てよ

③トイレヘ流せ・・・・と」、遺言しています

生きている間は「人間」ですが、 死んだ瞬間に、それは用をなさない「物体」に過ぎないのです。